計略
降り注ぐ轟音と揺れが、淡く消え去っていった。
聴覚を失ったと勘違いするほどの静寂に包まれる。
「――――かはっ」
ユーゴは、胃からせり上がってくる血の塊を吐き出した。
真っ黒な血が流れ落ち、己の腹に突き刺さっている水晶の腕を濡らす。
普段であれば、魔族特有の再生能力と『永劫回帰』によって治癒しているはずだった。
しかし、そんな能力など無かったかのように何も変わらない。
彼が顔を上げ、オリビアの顔を見る。
彼女の表情は、慈愛に満ちていた。
「助ける、助けるぞ、苦悩多きものよ。我は『愛』だ。我に還れ」
「……俺の帰るところは、もう決まってるんだ。邪魔をするな」
彼が両手で、腹から突き出ている水晶を掴む。
どんなに力を入れても、寸毫たりとも動かないが、諦めることは出来ない。
視界は霞み、力が抜けていく。
「さあ、聞かせろ。貴様の命を歌うのだ。我らは未知を既知にするための知識を欲している。……未踏の話を聞かせておくれ」
「ぐっ」
ユーゴの顔が、苦痛に歪んだ。
腹の中に突き刺さった水晶が、心臓――――《魔玉》へ向けて伸び始めたからだ。
臓腑を掻き割り、肉を貫いて、彼の魂に水晶が触れた。
「ふっ、ふふっ」
彼女の顔が享楽に耽る。
淫靡な笑みを漏らして、ユーゴの《魔玉》を読み解いていく。
魂が解体され、連綿たる系譜を解析しているところで――――雑音が混じった。
「――――っ」
オリビアの顔が、憤怒の表情と入れ替わった。
それと同時に、二人を包んでいた水晶壁が割れる。
人影が飛び込んできて、ユーゴの腹に突き刺さっている水晶を断ち切った。
「吾輩、少々忘れ物をしましてな。頂戴しに参りました」
片腕を失い、焼け焦げて黒ずんだランヒが剣を構えなおした。
オリビアが目を細める。
「貴様、焼かれたのだろう」
「ええ、焼かれましたとも。《増強剤》と大剣が無ければ消し炭すら残らなかったでしょうな」
満身創痍で呵々と笑い、焦げた頬に血がにじむ。
耐熱加工されている《大剣》の下に潜り込んで副砲の直撃を避け、余波の熱風を《増強剤》の複数使用で乗り切るという荒業だった。
特に《増強剤》の複数使用は禁忌とされていて、肉体の崩壊は免れ得ない。
その様子を完全に見切った上で、オリビアが問う。
「すべて予定通りであった――――と?」
「まさに。ご慧眼であらせられます、女王陛下。我らが王を侮ってはなりません」
不機嫌な顔をしたオリビアが、細い目で視線をユーゴに向けた。
彼は腹に水晶を突き刺したまま、蹲っている。
鼻で息を抜いた彼女が言う。
「なるほど、あの『片割れ』も絡んでいるのだろう。下らんことだ」
「……そちらは存じあげませんが、そこの魔族は王命により頂いていきます」
「我が愛を試すか、痴れ者め。いいだろう、やってみせろ」
瓦礫が盛り上がったかと思うと、蝗虫――――メラノプルスの巨体が露になった。
蝗の触覚辺りから生えたオリビアが、目つきの悪い顔で愛おし気に笑う。
「何度でも滅びてみると良い、ニンゲン」
「そちらの遊びに付き合わされるのは御免ですな」
ランヒが手に持っていた剣を放り投げた。
地面を不規則に転がって止まる、最後の武器。
彼が掌を上にして見せた。
「うん?」
オリビアの動きが止まる。
降伏なのか自棄なのか判断するための時間だったのだろうが、ランヒにしてみればそれで充分であった。
地面に複数の影が生まれたかと思うと、それぞれ戦鎧騎が降ってくる。
墜落と見間違う速度で着地したそれらは、それぞれ《大剣》を持ってオリビアに斬りかかった。
蝗虫の足によって蹴り飛ばされる戦鎧騎も、その度に立ち上がって食らいついていく。
戦鎧騎とメラノプルスとの争いを脇にして、ランヒがユーゴへ近づいた。
「立てますかな」
「あ、ああ、何とか」
「そうですか、それは困りました」
ランヒが片腕で、頭を掻く。
そして先ほど放り投げた剣を拾ってきて、ユーゴの肩に突き刺した。
「ぐ、うあっ」
「動かないで頂きたいのですよ。これから回収部隊が降下して参ります。どうか静粛に」
ランヒが爪先でユーゴを蹴り倒す。
その勢いで仰向けに倒れた彼の腹部には、突き刺さっていたはずの水晶が見当たらなかった。
蒸発したのでもなければ、その存在が消えることは無い。
ランヒが首元に風を感じて、片腕を当てた。
「う、む?」
首元から離した手を見ると、赤く濡れていた。
首を半分無くしたランヒの身体が、受け身も取らずに倒れる。
その向こう側へ、口に血を滴らせる小型のスミロドンがいた。
外見からは猫としか言いようのない姿のスミロドンは、倒れたユーゴへと近づいて、服を噛んで引っ張った。
「うぬぅ、重いぞ……」
「何、やってんだ?」
ユーゴが掠れる目をしながら言うと、目前の猫が嫌そうな顔を返した。
「女王の転送体から切り離されたのだ。このままでは分が悪い、逃げるぞ」
「逃げる?」
腹の傷が治らないことを思いながら、ユーゴは呟いた。
何処へ逃げるんだ、と益体も無いことを考える。
彼の耳は、遠くに大勢の足音を聞いた。
猫の鳴き声が耳に入ったと思うと、ユーゴは意識が薄れるのを感じるのだった。




