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騎士になりました  作者: 比呂
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魔境


 穏やかな水のせせらぎと、小鳥の囀りが耳朶を打つ。

 濃い緑の匂いが、肺腑に流れ落ちるのを感じた。


「う、うぅ……?」


 薄ぼんやりとした表情のユーゴが瞼を上げたのは、衣擦れの音を聞いたからだった。


 寝台から立ち上がる、女の形。

 絹の滑らかなシーツが液体のように滑り落ちる。


 そして現れたのは、白い背中だった。


 丸みを帯びた肢体は艶めかしく、美しく長い指が、その飴色の長髪を梳いた。

 白い背中の女が横目で振り返り、目を細めて言う。


「起きた、か。眠り続けていれば良かったものを――――」

「誰だ?」


 ユーゴは、口を曲げて不快感を見せた。

 彼女の憐憫の視線が、気に食わなかったからだ。


 まるで自分が、聞き分けのない赤子にでも見られている気分にさせられた。


 その女が振り向き、一糸まとわぬ姿で腰に手を当てる。


「……誰だか知らない相手に、その顔は無いだろう。不満が透けて見えるぞ」

「いや、うん、何でだろう、すまないとは思う。だけどな、何故か腹が立つ」

「何に怒っている?」


 女が挑戦的な顔をした。

 微笑を湛え、彼女の伸ばした手がユーゴの顎先へ添えられる。


 そして、ユーゴはその手を掴んだ。

 力一杯に、握りしめた。


「わかった。まあ、そうだよな」

「ふぅん? 何を理解した」


 女が平然と答える。


 今のユーゴが全力で握れば、人の手など簡単にへし折れてしまう。

 それでも表情を変えないのだから、人間でないことは確実だ。


 加えて、何処かで見たことのあるような仕草ばかりが見て取れる。


 彼の記憶では、『それ』らは一致しない。


「真似ばかりで芸が無いぞ」

「うぬぅ……」


 女がユーゴの手を振りほどき、ふん、と鼻息で威嚇して見せた。

 その目は、氷青などではなく、その髪もまた、金ではなかった。


「馬鹿だな。本物はもっと、こう、駄目な感じだ」

「駄目な感じ、って何なのだ……」


 呆れた表情を浮かべる女――――オリビアが口を開いた。

 彼女が人の姿を模しているならば、その対象はシアンとティルアに間違いない。


 確かに特徴をよく捉えているだろうが、一緒にすれば良くなるわけでもなかった。


 相手を誰か確認できたところで、ユーゴは周囲を見回す。


 樹木の植えられた庭園の中に、水路が張り巡らされていた。

 その中心に屋根と柱しかないパビリオンがあり、総絹で仕立てられた寝台の上で寝ていたようだった。


 見晴らしがよく、空気も良い。

 空は天高く青空が広がり、小鳥が鳴き、蝶が飛ぶ。


「はあ――――」


 しかし、彼がいる場所からもよく見えるほど巨大な、水晶の城には見覚えがあった。


 過去に一度、訪れたことがある場所。

 もう遠い昔話じみた記憶となり、色褪せてしまったはずだった。


「ここは《クリスタルム》か」

「そう、貴様も知っての通り、ここは既に湖の中だ」


 オリビアが人差し指を上に向ける。

 すると、大きな空に波紋が現れた。


 その揺らめきが光の屈折を乱し、緑鮮やかだった樹木が、一瞬だけ水晶の木に見える。

 輝く透明の小鳥が羽ばたき、硬質な羽を持つ蝶が花の蜜を吸う。


 美しいが――――酷く無機質な世界だった。


 人の生きる場所でないことは、誰でもわかる。

 人が生きるには、過酷に過ぎた。

 人外魔境の最果てにある、地下奥深くの水晶湖。


 美しい世界は生きる希望にもなり得ようが、美しすぎる世界は人を必要としない。


「どうして俺がここに居る?」


 水晶の中に混じった異物の気分で、ユーゴは呟いた。


 腹に空いた傷は塞がっている。

 途切れた記憶の元を辿れば、トランキアル霊廟街で倒れたはずだった。


 その答えは、得意気なオリビアの顔で語られた。


「無論、貴様を修復するためだ。幸い、女王の転送体が我の体内に、様々な権限を残しておいてくれたお陰でな。メラノプルスを呼び寄せて、我らを運ばせたのだ。我を褒めろ」

「……うわぁ」


 嫌そうな顔をするユーゴであった。

 家族の元に帰りたいのに、最果ての地に運ばれて何が嬉しかろうか。


 その態度が気に入らないのが、オリビアである。


「おい、貴様。今の我に反抗的な態度を取ってもいいと思っているのか」

「そう言われてもなぁ。まあ、傷を治してもらったのは感謝するよ」


 表情を柔らかいものにする彼だが、相手は首を傾げた。


「……治す? 治したわけではない。我は修復と言った」

「どう違うんだ」

「猿と人程度だ。……いい、気にするな。我にとっては同じ事だ」

「はあ?」


 若干、馬鹿にされた気がしないでもないユーゴだが、何やら考え事を始めたオリビアに何かを問いかけても無駄であった。


 彼女が、うわの空から意識が戻ってくる頃には、寝台の上にユーゴの姿は無い。

 絹のシーツを身体に巻き付けた彼が、パビリオンから出ようとしていた。


「おいこら、貴様。そこから出るな」

「え?」


 壁も何もない柱の間から足を出そうとしていたユーゴが、思わず振り向いた。

 身体に巻き付けたシーツが揺れ、隔たれた外界へとつながり、焼け落ちた。


 細かくなった、消し炭が足元を転がっていく。


「…………何だこれ」

「我の許しなく、ここから出られるとは思わないことだな」


 ふふん、と偉そうに笑う表情が、どこかの金竜に面影が似ていて、怒るに怒れないユーゴであった。





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