放蕩息子の帰還
先日、父が死んだ。将来に対する考え方の違いから私は父に反発し、高校卒業と同時に家出同然で飛び出して上京したまま、ここ十数年の間父とは顔を合わせていなかった。葬式にも通夜にも出席せず、結局十年前の宣言通り、死んでも私たちが二度と顔を合わせることはなかったわけだが、先日母親から遺品の整理を手伝うように電信が入り、母に対する後ろめたさも手伝い、私は十数年ぶりに我が家へ帰宅することになった。
遺品の整頓をしていると、にわかに古い時計がでてきた。ベルトの光沢や金属部分のサビ具合などからずいぶんと年季の入った品物であるということは想像できたが、不思議と針だけは新品のように正確な時間を刻み続けていた。
「それ、父ちゃんの時計だ。」
私の後ろの方で遺品を片づけていた母親が手を止めて言った。「父ちゃん、その時計ずっとあんたに渡そうと思ってたんだよ。あんたが帰ってきたら渡そうと思って、毎晩きちんと手入れして……。なんも言わんかったけど、きっとあんたのこと一番心配してたのは父ちゃんだったんだ。許してやってくれんかな」
私はまだ幼く、父と手をつないで歩いていたとき、常に彼の手にはその時計が付けられていたのを思い出した。父が初めて働いて得た金で買った時計だった。時計は長い歳月を父とともに生き、そして父が死んだあとでさえも私が帰ってくるのを待ってずっと動き続けていたのだった。
私は生まれて初めてきちんと父と向かい合ったような気がした。時計は何も言わず働き続けた父の背中に似ていた。無口でいかつく、頑固な時計だった。突如として、父に反発してすごしてきたこの十数年の歳月が一気に押し寄せてきて、私は初めて涙を流した。