田中平課長の憂鬱 後編
遅くなりました。
あくまで暇な時に書く趣味なのでご容赦を…
私は、すぐに身体を起こして声のした方に視線を向けた。
まさか動く死体が入ってきたのかと思ったが、それとは別の出来事だった。
視線を向けた先には園崎くんと長谷川、そして倉岸がいた。
「おらぁ!!大人しくしくしてろぉ!」
と声を荒げ、長谷川は嫌がる園崎くんに馬乗りになりながら乱暴に髪を掴み、無理矢理服を脱がそうとしている。
倉岸は暴れる園崎くんの腕や口を必死に押さえ付けようとしていた。
「いやぁ!離して!」
と園崎くんは必死に抵抗しながら叫んでいた。
瞬間、私の身体は園崎くんを助けるために理屈や思考など一切働かず勝手に動いた。
「ぐっ!?」
しかし、私が飛び掛かる前に長谷川は言葉にならない声を出し、真横に吹っ飛んだ。
少し身体がフリーズしたが、すぐに状況を理解した。
そこには、私が食料確保に出る時に声を掛けてくれた男子社員がいた。
その社員は長谷川を飛ばした後、続けて倉岸を園崎くんから引きはがして顔面をぶん殴った。
事態が飲み込めず、様子を見ていた他の社員達には長谷川達を押さえ込むよう指示を出していた。
さらに、紐の代わりにガムテープを手足に巻いて二人を拘束した。
そして、園崎くんに毛布を掛け無事を確かめるという気遣いまで見せた。
私が園崎くんに話かけたのはそれから10分後だった。
園崎くんは少し落ち着きを取り戻したようだが、顔に覇気はなく、表情からはあの時見せてくれた笑顔の欠片も見られなかった。
私は一番近くにいたというのに彼女を守れなかったのだ。
いっそ罵倒され、辛辣な言葉を吐き捨ててくれた方がどれだけ楽だったか…
彼女に話しかけても私を怒るでもなく、咎めるでもなく、ただ俯き黙っていた。
それ以上その空気に耐え切れず、私は逃げるように社員達が集まっているデスクへと向かった。
「てめーら専務にこんな事してタダで済むと思うなよ!!!」
その場に着いて最初に聞いたのは長谷川のそんな言葉だった。
そこにはデスクを背に手足をぐるぐるに巻かれた長谷川と倉岸がいて、それを取り囲むように数人の社員達がいた。
話を聞くとヤりたくなったから襲ったらしく、私が彼女を部署に連れ帰った時から目をつけていたらしい。
少しは罪悪感があるかと期待したのだが、逆に怒りだして自由にしろだの、後悔しても知らないぞだのとまったく反省の色が見られないかった。
「どうしますか?」
と真っ先に園崎くんを助けた社員、名前は芦田というらしいが話かけてきた。
「どうと言われてもなぁ。」
正直私は彼らをどうこうする立場でもなければ義務もない。
本来なら被害者の園崎くんに聞くべきだが、今はショックでふさぎ込んでしまっている。
なので私達で長谷川達の処遇を決めなければならない。
「…殺すべきだ。」
誰かがそう口にした。
続けて
「そうだ。」「その通りだ。」
と言葉が続いた。
やがて皆が口々に、殺せ殺せと言い出した。
私と芦田は少し困惑した表情に変わる。
長谷川と倉岸はもっと焦り顔面が蒼白していた。
確かに長谷川達のやったことは決して許されることではないが、殺すというのは少しやり過ぎという気がする。
皆はやはり閉鎖されて希望の無い状況に呑まれて、冷静になれないのだろう。
私がなす術もなく立ち尽くしていたら、後ろから
「もういいです…」
その声の主は園崎くんであり、不思議なことに部屋にいる全員に透き通るように聞こえた。
皆は声が聞こえた方に向き注目した。
「確かに長谷川さんと倉岸さんのやられた事は許される事ではありません。許す気もありません。」
皆が押し黙りその言葉の続きを待つ。
「しかし、裁くつもりもありません。人はみんな何かしらの過ちを侵して生きています、それがこんな状況なら尚更でしょう。」
「その行為自体を肯定はしません、それでも二人に罰を与える事は私にはできません、それが私の結論です…」
皆は口を閉ざしそれぞれ困惑した顔を浮かべる。
そして次に芦田が
「それでは長谷川と倉岸専務は縛り付けたまま、食料は皆と同じ分を配給ということでいいですね。」
と話を締め括った。
皆一様に不満が残る顔をしていたが渋々首を縦に振った。
園崎くんは芦田に
「ありがとうございます。」
と礼を述べ、再び毛布にくるまった。
私はその一連の流れを見て何をするでもなく、ただ黙って突っ立っていた。
そのあと私はドアのバリケードと長谷川達の監視を順番に代わり夜を過ごした。
窓から太陽の光が差し込み、顔を擦りながら朝になった事を理解した。
あれから特に何も起きずに朝になった。変わった事といえば部署の前にいる動く死体が増えたことぐらいだろう。
いまだに園崎くんは少し元気がなく、あれから話はしていない。
正直、今の園崎くんは見ていて痛々しいのだがどう声を掛ければよいのかわからない。
他の社員達も元気は無く、ただ呼吸をするだけの死体のようだ。
とりあえず娘から連絡がないか携帯を確認したが、なにもなかった。
一体この街はどうなったのだろう、本州は無事なのだろうか?
娘は…
様々な不安が頭をよぎっては抜ける。
と悲観的な事に頭を巡らせていると、外から何かの音が聞こえてきた。
その音は次第に大きくなり、ヘリのローター音であると気付いた。
皆もその音に気付き、窓に張り付いて外を見る。
だんだんと形がはっきりとしていき、それが軍用ヘリだとわかった。
まさか騒ぎの中この場所を知り、救助しに来たわけではないだろう。
おそらくは何かの任務を受けビル群の近くを通っているだけだろう。
だが我々も助かりたい、なんとか気付いてもらいたい。
このチャンスを不意にすると次に助かる可能性が出て来るのはいつかわからないのだ。
みんな気持ちは一緒のようで窓を叩いたり叫んだりしている。
私も何かしようと思った瞬間窓ガラスが割れた。
窓を割ったのは芦田だった。彼は
「みなさん窓を割ってデスクやコピー機を外に投げ棄てて下さい!ヘリのローター音は非常に大きいので音より行動で気付いてもらうんです!早く!!」
そう叫ぶと同時に、皆がすぐさま動き出してデスク等で窓を割り、地上へ落としていく。その間にヘリはビルの上を通り過ぎ、どんどんと遠ざかっていった。
誰かが作業を辞め
「駄目だった…」
と呟きうなだれた。
他の社員達も一気に力が抜け、その場に座り込む。
そんな諦めの空気が周囲に漂いはじめた時、外からヘリのローター音が部署に響いてきた。なにが起きたのか、みんなは顔を上げて割れた窓に殺到して外を見る。
するとヘリからメットとチョッキを付け、銃火器を装備した一人の男性が顔を出した。
手には拡声器を持ち低い声で
「みなさん、無事ですか救助しにきました。」
と言った。
それと同時に社員達からは歓声があがった。
だが続けられた言葉は非情なもので
「しかし、我々はこのままではみなさんを救助できません。」
というものだった。
やはりビルに近付くと、風圧でガラスが割れ危険だからという理由だった。
彼らは打開策に屋上に登ってきてくれと提案してきた。
そうあの動く死体がいる中をだ。
彼らは私達を助ける気がないんじゃないか?
とも思ったが私達に選択の余地がないのはわかっていた。
が社員達は納得できず
「ふざけるな!」
だの
「助けに来い!!」
など罵声を浴びせた。
がローター音で声が聞こえないのか分からないが
「三十分後屋上に来て下さい!」
とだけ告げられ、そのままヘリは飛び去ってしまった。
そして皆は一様にこの世の終わりを見てきた後のように顔が青ざめ、静まりかえってしまった……
沈黙の後芦田が
「これからどうしますか?」
と皆に問い掛ける。
が、誰からも返事はなく、私もどうしていいかわからずに押し黙ってしまった。
こんな消極的だから私は未だに課長なんだ、と自分を罵倒してやりたかったが今更性格を変えるなんて無理か…
といつも通り自己完結して思考をやめてしまった。
するといつのまにか毛布から出ていた園崎くんが
「私は屋上に行きます。」
とさっき長谷川たちに言ったような熱の入った言葉で叫んだ。
芦田は
「奇遇ですね僕も屋上に行く所です。」
と歯が浮いてしまうようなキザなセリフを続けて言った。
そこからは、俺も行くや駄目だ行けないなどと両方の意見が出た。
結局、屋上へ行きたいと言ったのは全体の三分の二の十数人ほどだった。
ちなみにその中には倉岸と長谷川がいる。
もちろん私もだ。
正直、私は行きたいとは思っていなかったが、園崎くんが心配だったのと…
もう一度だけ生きて娘に会いたい。
そんな叶うはずのない願いの為だった。
ふと時計を見ると午前7時10分……普段なら家を出ている時間だ。
十数人の社員達がドアの前に固まり息を殺している。
作戦は簡単だ。私が食料確保の時に出た喫煙室から廊下に出て、近くの階段から屋上に向かうというシンプルなものだった。
もう少しまともな案もありそうだが、残り15分で屋上に着かなければならないこの状況でそんな余裕はなかった。
見渡せば皆は武器?になるかわからないが棒状のものや鈍器になりそうなものを持っていた。
そして先頭にいた芦田が
「行きますよ。」
と声をかけると全員が気を引き締めた。
隣の社員の唾を飲み込む音も聞こえる静寂の後、芦田が素早くドアを開けた。
外に動く死体がいないことを確認すると続けて二人、三人と出ていった。
と急に私の前にいた倉岸が
「どけぇぇえぇ!」
と叫んで走り出した。
皆驚き何人かは横に薙ぎ倒された。
それにならったかのように長谷川も
「待てや、くらぁぎしぃぃ!」
と叫び後を追った。
少し混乱した我々の頭をさらに混乱させたのは、動く死体達の呻き声であった。
それはあれだけ叫べば気付かれるのも当然と言えるだろう。
死体達は赤ちゃんのハイハイをするかのように、腐臭を放つ頭を揺さぶりながら両手を出し私達に近付いてくる。
半狂乱になった社員達は、我先にと倉岸と長谷川が先に行った階段を登っていった。
私も当然続…きたかったが振り返ると、園崎くんが足首を押さえて苦しそうにして芦田が横にいた。
この騒ぎの中、園崎くんが怪我をしたのにも気付かないとは……
私はつくづく駄目な中年だ。
という思考はひとまず辞めすぐに二人の側に駆け寄る。
動く死体が迫っているのだ早くなんとかせねば。
園崎くんに
「動けそうか?」
と聞くと
「駄目……そうです。」
と返してくれたが今更もと居た場所に戻るわけにはいかない、そう我々は生きるために屋上に行くのだ。
芦田が口を開こうとしたのを遮り、園崎くんをおんぶした。
「課長っ!?」
という言葉を無視して、私は芦田に先導を頼み、老化中の体に鞭を打ち階段を一段一段上がる。
園崎くんは最初のうちは遠慮したような顔をしていたが、納得してくれたのか
「すみません。」
と一言謝り無言で肩を掴んでくれた。
何階か上がり少し動く死体から遠ざかったと思ったら、今度は前方から呻き声が聞こえた。
その顔はよく見覚えがあり、さっき1番早くに階段を登った倉岸である。
上で何があったかわからないが、後ろからは動く死体が迫っている。
ここは強引に突破するしかない。
私は身構えていた芦田に園崎くんをおんぶしてもらい、替わりに持っていた鉄製の定規を受け取った。
二人共何かを言おうとしたが、それを遮り私は
「倉岸の気を引くから先に屋上に!」
と叫んだ。
私もつくづく頭が回らない男だ。上にはまだ動く死体がいる可能性が高いというのに…
が芦田は頷き、私よりも軽快な動きで階段を駆け上がる。
園崎くんは
「死なないでください課長!」
と言った。
中年のサラリーマンには無理な頼みだ…
だがまだ死ぬ訳には行かない……まだ
と二人に噛み付こうとした倉岸の頭に鉄定規を思いきり振り抜いた。
少しへこみ、目や口から滴っていた赤い血が勢いよく吹き出した。
が動きを止めることはなく、芦田たちから狙いを私に変えて手を伸ばしてきた。
その時視界が一瞬飛んだ。次に映し出された光景では倉岸が階段の下に落ちて呻いていた。
どうやら避けようとして滑り、階段からは奇跡的に落ちずに倒れたようだ。
肩に痛みが走ったが、今はそんな事気にしていられなかった。
私は先に行った二人の後を追ったが、屋上に繋がる二階下の廊下に出たとき上から多くの呻き声が聞こえた。
上には行けそうになく、二人が迂回して上がるであろう階段を目指す。
不思議なものだ。
体はいつもより軽く、気分も高揚して、清々しい気分で走っている。
私の生きてきた50年間若い頃を含めてこんな気分になったことは初めてだ。
と何かにつまずく、とっさのことで私は受け身が取れずに顔面から倒れた。
振り向くと社員の一人だった。頭からは血を流して死んでいた。
後ろから呻き声が聞こえてきたので、考えるのをやめてすぐに迂回した階段を登った。
ふとあの社員は動く死体のように肌の色は変色していなかったなと思った。
と先に階段に登っていた二人に合流した。
芦田も流石に疲れたようで
「無事でよかった。」
と息を整えながら言った。
園崎くんは泣きそうになりながら
「よかった。」
と言ってくれた。
「行こう。」
と私が仕切りながら屋上に続く階段に上ると、二人も後に続いた。
なんとか間に合ったと時計を見て安堵した次の瞬間
ガチャッ
「…開きません。」
と芦田が最悪の事実を告げた。
一瞬意味がわからず鍵が掛かっていたのか?
だが昨日休憩した時には開いていたし…
と芦田が拳で扉を叩き
「誰かいないのか?開けてくれ!」
と叫んだ。
すると扉の向こうからは
「駄目だ開けられない。」
という言葉が返ってきた。
どうやら人はいるようで、鍵が掛かっているわけではなさそうである。
だがなぜ開けてくれない?
その瞬間、私は下で見た何かに殴られて死んでいた社員を思い出した。
と同時に芦田から鈍い音が聞こえ、園崎くんと共に下の廊下に転げ落ちた。
横を見るとそこには扉の端にある段ボールの陰から飛び出して、鈍器のようなものを持っている長谷川がいた。
長谷川は甲高い声で
「どうせ助からなぃんだよ、うひゃはゃはやはゃ!!」
と私に目掛けて鈍器のようなものを投げ付けてきた。
なんとか避けたと思ったが、肩にぶつかり嫌な音が響いた。
続いて長谷川は飛び掛かってきた。
その勢いで、私も芦田と園崎くんのいる廊下まで転げ落ちていってしまった。
扉の向こうからは
「大丈夫ですか?」「長谷川は危険です奴がいなくなるまでここは開けられません」
と好き勝手言う。
そういう重要な案件は最初に言ってほしいものだ。
とそう呑気に構えてる場合ではない。
長谷川は落ちた私に馬乗りになり殴打してきたのだ。
芦田は意識があるようだが、動くのにもう少し時間が掛かりそうである。
園崎くんは気絶したのか俯せのままである。
閉ざされた扉、迫り来る動く死体達、狂った長谷川。
なんとかこの状況を打破しなければ私達に生きる道はない。
しかし、さっき鉄定規を落として武器が無くなった。
武器もなく年老いた私が、バリバリでイケイケの長谷川に勝てるはずもなく成す術なく殴られ続ける。
が唐突に長谷川が横に転げた。
見ると、そこには目を覚ました園崎くんがいた。
彼女は、足の痛みを我慢しながら突き飛ばしたようだ。
威力はあまりなかったようだが、身構えていなかった長谷川の体勢を崩すには充分であった。
私はその隙に腫れた顔のまま、長谷川を後ろから羽交い締め…というか抱きしめたような体勢で押さえ付ける。
はたからみたら気持ち悪いことこの上ない絵面である。
と長谷川がもがきだし
「話せこのジジィイイィ!」
と叫ぶ。
が私も力を振り絞り必死に押さえ付ける。
「田中課長っ!」
と園崎くんが駆け寄ってこようとしたが私は彼女を制止させるため
「やめなさい!」
と怒鳴った。
さっきまで気がつかなかったが、今の間に動く死体が近くまで集まってきたようだ。
いたる所から呻き声が聞こえてくる。
私は園崎くんに
「先に屋上に!」
と叫ぶと
「嫌です!!」
と即答された。
「そうです課長を置いていくなんてできません」
とふらつきながら立ち上がった芦田も答えた。
「私はもう限界なんだ…頼む。」
二人に拒否されてもなお逃げて欲しい。
それに足を怪我している園崎くんと、意識が混濁している芦田と、体力の限界が近い私だけでは長谷川に勝てる見込みも少ない
ならばせめて…
長谷川はさらに唸りながら抵抗しだす
私ももう限界だ
「早く!」
私は残った力で声を絞り出す。
「課長、言ったじゃないですか…娘さんに会うって。」
と園崎くんは泣きだしてしまった。
「課長!生きて、生きて一緒に…」
園崎くんは私を見つめながら真摯に言葉を紡いだ。
だが私はこう答えた
「生きて会う前に大事な人を守れないような父にはなれないんだ…」
私も相当頑固なようだ。
「芦田!…」
と私は芦田を睨みつける。少し戸惑い、何か言いたそうな顔をしたが心中を察してくれたのか
「わかりました。」
といってくれた。
流石、私とは違い優秀な社員だ。
ふらつきながら園崎くんを無理矢理お姫様だっこして屋上へと駆け上がる。
「離してください!課長がまだ!」
と園崎くんは必死に呼びかけたが、芦田はどんどんと階段を昇る。
つい力が抜けてしまい
「HA☆NA☆SE」
と叫び、一掃暴れるまくる長谷川を離してしまう。
振り返り様に顔面を蹴られ鼻から血が噴き出す。
「このじじい、ぶっ殺してやる!!」
と吠えた所で上の扉が開く音が聞こえた。
これで安心した…
私にも…頑張ればできるんじゃないか、こんなことも…
長谷川はさらにブチ切れたようで、その辺にあった鉄定規を手に取り、私に振り下ろした。
だが私に届く前に、長谷川の首から勢いよく鮮血が噴き出した。
ドンドンッドンドン
「私だ!田中だ!」
と掠れた声で扉を叩いた。
すぐに扉は開き、屋上に入れてもらうと同時に平手打ちをお見舞いされた。
それをした園崎くんは顔が涙で腫れていた。
どうやら本当にすまないことをしたらしい
その顔を見ていると顔の痛みがさらに痛んだ。横にいた芦田の頬にも紅葉マークがついていたような気がしたが気のせいであろう。
ふと私は時計を見て
「まだ来てないのか…?」
と漏らしてしまう
みなの顔は歪み、生きていた社員が押さえる扉からは動く死体の呻き声と、扉をたたき付ける音だけが聞こえてくる。
私達はここで死ぬのか…
やっとたどり着けたというのに……
諦めかけたそのとき
ババババババババッ
とヘリのローター音が響き、我々の救いの方舟が現れた。
「みなさんこちらに集まって下さい。」
と低い声で先程の自衛隊員らしき男が我々に呼びかけた。
扉に棒を引っかけ動く死体が入れないようにし、我々は男の指示通り集まった。
そして女性から順にヘリへと乗り込んでいく。
園崎くんも安心したのか、今までの疲れがどっと噴き出したように中ですぐ座り込んだ。
無理もない、この一日で命の危機をたくさん味わったのだ。
これからのことを考えて、今は少し休んでも罰は当たらないだろう。
最後に私が乗り込む番に回ってきた。
園崎くんは
「これできっと娘さんに会えますよ。」
と屈託のない笑顔で言ってくれる。
私は少しだけ彼女の目を見つめた。
「?」
と園崎くんは不思議そうな顔をする。
「私は乗れないよ。」
と少しの沈黙のあと、私はそんな言葉を絞り出した。
「娘に会えたらよろしく伝えてくれ。」
「え?な、何言ってるんですか?」
彼女は、なにが起こっているのか把握できないといった顔だった。
私はその理由を教える為スーツの袖をずらした、そこには血が固まり灰色に変色している皮膚を見せた。
「………ッ!!」
園崎くんは言葉にならない声を出した。
「残念ながら我々は今発生しているこの奇病の対処方法を見つけてはいません。感染の疑いのある人間を乗せる訳にはいきません。」
と低い声の男が淡々と述べた。
芦田や他の社員達は気の毒そうな眼差しで見つめる。
「ああ、大丈夫わかっているよ。」
あの時、長谷川が噛まれた後に私も腕を少し裂かれてしまったのだ。
奴らに怪我を負わされた者の末路は、ここにいる全員がよくわかっていた。
「そんな…」
園崎くんはまだ信じられないのか言葉が続かないようだ。
私は構わずに
「園崎くん、ひとつ君にお願いがある。娘を……私の大切な娘を探してくれないだろうか。」
と言い、続けて
「携帯を受け取ってくれ…中に娘の顔写真があるから、これで顔はわかるだろう。」
と自分でも驚くほど冷静に言葉を吐き出した。
その私の言葉に対して、彼女は大粒の涙を落としながら首を僅かに横に振った。
「頼む…私の…最期の願いを、叶えてくれ……。」
年甲斐もなく涙を瞼に溜めながら喋った。
「もう出発するぞ。」
と低い声の男が急かす。
「絶対……ぜっったぁい、わだしますから……」
と綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしながら携帯を受け取ってもらう。
そして私は離れて
「出発だ!!」
という声と共にヘリは浮いていった。
園崎くんは顔が見えなくなるまでずっと泣き続けていた。
聞こえなかっただろうが私は
「ありがとう。」
と呟いた。
ヘリはどんどんビルから離れてゆき、やがて見えなくなった。
少しして…
昨日、屋上で休憩していたとき吸っていた煙草を取り出し火をつけた。
後ろでつっかえ棒が折れる音が聞こえ、扉から動く死体達がなだれ込んできた。
私は深く煙りを吐き
「…不幸だ。」
と人生最期の言葉を喋った。
数秒後、私がいた場所には靴と吸い殻だけが残され、あとは動く死体の呻き声が虚しく響くだけだった……