聖櫃
傾いて飛んでいたアークが、街外れの砂地へ着陸していた。
砂地へ長い着陸跡が続いている。
その先では、一角獣騎士団の戦鎧騎が総出で防衛体制を敷いていた。
強い日差しと砂風の中、ジゼルが砂を踏みしめて歩く。
肩を晒した黒いワンピースと、風になびく漆黒の長髪。
砂漠化している地を歩くには軽装に過ぎる姿だが、その肌が焼けることは無い。
風でワンピースの裾がめくれそうになり、そっと彼女がスカートを手で押さえる。
「あらやだ」
「……何か?」
アークまでの道のりを先導するエミールが、横目で振り向いた。
激高した経緯もあり、気まずい雰囲気を出してはいるが、彼女を案内する職務を任された以上は、感情を飲み込むしかない。
しかし、ジゼルが気にしている様子は無かった。
「気になるわよね。わかるわ、うんうん」
「そうですか」
特に興味の無いエミールが、前を向いて歩きだす。
背中から投げかけられる声にも、必要最低限の言葉しか返さなかった。
「あ、恥ずかしがってる?」
「いえ」
「顔が赤いのを隠したいわけね」
「はあ」
「まあー、しかたないわよぉ。こんな素敵なお姉さんが居たら緊張しちゃうわよね」
「そうですね」
「あら正直さんだわ。でも駄目よ。私はユーゴのお姉さんだから」
「そうですか」
二人が方向性の見えない会話を続けていても、目的地には到着する。
アークを護衛する戦鎧騎が道を開け、空飛ぶ船の外壁に近づいた。
海を往く船とは、形が異なっている。
存在自体が聖域にして魔導具。
歪な鳥の形をした、流線型の異様さがあった。
エミールが合図を出して乗降口の梯子を下ろしてもらう前に、ジゼルが勝手に先へ歩いて行った。
「申し訳ありませんが、勝手に歩かれては――――」
「え? でも、こっちの方が早いわよ?」
彼女が首を傾げながら、腕を振った。
すると、アーク下部の緊急脱出用ハッチが開く。
これにはエミールだけでなく、周囲の護衛騎士たちも動揺を隠せなかった。
しかし、開いた緊急脱出用ハッチから出てきた女性が、笑顔でジゼルを出迎える。
「ようこそ、ジゼル様。『あの女』はこちらから来るだろうと、お父様からお話は伺っております。どうぞお入りください」
「……ふぅん、あなたは?」
値踏みする視線の中、微笑みを湛えた女性が言う。
「アリアドネ・レオと申します。お父様――――アレク・レオの娘になります」
「まさに案内人っぽい名前ねぇ。うちの弟を誑かしたのもあなたね?」
「はい。ユーゴ様からは、忘れられぬ思い出を頂戴いたしました。今でも感謝しております」
頬を染め、顔を背ける仕草は、何らかの情事を暗示しているように見える。
ジゼルは勝手に持ち上がる右腕を眺めつつ、諭した。
「はいストップ。その手の冗談はやめておきなさい。私は良いんだけど、ボディ担当があなたを殺すわよ?」
「冗談ではなかったとしたら、どうでしょう」
微笑みを崩さないアリアドネの瞳の奥には、恐れなど無い。
ただ、ジゼルが呆れた声を出す。
「どんな反応を期待しているのか知らないけど、私は他人に都合よく踊らされるのが嫌いなの。他人を都合よく踊らせるのは大好きなんだけどね」
「はい、そう伺っております」
「そう? なら分かるわよね。人間の真似をしていても、人間には成れないわよ?」
「わかっています。だからこその、『思い出』です」
アリアドネの表情に、揺らぎなど無かった。
その芯を支えているのが、ユーゴとの思い出であるとするならば、ジゼルの言葉に意味は無い。
「あー……そう。だったらいいわ。案内してくれるかしら。あの節操無しには、後で怒っておくから。まったく、誰でも彼でも助けてんじゃないわよ」
頬を膨らませる彼女に、苦笑いを浮かべるアリアドネであった。
彼女にも思い当たる節があったのだろう。
後ろを振り返ったジゼルが、難しい顔をしたエミールに告げる。
「それじゃ、ご苦労様」
「あ、ええ、はい……」
当惑する一角獣騎士団長をそのままにして、二人は緊急脱出用ハッチから船内へ入った。
先頭はアリアドネで、ジゼルの目の前を形の良い尻が揺れている。
「…………」
ボディ担当が己の尻を触り、形を確かめているので、ジゼルが呟く。
「心配しないで。大丈夫よ」
「何か仰いましたか?」
「いーえ、こっちの話。あなたの後始末ってだけ」
「?」
狭く細長い通路を抜け、突き当たりの梯子を登る。
先に登ったアリアドネが手を差し伸べてくるが、ジゼルは当然のようにそれを払いのけた。
「邪魔よ」
そう言って登り終えた彼女が立ったのが、小さな公会堂のような場所であった。
壇上の上に備え付けの椅子があり、その隣に脱出路が確保されていたようだ。
椅子には無精髭を生やした男が座っており、椅子の正面に映された映像を見ている。
それは、稀に出土する遠見硝子の魔導具と同じだが、その大きさは王城の正門を超えていた。
男が見ている映像は、液体の入った円柱のガラスに、クリスタルムの女王の頭部が浮いてるものだ。
ジゼルが同じく画面を眺め、ため息と共に言い放った。
「……懲りない男ねぇ」
「君にだけは言われたくないな」
椅子に座っていた男が、目頭を押さえた。
嫌そうに息を吐き、近くにある椅子を勧めた。
ジゼルは口を曲げた後で、勢いよく尻を椅子に落とした。
スカートの裾など気にしないように足を組む。
「で、あの子には会ったの?」
「会ったよ。面白くはあるが、可能性を見出せるほどじゃなかったね」
「意見の相違だわ」
「希望を見出すことにまで口出しはしないさ」
「なら、いい加減に返しなさいよ」
「返すも何も、僕が望んで奪ったわけじゃない。拘束もしていないし、本人にも好きにしたらいいと伝えたはずなんだが」
「それじゃあ、居場所を教えなさよ」
「わからない」
「はあ?」
眉根を寄せて、身を乗り出すジゼルであった。
無精髭の男――――アレク・レオが、銀髪を揺らした。
「別に意地悪をしているわけではないけれど、逆に言えば、僕は興味も無いから探していない。部下は何かを考えていたみたいだが、それも聞いていないから知らない。最後に彼を見たときは、小型の亡獣と一緒に居たね」
「ちょっと! 乗っ取られたらどうするつもりよ!」
「どうもしない。そのための《獣の心髄》だったのだろう? 君の理論が破綻したところで、僕が困るとでも言うつもりなのか」
「あの子は『鍵』よ」
「……君は技術に幻想を抱き過ぎている。それに『鍵』という意味でなら、僕もそのうちの一つを手に入れたところだ」
アレクが示した先は、遠見硝子に映る頭部そのものだ。
まさに水晶で出来た彫刻だろう。
その瞳が、開かれる。
「ごきげんよう、お父様。解析が終了しました」
透明の唇から紡がれる言葉は、とても親しげなものだ。
その存在を端的に言い表すなら、今まで背後に控えていたアリアドネの呟きが最も的を得ていた。
「……お姉さま」
「あら、アリアドネも居たのね。久しぶりだわ。こうして会話できるのは何年ぶりでしょう」
水が満たされた円柱の中で、浮いた頭部が穏やかに笑う。
そして視線を巡らせ、アレクに目を止めた。
「お父様、今回の情報は《クリスタルム》の警戒網と、中枢までの構造、後は《アトモスフィア・ネット》の分布でしたわ」
「……そうか。では、予定通り、準備を進めることにしよう。我々アルベル連邦は、《クリスタルム》に対して、侵攻を開始する――――」
「――――ねえ」
俄かに慌ただしくなってきたアークの中で、水面に波紋を起こすような声が響き渡る。
暗く深い瞳が、浮いた頭部をのぞき込む。
「《アトモスフィア・ネット》の分布、と言ったわね。それを私に渡してはくれないかしら」
「どうするつもり……と聞くまでも無いか。君の悲願を叶えるには、避けて通りえない道だね。我々の侵攻に協力するなら、渡しても構わないが?」
「ええ、いいでしょう。それなら、魔族にも協力させるわ」
彼女の眼が、深い海の底と同じ色になっていたことに、アレクだけが気付いていたのだった。




