猫手
ディエンの森での戦闘も終わり、風車騎士団は宿舎へと戻っていた。
格納庫の整備兵たちが天地をひっくり返した騒ぎを起こして、戦鎧騎の修理に取り掛かっている。
それとは対照的に特別休暇を与えられた騎士達だったが、古参の者たちは静かに酒を飲み、新入り達は自室で泥のように眠っていた。
そのどちらにも混ざり切れないユーゴなどは、宿舎の自室で猫と会話していた。
「うぬ、何だこの飯は」
「別に、必要なかったら食べなくていいぞ」
彼は手に持っていたパンを齧る。
オリビアの前に置かれているものと同じものだ。
どうして自室で簡素なパンだけを齧る羽目になったのかと言えば、仲間を失って落ち込んでいる騎士たちの前に、猫を連れて行くのは気が引けたからだった。
せめて塩のきいたバターが欲しいところだが、文句は言えない。
「貴様、捕虜の扱いには気を付けろ。穀物などではなく肉を持ってこい」
「……やっぱり肉食なのか」
彼が首を捻ると、オリビアの口元が吊り上げられて馬鹿にした顔となった。
「馬鹿者め。我らをそこらの小動物と一緒だと思うな。食おうと思えば何でも食えるし、生物として食事を摂る必要はない。ただの嗜好品だ」
「なら、俺のパン返してくれるか」
「阿呆が。貢物を返す道理などない」
置かれたパンを咥えたオリビアが、ベッドの上に飛び乗る軽業を見せた。
そのままシーツの上で、パンくずをまき散らしながらパンを食べ始める。
「おい、ベッドを汚すな」
「ベッド? 小汚い藁を布で巻いただけの塊に、そのような尊称をつけるのか? やはり貴様らは阿呆だ。それに、誰にも遠慮しないで食った方が良いに決まっている」
「それはそうかもしれないけどな、お前が掃除するんだぞ」
「はあ? この程度でベッドを降りたりするものか。諦めろ」
牙をパンへ旺盛に突き立ててパンと戦う様子など、猫そのものに他ならない。
本当にこいつは亡獣なのだろうか、といった疑念をユーゴが持ち始めたところで、部屋のドアがノックされた。
続いて声を掛けられる。
「お休みのところ失礼しますね、私です。アリアドネです。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「お、おう」
曖昧な返事をしながら、彼は頷いた。
ベッドの上にいる《クリスタルム》の捕虜へアイコンタクトを送り、オリビアが頭を振る。
「入ってくれ、鍵は開いてる」
「では、お言葉に甘えまして」
ドアが開かれると、薄ら笑いを浮かべたアリアドネが入室し、その後にユミルが続く。
その眼帯メイド――――ユミルがすぐさまベッドの上の小動物を見つけて目を細めた。
「……戦場で猫を拾ったのか? 不衛生だな。汚らしい」
「うぬ――――」
パンを手足で抑えたまま、オリビアが口を開いた。
ユーゴは即座に猫の隣へ移動して座り込み、笑い声でごまかした。
「はっはっは、いやぁ、ちゃんと洗ったから心配ないぞ。なあ、猫?」
「…………」
オリビアが首を動かしてユーゴを確認し、再びユミルを眺めて鳴く。
「……うぬぅ、うぬぅ」
「気持ち悪い鳴き方をする猫だ。お嬢様、出直しましょう」
「いえ、このままで。それに、可愛らしい姿ではないですか。確かに今回の相手はスミロドンでしたが、こんな猫まで嫌うことはないと思いますよ」
そういう彼女の顔が、微笑ましい表情であったならいい話で終わったろう。
ただし、今の表情は悪の帝王が庶民を見下したときの顔をしていたため、俄かには信用ならなかった。
ユミルの言葉に憤慨しそうだったオリビアも、肉球でユーゴの足を叩くのみだ。
流石の彼もの二つの意味で苦笑いを浮かべ、備え付けの木椅子を指示した。
「まあ、何のお構いも出来ないが、何か話があってきたんだろう? まあ座ってくれ」
「お気遣い、感謝しますね」
アリアドネが皮肉気に笑ったと思うと、眼帯メイドが即座に椅子を用意する。
ふわりと音もなく腰かけた彼女が、視線を落とした。
「少し言い難いことなのですが……状況が変わってしまいました」
「確かにな。行方不明だったアレク・レオが見つかったんなら仕方ない」
頭の後ろで手を組む彼は、何も諦めていない声で言う。
それを知った上で、彼女が首を振った。
「ええ、そうですね。ですが、まだあります。……お父様が仰るには、もうすぐ《クリスタルム》の一群が攻めてくるそうです。加えて、本国からの正規軍が応援として到着しています。間違いなく此処――――トランキアル霊廟街が戦場になることでしょう」
「それはまた、難儀なことだな。こうなると、アレク・レオが行方不明だった理由が知りたくなりそうだ」
「私もそれほど詳しく教えて頂けませんでしたが、恐らくはお父様が《クリスタルム》の宝物を奪ってきたようですね。それを奪い返しに来たのが、今回の敵だということです」
「なるほどなぁ」
完全に巻き込まれた感のあるユーゴであったが、あまり国同士の諍いへ積極的に混じろうとも思わない。
そして、騎士の資格を早く貰いたいと思っていたのに、なぜか宿舎の中でも出会わなかったナイガンが、この場に居ないことも理解した。
正規軍が郊外に陣取っているとなると、補給や支援のために騎士団長が走り回っていることは予想だに難くない。
霊廟街の非戦闘員を疎開させなければならない手筈もあり、その業務は多岐にわたる。
それこそ、猫の手も借りたいくらいだろう。
ユーゴが横目でオリビアを見ると、パンと格闘することに疲れた猫が己の手を舐めていた。
アリアドネが短く息を吐いた。
「騎士の休息も、今夜半には解除されるでしょう。実際の戦闘は正規軍――――双翼騎士団が受け持ちますが、風車騎士団も一部は後備に編成されるでしょうね」
「ということは、俺も連れていかれるのか?」
「そうならない、と言いたいところでしたが、難しいかもしれません。先の戦闘で、古参の騎士にも欠員が出ていますので、幾らかは騎士見習いも呼ばれることでしょう。特に、亡獣を打倒したユーゴ様であれば、呼ばない理由がないですね」
「裏目に出たか」
「……そうですね」
彼とアリアドネが同時に首を傾けた。
亡獣を倒した手柄を押し付けられたユーゴのことは、彼女も知らされている。
こんな時だからこそ、運の悪い者が英雄に祭り上げられるのだ。
いっそのこと逃げ出してしまおうかと考えていると、ノックもなしに宿舎のドアが開かれた。
そこには、髭面の男が息を切らせながら立っていた。
「おう、ちょっと手伝っちゃあくれねぇか」
そのナイガンの顔が、酷く強張っていたのが誰の目にしても印象的なのであった。




