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騎士になりました  作者: 比呂
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襲来


 風車騎士団の団長室では、静かな時間が流れていた。


 ユーゴは何の気なしに、窓の外を眺めている。

 ナイガンからの説明も終わり、旅支度の予定を考えていたのだ。


 この騒ぎが終われば、アルベル連邦の本拠地――――カウレテへ単身で赴かなければならない。

 そこでヴァレリア王国の特使と合流し、帰路に着く予定である。


 彼の対面に座り、ソファで紅茶を飲んでいたアリアドネがカップをテーブルへ置いてから口を開いた。


「そうですか、お兄様がそんな事を仰られましたか」

「だからって、今後も安全とは限らないけどな」


 窓の外を見つめながら言うユーゴだった。

 彼女が小さく首を横に振る。


「いえ、お兄様がそう言うのであれば、もう暗殺されることはないでしょう。私の身を案じていてくださったのですね」

「それで暗殺するのも矛盾してるような……」

「人であることに誇りを持つお兄様であれば、致し方ありません。特に、お姉さまの変わりゆく姿を間近でご覧になられたのですから」

「お姉さまの姿?」

「はい。人の形を保てず、液体となってまで自我を保有する、私たちの長女のことです――――」

「あ……悪い。ここから早く逃げろ」


 話の途中で、ユーゴは目を細めた。


 窓の外に見える林の上空に、クリスタルの塊が飛び跳ねている。

 今はまだ疎らな数だが、いずれ数が増えることは想像に難くない。


 クリスタルムの軍勢が姿を見せたということは、アルベル連邦の敗北を意味している。


 双翼騎士団の壊滅した今、残る防衛線は風車騎士団のみだ。

 そして、正規軍に戦力で劣る風車騎士団が敵う相手ではない。


「まずいことになったな」


 彼が口元を引き締めると、団長席に座っていたナイガンの言葉が飛ぶ。


「どうしたってんだよ」

「こっちにクリスタルムの軍勢がやってくるみたいだ」

「はあぁぁぁぁ? 何言ってやがんだ? 双翼騎士団たぁ、精鋭だぞ?」


 ナイガンが机に手を突いて身を乗り出したところで、耳を叩く音で鐘が鳴る。

 それは、緊急招集の合図であり、敵襲を知らせるものだった。


「だあぁぁぁっ、クソッタレがぁ!」


 毛だらけの顔を更に濃くし、ユーゴの見つめる窓に張り付いて外を見た。

 目を細め、不機嫌さを隠さない。


「おう、アンタらは街の中央に逃げな。この様子じゃあ街まで襲われてるだろうが、そこが一番安全だろうよ。……ユミル、わかってんな?」

「親父に言われなくてもわかってる。これが今の私の使命だ」


 眼帯をしたメイドが力強く頷き、席を立った。

 覚悟を決めた者同士の視線が交錯し、親子の別れがそれだけで終わる。


「さあ、お嬢様」

「ですが……」


 控えめな瞳が、ユーゴに向けられた。

 彼はそれを、真剣な面持ちで返す。


「俺が一緒に行くわけにはいかない。アルベル連邦に保護される立場でも無いからな、自分の身は自分で守らせてもらうさ。……君は君のやるべきことがあるだろう」

「――――はい」


 意を決したアリアドネの行動は迅速だった。

 躓くような勢いで彼に抱き着き、大きく深呼吸している。


 彼女の行動が理解できないユミルの、当惑した声がした。


「お、お嬢様、何を?」

「これが、私の我がままです。一度で良いので、殿方に抱き着いてみたかったのです」

「俺でよかったのか」


 苦笑いを浮かべるユーゴに、名残を惜しんで身を離す彼女が答えた。


「ユーゴ様でなくてはなりませんでした。不思議と、お父様と同じ香りがするのです。不躾なことをしてしまいました」

「いや、裸で結婚を迫るよりマシだろ」

「ふふふっ。また機会があれば、ユーゴ様のご立派なアレを拝見させてください」


 口元を抑えたアリアドネが、薄暗く笑う。

 話を聞いていたユミルの表情が強張った。


「こんな非常時にする会話か、貴様。……それとお嬢様。そんな汚らわしいものを見る必要はございません。さ、参りましょう」

「そう言えば、ユミルも見られた方でしたね」

「お、思い出させないでください!」


 口元を嫌な感じに曲げた眼帯メイドだったが、大きな溜息の後で彼に告げた。


「はあ……仮とは言え、一度は私の主人になった貴様だ。無様に散るなよ」

「あんまり主人らしい記憶もないが、まあ、俺のことは大丈夫だ。ユミルも気をつけろよ」

「ふん、この街は私の庭だ。心配いらん」


 眼帯メイドが皮肉気に笑って見せる。

 それから二人は思いを引き摺ることなく、団長室から出て行った。


 ユーゴの隣で、ナイガンが言う。


「アンタも出ていけよ。こっから先は俺らの戦場だぜ。他所モンが出しゃばるところじゃねぇ」

「ああ、そうさせてもらう」


 素直に頷くユーゴであった。

 そして再び窓の外を眺める。


 遠くで飛び跳ねる水晶がこちらへ近づくたびに、その形が露わになる。

 彼の記憶によれば、巨大なバッタだ。


「で、あれって何なんだ? 魔物か?」

「メラノプルスっつう亡獣だ。ただでさえ面倒な亡獣だが、こいつらは数が尋常じゃねぇ。個体としちゃぁ、スミロドンよりゃ格が落ちるわな」

「ふぅん。そうか、世話になった。じゃあな」

「ああ、二度と来んじゃねぇぞ――――っておい。そこは出口じゃねぇ」

「ああ」


 わかってる、とでも言いたげに笑ったユーゴが、窓を開いて飛び降りた。

 誰しもの想像通り、自由落下に身を任せて着地する。


 足元から這い上がる痺れに顔を顰めつつ、正面を見据えた。

 すると、大空から一匹の蝗虫が舞い降りる。


「さて、言葉が通じるとは思えないが、問いかけてみるべきかな?」


 そう言って腕組みをする彼を、無機質な複眼で静かに観察する蝗虫だった。

 感情の類は一切として読み取れない。


 ならばここは挨拶から入ろうと、ユーゴが片手を挙げた時だった。

 背後から呆れた声を掛けられる。


「うぬ、貴様は阿呆の極みだな。虫に向かって挨拶か?」

「……喋る猫もいるくらいだからな。虫と話をしても不思議じゃないだろ」

「毛玉人間も言っていただろう、格が違うと。上位存在に対して失礼だぞ」

「話を聞いてたのか」

「暇だったからな。どれ、貴様はすっこんでいろ。我が話をつけてやる。感動に咽び泣いて我を湛えてもいいぞ。貢物はパンでいい」

「……気に入ったのか」


 彼が僅かな嘆息を漏らすと同時に、猫型スミロドンのオリビアが前に出た。

 巨大な蝗虫に見下ろされる猫――――にしか見えない情景である。


 オリビアの髭が触覚のように揺れ、メラノプルスの触覚も同じく動き始める。

 初めは穏やかな動きだった髭も、触覚の動きに反して大きく動いた。


 挙句の果てには、人間の言葉で怒り始める。


「うぬぅっ! 何だと貴様! 下位存在のくせに生意気な! こっちは……ええい、話を聞かんか、この虫! はあ? 誰が裏切り者だ、貴様に言われる筋合いはない! 愚かで怠慢な虫め、我が牙で切り裂いてくれる――――ん?」


 メラノプルスの外顎が大きく開き、幾重にも重なった内顎が音を立てて開閉する。

 対するスミロドンが、猫の牙で吠えようとして後ろを向いた。


 ユーゴと視線が交差する。


「交渉は決裂した。貴様に、下位存在の処分を許可する」

「いやでも、すっこんでろって言われたし。俺が戦うと、クリスタルムとの国際問題だし」

「すべて許す」


 猫が頷いた。

 その背後では、ゆっくりとメラノプルスが顔を近づけている。


 オリビアの眼が細められていく。


「……よかろう、取引だ。我の見た限りのクリスタルムに対する罪状を、全て不問とするように女王へ働きかけよう。そして、我の持つ情報を渡す。これでどうだ」

「そう言われてもなぁ」

「いいのか? アルベル連邦の者たちは、『嘘』を言っているぞ。我の話を聞く価値はあると思うが?」


 そう訊ねられたユーゴは、頭を掻いた。

 仕方なさそうに言う。


「一言、助けてくれと言えば済むだろ」

「貴様の性格は知っている。だが、誰が言うものか」

「何だよその妙な矜持。別に嫌いじゃ無いから取引には応じるけどさ」


 彼がメラノプルスに向かって一歩踏み出すと、外顎の動きが止まった。

 油断なく彼を見つめるその仕草は、攻撃準備の兆候である。


 激突の前の静寂とも呼べる空気が、そこにあった。

 彼は念のために、背骨の方を気にする。


「さあメラノプルス。逃げるなら追わないけど、どうする?」


 ユーゴの問いに、蝗虫が翅を広げて答えるのだった。




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