強者の理由4
フィーナと特訓初日を終えた、その夜のことだった。
硬質な足音が、石組みの通路に響き渡る。
通路に転々と灯る蝋燭の灯りが、ユーゴの影を揺らした。
冷たい空気の中に、異質な匂いが混ざっていた。
それが過去にこの場所で遭った出来事の残骸なのか、今も続く『彼女』の行為の果てなのか、判別は付きそうにも無かった。
彼は、鍵のついていない鉄格子を開いた。
ヴァレリア城の地下奥深くにある牢獄に足を踏み入れる。
ここは、魔王城が吹き飛んで再建される際に見つかった、過去の遺産である。
残っていた記録によれば、この牢獄は捕まえた捕虜を閉じ込めるものでは無く、手に負えなくなった魔族を閉じ込めるための牢獄だった。
今では本来の目的として使われることは無いが、とある錬金術師のエルフが根城として使っていた。
ユーゴはその人物に会いに来たのであった。
「……何だ、今度は何処を壊した? もう《剣兵》の部品も少ないんだ、大切に使え」
アンリ・カブラギが、こちらも見ずに言う。
その女性は地面に触れるほどの長い黒髪を垂らし、病的な双眸で本を読んでいた。
エルフにしては体格がよく、身長はユーゴと同じくらいだった。
身なりに頓着が無いのか、灰色のローブ一枚を羽織っているだけで、下着すら着るのを面倒くさがる女だ。
そのくせ、自分の興味があることには時間と金を惜しまない性質で、この牢獄も今では彼女の研究所扱いとなっている。
ユーゴは手土産に持ってきたワインボトルを、机の上に置く。
そして、アンリの隣に椅子を出してきて座った。
「…………」
「機嫌が悪いか。馬鹿め。お前の脳では考えるだけ時間の無駄だ」
アンリは変わらず視線を本から外すことなく、言い放った。
ただし、彼女は頬を吊り上げていた。
笑っているように見えなくもない表情だった。
それでも反応が無いユーゴを不審に思ったのか、彼女は机のワインボトルを手に取ると、コルクを引き抜いてそのまま口を付けた。
幾度か喉を鳴らすと、音を立てて机に戻した。
口端から流れた一筋のワインを、ローブの袖で拭いながら言う。
「飲め。お前の持ってきた酒だ」
「…………わかった」
ユーゴもワインボトルを掴み、グラスなど使わずに飲んだ。
彼がワインを飲み終わって、鼻で息を抜くと、葡萄の濃い香りが抜けていった。
それで気持ちが落ち着いたのか、ユーゴが口を開く。
「俺の娘のことだが、どう思う?」
「どうも思わん。研究させてくれるのなら話は別だがね」
アンリが周囲を見回しながら立ち上がり、ごそごそと何かを探し始めた。
長細い木箱を戸棚の中から引っ張り出し、蓋を開けて茶色の物体を摘まんだ。
匂いを嗅いだ後で、口に入れる。
彼女は難しい顔をしながら、木箱ごとユーゴに渡した。
そして、今度こそ嗤う。
「何年も放っておいて、今さら父親面かね。実に下らん。お前はまだ人間のつもりだろうが、残っているのは頭と皮だけだろう。……人間とは一体、どこをどこまで失えば人間と言えなくなるのだろうなぁ」
「知るかよ」
ユーゴは木箱の中身を取り出した。
口に入れるかどうか迷ったが、最終的に鼻で息をしないようにして食べた。
それはイカを干したものだった。
内陸では珍しい珍味である。
ユーゴは昔、修行をしていたエルフの隠れ里で食べたことを、今さらに思い出した。
アンリが続ける。
「それは私の言葉だ。知らん。それ以外に私に言えることなど無いね。だけど、お前の娘を研究したならば、多少の見解は得られるだろう。その程度だな。これはお前の愛人としての言葉だ」
「いつ愛人になったんだよ」
「『愛する人』と書いて愛人じゃないか。愛していればいいんだろう?」
「研究対象として、が抜けてるぞ」
「些細なことだ。子を成せば愛か? 愛とはそれだけか? 私を否定したいなら定義を示せ」
「……やけに絡むじゃないか」
「絡んできたのはそっちだろう」
ユーゴがワインを飲もうとしたら、ボトルを取られてしまった。
仕方なく、干からびたイカを噛みしめる。
彼は横を向きながら言った。
「フィーナは、半変貌すら出来なかった。背中から少しだけ『竜の翼』を出せただけだったよ。俺としては、別に変貌なんて出来なくても良いと考えていたんだが、フィーナは魔族として、完全変貌したいみたいなんだ」
「ほう」
適当な相槌をしながら、アンリは読書に戻っていた。
「おい、俺の話を聞いてるのか?」
「何をしていようと私の勝手だろう。それと、お前は魚が『空を飛びたい』からといって、鳥の羽でもつけてやる気かね。それこそ大きなお世話というものだ。飛びたい魚は、自分なりに勝手に飛ぶだろう」
「いや、確かにそう言われれば身も蓋も無いが」
「そもそも『親であるから子の悩みを解消してやろう』という傲慢さが気に喰わないな。誰かに簡単に解消してもらえる悩みなど、悩みとは言わん」
「それでも、元々人間だった俺の所為かもしれないだろ?」
「だったらどうした。面倒な奴だな。お前は自分の罪悪感を無くしたいのか、娘を助けたいのか、どちらかはっきりしろ」
「――――お」
ユーゴは動きを止めた。
そうなのだろうか、と自問を始めた。
アンリがイカを噛みながら言う。
「愛とは何だね? ふんわりとした意味など、絵に描いた餅だ。実用性が無い。まず定義しろ。話はそれからだ。『何か分からないもの』を掴めと言われても、そんなもの掴めるわけないだろう」
「まあ、な」
彼の心の中で、悩んでいたことに整理がつきそうな気分だった。
そして、ユーゴは試しにアンリに聞いてみた。
「ところで、アンリの『愛』って何だ?」
「改造だ」
迷わず即答だった。
しかもそれだけでは終わらなかった。
「しかし改造と言っても、ただ増加パーツを付けただけという生ぬるい所で終わるつもりは無い。初期スペックを凌駕してこその改造でな。改造のために本体フレームを削り出しでフルスクラッチするくらいでないと改造とは言えない」
「いや、それもう改造というか、新作では?」
「基本理念を残さずして何が改造か!」
アンリがヒートアップした。
ユーゴは地雷を踏んだことを後悔した。
「いいか、良く聞け。新しく造り出すことなどどうでもいい。どこかの誰かが勝手にやるさ。しかしな、改造は違う。私がやらねば誰がやる。改造は今、そこにあるものを止めながらにして、いかに次のステップに進めるかが重要なところでな。現状維持でありながら進化を求めると言う二律背反ということだ。これは人間の生命活動や進化にも通ずるところがあってだな。元を正せばエルフとて系譜を継ぐものであり――――」
「…………」
ユーゴは心の耳を閉じて、彼女の言葉を受け流した。
何か重要なことを喋っているような気がしないでもないが、真面目に聞いていては疲れてしまう。
イカを噛みながら、明日のことを考えるユーゴであった、




