「誕生」2
朝の八時二十分。
公立和ノ川高等学校2年A組。
俊平は自分の席に着くと、また小説を読んでSHRを待つことにした。
だが、一ページもめくることなく、クラスメートに声をかけられた。俊平にとっても、なかなかに自分に近しいと感じる友人、春島純一だった。
「何読んでんのさ。シュン?」
俊平が呼んでいる小説のカバーを睨みながら、純一は訊ねる。俊平は、目次のページまで遡り、タイトルを示した。途端に、純一が顔をしかめる。
「それ、映画のやつ見たけど、すっげえグロかったぜ。面白いの?」
「面白いよ」
即答を返すと、純一は複雑そうな笑みを作った。
「ラノベじゃないのに?」
「ラノベじゃないからって、面白くないなんてことはないだろ!」
少しムキになって返した。
気圧されたわけでもないだろうが、純一は降参を示すように両手を上げた。
「物騒なもの読むよな、シュンも。そうじゃなくたって、この街って結構物騒だってのに」
「物騒? この街が?」
小学生の頃から住んでいるが、いたって普通の街だと思っていた。
「二〇一三年から一五年ぐらいまではかなりヤバかったじゃねえか。ほら、女ばっか狙われたΔ殺人に、本当に出たっていう狂わせ女、沢木マンションが急に崩れた事もあったな。そうそう、最近じゃ吸血鬼殺人なんてのもあるな」
二〇一三年の春あたりに有名になったΔ殺人事件、冬頃になって目撃例が多くなったという通称「狂わせ女」の怪談、二〇一四年の夏に原因不明の全壊を遂げた旧沢木マンション。いづれも聞いたことはあるが、俊平はその時まだ小学生だった。
ただ、吸血鬼殺人というのは俊平にも実感がある。今から二年ほど前に始まった連続殺人事件で、被害者は皆大半の血液を奪われた状態だったことが、名前の由来だ。奪われた血液量は被害者でそれぞれだったが全員致死量を超える量で、全量を奪われた被害者もいたという。極めつけは、犯人が未だ逮捕されていないということだろう。
事件当初は俊平も本物の吸血鬼だと恐怖したものだが、今となってはその恐怖心も風化してしまった。恐怖を払拭する方法はいろいろあるだろうが、俊平の持論は「大体時間が解決してくれる」であった。
「そうだ。シュン、知ってるか?」
「…………何が?」
「この学校でも事件が起こったことがあんだよ」
そりゃあるだろ、と俊平は思った。創立百年を超えている、というわけでもないが、和ノ川高校の歴史は意外と古い。
進学校として有名だが、生徒の自殺か、不審人物の侵入か、それくらいの事件はひとつくらい起こっているだろう。
「二〇一五年の文化祭ん時なんだけどさ。猟銃持ったテロリストたちが学校に押しかけてきたんだと」
頬杖をついていた手が、がっくりと外れた。
「随分最近だな。よくそれで学校運営が続いたもんだ」
普通、廃校になってもおかしくないと思うのだが。
「なんか、死人は出なかったって話だぜ。テロリストも無事逮捕できたらしいし。でも、そうだな……これは噂なんだけど、この事件で、一人だけ、行方不明者が出たらしいぜ」
「行方不明って、なおさら廃校にならないの?」
「だから噂なんだって。でも、実際にその年度の卒業生の数と、その代が入学した年の新入生の数って、違うらしいぜ?」
純一は、怪談を語るような口調で語尾をひそめた。
しかし、俊平は冷静に返答する。
「そりゃ当然だろう。転校とか留年とか、あとは退学とか? で、入学した生徒数がそのままの状態で卒業まで向かうなんて、それこそ稀なんじゃないの? ていうか、そもそも行方不明者は三年生だったわけ?」
ばれたか、と純一は舌を出した。
「行方不明の噂は本当だぜ? 実際は連絡不通になった生徒はいなかったみたいなんだけど……」
「だろう」
少し得意になったように、俊平が鼻を鳴らす。
そこで、SHRを告げる鐘が鳴り、話はそこで打ち切りになった。
午後の昼休み。教室で。
「また復讐者が出たんだってよ」
弁当のタマゴサンドを頬張りながら、純一がそんな話題を投げてきた。
「復讐者って、また?」
「ああ、今度は俺んとこに来たんだよ」
「そう……」
純一が話しているのは、最近流行のオンラインゲーム内での、ちょっとした噂だった。
「なんで締め出さなかったのさ?」
「入場ってきた時はコメントが非表示だったんだよ。いざクエストに出たところで『これは復讐だ。』だよ。あーあ。結構レアアイテムあったんだけどな。シュンのところには出てないのか?」
「うん、出てない」
俊平も時折ログインするが、復讐者なる悪質なゲーマーには遭ったことがなかった。
「幸運だな。最近頻繁に出るってのに」
「俺、最近家が忙しいからなかなかログインする時間がないんだ」
何故、忙しいのか、その部分は言わない。
「てことは、暇を見つけてログインして、それで復讐者に遭わないってのか? すっげえ幸運じゃねえかよ。今じゃもう、ログインすれば高確率で復讐者にエンカウントって言われてんのにさ。まあ夜限定の話なんだけどな」
うんざりしたような挙動で、純一は天井を仰いだ。
「まじかー。クラス人気ナンバー1は持ってるモノも違うのかよ」
俊平は、軽く苦笑うだけに留めた。本当を言えば、持ち上げられるのは非常に嫌なのだが、純一との友情を優先して言いはしなかった。
俊平にも劣らないルックスを持つ純一は、女子からの人気も高いはずなのだが、純一本人としては俊平より下だと思ってるらしい。
「なーにー? またゲームの話?」
女子の声が、割り込んでくる。
2年A組一番の情報通として知られる、南原順子だった。最近、俊平や純一と話す機会が多いクラスのトラブルメーカー兼ムードメーカーだ。
「順子、復讐者って知ってるか?」
「アベンジャー? なんで英語?」
「『ユグドラシル・フロンティア』のオンラインバージョンで有名なんだけどさ」
順子は首を傾げた。
「私がゲームのこと知ってるわけないじゃん。で、なんなの、そのアベンジャーってのは?」
「うん、あるプレイヤーの通称なんだけどさ。キャラクター同士で出遭った時とか一言コメントみたいなやつがあるんだけど、復讐者は『これは復讐だ』てコメントにしてるんだよ。で、クエストとかに出るとPKばっかやってくんだよ。困ったことにさ、持ってるPK用のスキルが悪質で、PKされた奴は皆アイテムとか所持金盗られてるんだよな」
「……うーん、さっぱり意味わかんない」
純一自身も、途中から用語の説明を飛ばして話していた。
俊平は、助け船を出すことにした。
「要は、ゲームの中で他人を騙して盗みをやってる悪質なプレイヤーってこと」
「さっすが沼宮君、わかりやすい。でも、それだけなら別によくあることじゃないの?」
「確かによくあるけど、この復讐者ってのはかなりの厄介者なんだ。PK用のスキルっていっても、たくさんある。その中でも、復讐者は持てるスキルの内のほとんどをPK用にしている。それにかなり騙すのが上手いらしいし。まあ、他のPKプレイヤーより頭みっつくらいは抜いてるかな」
曖昧な表現になってしまったが、俊平もただ聞いた話をそのまま言ってるだけなので、説得力に乏しくても仕方がない。
「かなり嫌みな奴ってこと?」
「うん、とりあえずはそんなとこ」
「沼宮君は騙されたことあるの?」
「いや、俺はいろいろ幸運が重なって、まだ遭ったことすらないよ」
ふーん、と数回頷いて、順子は意地悪そうな笑みを純一に向けた。
「沼宮君はいいモノを持ってるみたいね~」
「ほっとけ」と、純一がムキになる。
俊平は、純一に気付かれないよう、そっと笑った。
「そう言えば、その復讐者っての、プレイヤー名はなんていうの?」
ふいに疑問に思ったのだろう、質問する順子の表情には、単純な訝しみがあった。問いに答えたのは、純一だった。
「定まってないな。ゴーダンとか、ヘッポコ騎士とか、スメルダニウスとかって、いろいろあるんだよなあ」
「はあ? 何よそれ? どれが本物?」
「だから、どれも本物なんだよ。複数のアカウントデータ持ちか、PK集団じゃないかってもっぱらの噂」
「複数アカウントって、できるの?」
「できるできる。他の奴はあんまやんないけど、できないことじゃないんだ。ひとつのゲームデータには最大でみっつアカウントが作れるし、メモリーカードを使えばそれこそたくさんできるぜ」
純一の解説に、順子は頭を抱えた。比較的わかりやすい解説だったように思えるが、順子にとっては定期テスト並みの理解度だったようだ。
「できるってだけ覚えておけばいいさ」
再度出された俊平の助け船に、順子は苦笑しながら頷いた。
「そうしとく。あっ、由香~!」
ちょうど教室に入ってきた女子生徒に、手を振った。
由香という名前を聞いて、俊平は胸が高鳴るのを感じた。
「どうしたの、順子?」
クラスのマドンナ、如月由香だった。
背中にかかるくらいのロングヘアーの黒髪をまっすぐに流し、大人しそうな顔だちもあって、クラス内だけでなく、学年でも人気が高い。
由香は、俊平を見つけて、わずかに口元を結んだ。
「今ね、純一と沼宮君と話してたんだけど、復讐者って、オンラインゲームのプレイヤー知ってる?」
「アベン? ああ、ユグドラシル・フロンティアの?」
「え? マジ!? 如月さん、やってんの!?」
純一が、目を瞬かせて食い付いた。
由香は若干引いた挙動で、純一に応じた。
「始めたばかりで、全然やる時間が持てないんだけど、一応、がんばってるかな」
「へー、意外だな。な、俊平?」
突然、純一が話を振ってくる。
「え? ああ、うん。意外だね」
心からの本心を言う。実際に、俊平は由香がユグドラシル・フロンティアをやってることが意外だった。
「沼宮君も、やってるの?」
おずおずとした様子で、由香は訊ねた。
俊平は、軽い会釈と一緒に、肯定の頷きをして見せた。
「へー」
由香の表情が、明るくなった。俊平は、釣られて緩みそうになった口端を、なんとか抑えつけた。
クラス一の美少女は、なんとも嬉しそうな表情を浮かべている。意外な人物が同じゲームをやる仲間だったことに、驚きと共感性を抱いているのだろう。
会話は、PKプレイヤーの話から、いつの間にかゲームそのものの議論へと移り変わっていた。
公立和ノ川高等学校は、部活動への強制参加などの校則はない。
六時限目が終わり、SHRも終え、掃除の分担が今月はない俊平は、早々に下校した。
「待って―。沼宮君――!」
校門で、呼び止められた。
振り返ると、如月由香だった。
「如月さん?」
「私も帰り道はこっちなの。今日はテニス部もないし、沼宮君を見かけたから声かけようと思って」
何とも、嬉しいことである。クラス一の美少女と下校を共にするなど、舞い上がってしまいそうだった。
「沼宮君、家の方は大丈夫なの?」
舞い上がっていた俊平の意識が、一瞬で、コンクリートで舗装された歩道に引きずり下ろされた。
「え? どういう、意味かな?」
恭子の事は、学校では誰にも話していない。そもそも、言ったところで恭子が家の外で被っている、あの品のよさそうな教育ママな皮を剥がせるとは思えない。かえって、何らかの経由で恭子の耳に届き、俊平にとばっちりがくるに決まってる。恭子の本性を曝け出すこともできず、恭子にチクリがばれて大目玉。
そんな理由で、俊平はプライベートはできるだけ隠しているのだが。
「だって、沼宮君、いつも自分の家族の話になると暗い顔してるじゃん。お父さんとか、お母さんが、事故に遭ったりして亡くなってたのかなーって思って」
由香の推理は、根本だけで見ればかなり真実に迫っている。
だが、ベクトルが違うせいで、全体像は全くの的外れである。しかし、俊平にとってはこの間違いは救いだった。
「事故には遭ってないけど、あんまり話さないから。ちょっと、寂しいかなーとは思ってたんだ。でも、最近いいことがあったから、そこまで寂しくはないよ」
由香は途端に何と言っていいのか困ってるような表情をした。
「いいことって、何があったの?」
「うん、秘密」
俊平がたてたシナリオでは、いいこととは由香との出会いのことだった。しかし、いくら誤魔化しのためとはいえ、由香に対する感情を利用するのは、自制したのだ。
学校では家庭環境の事は禁句だ。それを通すためなら、哀愁にまみれた嘘話も仕方あるまい。
実際は、最近話していないじゃなく、もとから会話などしていない、なのだが。生まれて物心がついたときから、母親である恭子からは愛情をもらった覚えがない。子供が苦手なのに、子供を三人も作るからあんなにヒステリックなのだろう。おまけに、剣道四段、空手道六段、柔道五段の腕前だ。喧嘩で父将一が勝てるわけもなく、今では俊平がかろうじて互角といった具合だ。
恭子は、沼宮家で実質的な独裁者だった。
「そう言えば、沼宮君はユグドラシル・フロンティア、どこまで進んでるの?」
「一応、ストーリーモードは第九章まで進めたかな」
「すごーい。私なんてまだ第四章だもん。……ねえ、今度、教えてくれないかな?」
上目遣いで、問われる。こんなに可愛い少女が隣を歩いているなんて、夢じゃないだろうか。俊平の心臓は、早鐘を打っていた。
「えっと、二人の都合が合ったらね?」
「……! ありがとう」
由香が輝くような笑顔を浮かべた。
由香の住まいは、この街でも有名な沢木マンションだった。五年ほど前、突如として瓦解した旧沢木マンションの後継的なマンションで、通称「新沢木マンション」だ。実を言えば、ほんの二年ほど前まで沼宮一家が住んでいたマンションだ。
「じゃね。沼宮君、また明日」
手を振って、由香はロビーへと消えていった。
その直後、声をかけられた。
「あれ? 俊平君じゃない?」
知っている声だった。
「竜治さん」
このマンションに住んでいた頃のお隣さんだった。どうやら、彼も沢木マンションへ帰るところだったらしい。
身長は、一七〇ほどらしいから、俊平より五、六センチほど低いだろうか。顔立ちも同年代に見えるが、彼は俊平より年上だ。決して、穏やかそうな顔立ちではなく、むしろ若干鋭い目つきだが、俊平は幸い、彼の性格がいたって温和な方であることを知っている。
「やあ、どうだい。小説の方は?」
「今、第2章の最中です。面白いですね、あれは」
「ああ、第1章で、主人公の異常性が垣間見えたからね。本当にハラハラするのは、これからだけどさ」
竜治は、少し得意そうな表情になって言った。
「ですよね。俺も、もっと早く読み進めたいんですけど……」
俊平の読書スピードは、一日に百ページ進めば上出来といった具合だった。たった一日で二百ページ以上を読み進めてしまう純一や、他のクラスメイトたちには、実に羨望の感情があった。
「まあ、無理して読んでも内容が頭に入らないと、読書していてもつまらないから」
苦笑い気味に、竜治はフォローをいれた。
「そうですね。……あっ、そう言えば、竜治さんって和ノ川のOBでしたよね?」
ふと、そんなことを思い出した。
「うん? まあ、そうだけど、なんで?」
「ちょっと質問なんですけど、二〇一五年に和ノ川にテロリストが侵入したっていう話、本当なんですかね?」
同年代に見えてしまうが、竜治は俊平より五歳は上だ。二〇一五年となると、竜治は十八歳。ちょうど、三年生のころである。
「ああ、秋和祭の日のやつか……。うん、たしかに、その年は結構荒れたみたいだね」
「荒れたって……竜治さん、いなかったんですか?」
その時、俊平は一瞬だけ、竜治の眉が震えたのを見た。
「……いや、その日はさ、ちょっと風邪をこじらせちゃってたみたいで、残念だったけど早退したんだ。まあ、一日目だったし、二日目は全快したからよかったんだけどね。もっとも、そのテロリストのせいで秋和祭は中止になっちゃったんだけど。でも、テロリストが来る前に帰ったってのは、結構運がよかったかもしれないな」
肩を落としながら語る竜治に、俊平は少し同情した。
「それにしても、この街って結構物騒だね。Δ殺人とか、吸血鬼の事件とか。みんな、俺がこっちに越してきてから起こったことなんだけど」
竜治は俊平と違って、高校進学と同時にこの街に越してきた。実家は、隣町の名沢町にあるらしいが。
「それはまた、竜治さんはトラブルを引きつける困った体質、てことでしょうか」
「よしてくれよ」
竜治はしかし、笑っていた。
「今も物騒なんですかね……」
俊平は、声を落として言った。
「うーん、どうだろうね」
竜治は、顎を軽く撫でながら、曖昧な返事をした。
「物騒なのは不安?」
「そりゃあ、不安ですよ。いきなり襲われたりしたらとかって考えると……」
しかし、一番に怖いのは、やはり家の外ではなく中だった。毎日怒り暴れ続ける恭子の存在と戦闘力は、並の通り魔やテロリストを凌いでいる。
「ふむ。じゃあ俊平君には、これをあげようかな」
竜治は、ズボンのポケットから銀色の文房具のようなかんじの棒を取り出した。習字で使う文鎮で、銀色のものをふたつ繋げて折ったような形状。前後の会話の流れから察すると、折り畳み式のナイフだろうか。
流れるような自然さで、竜治は開刃した。見惚れるようなスピードだった。
「護身用として、ね」
再び閉刃してから、竜治はナイフを俊平に手渡す。
「ありがとうございます。でも、俺は竜治さんみたいにほいほい出せませんけど……」
「何事も慣れだよ。それと、躊躇わないことだ。たしかに刃を出すときに持つ向きを違えると怪我の危険があるけど、一度やると決めたらしっかり覚悟を決めて臨むこと。そうすれば、すんなりと上手くいく」
使わないに越したことはないけど、と竜治は付け加えた。
「ありがとうございます」
「いやいや。じゃあ、気を付けてね」
竜治は、沢木マンションのロビーへ姿を消した。
しばらく沢木マンションの入り口を見つめながら、俊平は思う。
この強力な得物も、結局のところは家では役に立たないのだと。




