雌雄
葉擦れの音が、木々の間を通り過ぎた。
微風に吹かれた葉が波打ち、先ほどまでの殺伐さを感じさせない。
木陰に消えていった男の背中から視線を外し、ユーゴは亡獣の残骸を眺める。
「さて、どうしよう」
散々と言葉で煽って風車騎士団から引き離したものの、知らない男が急に現れてスミロドンの頭を吹き飛ばしてしまった。
手間が省けたと喜ぶには、複雑な思いが沸き上がる彼であった。
それに、銀髪の男が持っていた銃のことも気になっている。
「あの光、黒竜の重滅咆に似てたような……」
確かにエキドナのものと同じであれば、亡獣といえども効果があるだろう。
しかし問題は、そんなものを持っている男の存在である。
只の戦士が持つには、度が過ぎた武器だ。
「ん?」
彼が物思いに耽っていると、亡獣の残骸が動いた気がした。
目を細めて息を殺しながら、瞬きもせずに残骸を見つめる。
すると、抉り取られた首元が、いきなり盛り上がった。
すぐさまユーゴは距離を取り、警戒態勢を取る。
「……えっと」
彼の疑念の声が、森の中に響いた。
盛り上がった首元を突き破って、小さなスミロドンが生まれ落ちたからだ。
大きさとしては、それこそ牙が長めの猫でしかない。
その猫が、おぼつかない足取りで立ち上がり、水を振るうように身体を動かした。
「うぬぁ……死ぬかと思った――――うげっ、どうして貴様がそこにいる!」
「いや、そう言われても」
勝手に出てきた相手に理由を問われても、言い返す言葉もない。
ただし、相手は予想外に警戒していた。
「我の死んだふりは完璧であったはずだ! あの外法の者ですら欺くほどにな! それを見破るとは、貴様只者ではないな! ……うぬぅ? その気配、もしや魔族か。いやしかし、色々なものが混ざっていて訳が分からん。何故、海産物の匂いまで……」
「全部当たってるけどな」
「それはそれで意味が分からん」
更に首を捻る小型亡獣であった。
そんな見た目だけであれば何の問題もなさそうだが、相手は《クリスタルム》の尖兵であり、恐るべき破壊を巻き散らした亡獣だ。
彼は警戒を解かず、問いかけた。
「で、どうするんだ? 戦うつもりなら相手になるぞ」
「馬鹿を言うな。この姿で相手になるものか。降伏しよう。手を出せ」
「は? そういうものなのか」
《クリスタルム》の者が降伏するなど聞いたこともないが、国によって降伏の仕方も変わるのかもしれない、と彼が手を差し出した時だった。
手先を爪で引っかかれたと思うと、急に小型亡獣が後ろへ飛んで高笑いした。
「はぁっはっはっは! 馬鹿か貴様は! 我が降伏なぞするものか! 貴様の生体情報は頂いた! これで貴様の記憶を辿ることも思いのままよ――――うぬぅ? うがっ!」
そして、首を捻って悩み、口を開いて驚愕した。
ユーゴからみれば、何やってんだこいつ、と思っても仕方がない所作である。
「き、貴様、女王様の御手付きか?」
「何だそれ」
「勇者だったか、と聞いている!」
「……まあ、そうだな。そんなときもあったな」
遠い昔を思い出して、首を振る。
好んで思い出したいとは思わない過去だった。
それをどう思ったのか、小型亡獣がその場でひっくり返って腹を見せた。
「うぬ、やはりな。……我の負けだ」
「降伏しないんじゃなかったのか」
「これは降参だ。決して降伏ではない。よく見ろ、伏せずに仰向けになっているだろうが」
「速攻で掌を返しておいて、よく言うな」
「勘違いするな。我は貴様に屈したのではない、我自身の不甲斐なさに屈したのだ」
「ふぅん?」
腕組みをしたユーゴは、細目で訝し気に小型亡獣を見つめる。
水晶の猫は仰向けで憮然とした顔を見せていたが、観念したように息を吐いた。
「はぁ、細かいことを気にするな。我は貴様を攻撃したことで、女王様による『禁止』命令を受諾してしまったんだ。既に貴様には逆らえん身体でな。試しに我へ命令してみるといい」
「そうだなぁ。なら、名前を教えてくれるか。《クリスタルム》での階級があれば、それも追加で頼む」
彼がそう言うと、小型亡獣がすらすらと言い連ねる。
「名前、というか個体識別は我にとって意味がない。呼び難いなら、この姿の元になった個体名――――オリビアと名乗ることにする。階級などは存在しない」
「オリビア? 雌なのか」
「性別も存在しない。貴様が雄を望むのであれば、そうしよう」
「別に望んじゃいないが」
「そうか。では、我も玉を生やさずにおこう」
「生えるのかよ」
手で顔を覆う彼であったが、小型亡獣――――オリビアの表情はどこ吹く風だ。
むしろ自慢げにさえ聞こえる口調だった。
「一瞬で生やせる。疲れはするがな」
「いや、無理に生やせとは言わないから……それより、《クリスタルム》の兵力ってどんなものだ?」
ユーゴは質問を続ける。
どこまで話が聞けるかどうかは知らないが、偽情報であっても貴重な情報源なのだ。
殊の外、情報が洩れてこないのが《クリスタルム》という国だった。
その国の兵士オリビアが、事も無げに言う。
「具体的な兵力は知らされていないな。そもそも、我らにとって兵士というものは役割に過ぎん。職業ですらない。しかし、貴様の意に沿う言葉で言うなら、我ら全部が兵士だ」
「……全部が兵士かぁ」
彼は口を曲げた。
つまりは国民総兵士というわけだが、役割であればそれ以外の者もいるはずだ。
そして、オリビアも全兵力を知らないのであれば、情報統制がしっかり行われているということである。
貴重な話が聞けているとは思うが、それも中止せざるを得なくなってきた。
戦鎧騎の足音が近づいてきているからだ。
小型亡獣の処遇に困ったユーゴは、オリビアを見つめた。
半透明の結晶が目立っていて、どんな言い訳も通用しそうになかった。
少なからず被害を出した風車騎士団にとっては、排除の対象でしかないだろう。
「全然信用したわけじゃないが、一先ず降参を認めようか。ちなみに、その姿は変化出来るんだな?」
「生やすのか?」
首だけ起こして見つめてくるオリビアだった。
彼は首を横に振る。
「そうじゃなくて、色を変えてくれ。匿うにしても、見た目が水晶だと弁解も出来ないぞ」
「……うぬ。光の屈折率を変えて対応しようぞ」
小型亡獣がそう言うと、見る間に色が変わり、偉そうな猫そのものになった。
相変わらず牙は長いが、これならば野良猫と言い張ることも出来るだろう。
「あと、俺と二人きりのとき以外は、言葉を喋るなよ」
「貴様、我を馬鹿にしているのか。それくらいは分かっている!」
オリビアが身体を丸めて起き上がり、身震いした。
舐めた己の手で顔を擦り始める。
「さて」
ユーゴが背後を振り向くと、そこにはナイガンの駆る戦鎧騎が立っていた。
腹部装甲が開き、毛むくじゃらの顔が見える。
「お、おい、やりやがったのか……」
ナイガンが見つめていたのは、首から上の無いスミロドンだ。
歓喜に震えるというのであれば、まさにその通りの振る舞いであった。
それに水を差すようで悪い気がしたのだが、ユーゴは正直に言った。
「俺は何もしてないぞ。知らない銀髪の男が、これの頭を銃で吹き飛ばしたんだ」
「ああん? 銀髪だぁ? そいつはまさか……おい、その話は誰にもするんじゃねぇぞ。こいつを殺したのは、手前の手柄にしとけ」
「遠慮したいな」
「悪ぃようにはしねぇよ! 後から何とでもならぁ。とにかく今だけはそれで頼むぜ、なあ?」
曲がりなりにも騎士団長からそう言われると、頷くより他ないユーゴであった。
騎士になりさえすればこの街からも出ていけるわけで、渋々に承諾する。
「まあいいけど、騎士にはなれるんだよな」
「当たり前ぇよ! こいつは大手柄だ!」
豪快な笑いが、木々に反響して木霊した。
それを聞きつけるようにして、続々と風車騎士団の面々が集まって来るのだった。




