それは、目に見える愛情表現。
最近付き合い始めた彼女は、なかなか可愛らしい。
目がぱっちりしており、それなりに胸も大きい。
着ている服もかわいい系で、連れて歩くには申し分ない。
それもそうだ、容姿で選んだのだから。
前の彼女と別れてから3ヶ月。
そろそろ彼女がほしくなってきたところに、ちょうど合コンに誘われ、捕獲した。
入ってしまえばお気楽な国立大文系学部だからか、大学生活というものはけっこう退屈なもので、アルバイトや学業に精を出すだけでは俺には物足りない。
彼女の一人や二人いたほうが、刺激があってまだマシだ。
彼女は、馬鹿っぽい容貌のとおり、彼女は中身も相当の馬鹿である。
「あなたが喜ぶことをしたい」と言っては、一人暮らしの狭いキッチンで夕食を作ったり、昼に一緒に食べよう、と弁当を持ってくる。
正直言ってべたべたされるとうっとおしいし、迷惑はなはだしいのだが、食費が浮くのはありがたいので頂戴してやっている。
おそらく彼女は、俺が彼女のことを本気で好きだと信じこんでいる。
いや、彼女を好きであるように見せているのだから、そう思いこむのも無理はないのだが。
俺の演技力もたいしたものだ。
女というものは、実に操りやすく、愚かな生き物である。
そんなことをボーっと考えながらキャンパスのベンチで話をしていたら、彼女がカバンをごそごそさぐり、なにやら袋を出してきた。
「あのね、これね、喜ぶかなあって思って、作ったの」
何も言わないうちに、彼女は使いまわしの書店の袋を開けた。
トートバッグだった。
手作りらしく、ところどころほつれているが、A4のファイルが入るサイズ。
紺色なので持ち歩いて恥ずかしいわけではないが、薄手すぎて教科書を3冊も入れたら穴が開きそうだ。
「いつも教科書たくさんあって大変そうだから、あったらいいかなって、ね」
物は困る、物は。
食べ物は胃に入れば同じだが、消耗品でもないのに、こういう日常生活で使え、というものは非常に面倒だ。
きっと彼女のことだから、俺が使っているかどうか気にし続け、使っていなければ「どうしてかばん使ってくれないの?」なんて言うのだろう。
面倒になって、ついつい使用する言葉が迂闊になった。
「いらない。気持ちだけで十分だよ」
「…どうしてもらってくれないの?」
彼女の目はみるみるうちに潤み、今にも泣き出しそうだ。
それは、彼女の、いとおしい、いとおしい表情のはずなのに、
夏場のどろどろに溶けた飴のようにうっとおしい。
軽い吐き気と嫌悪感を覚える。
「喜んでくれるかなって思って、がんばってつくったのに…。
私のことが、嫌いなの?」
返答を考えているうちに、とうとう泣き出した。
ああそうか、この人は相手が物をもらうことで、自己肯定を得ているんだ。
いわゆる尽くすタイプだ。
今はこれでいいかもしれないけれど、悪い男にでも捕まったら墓穴を掘るぞ。
それでも、彼女は幸せかもしれないけれど。
だから俺は、にっこり笑って受け取ることにした。
ありがとうは魔法のことば。
笑顔は、人を笑顔にする。
大丈夫、あんたを使い古すほど、長く付き合うつもりはないから。
「ありがとう、いただくよ。
君のことが大好きだよ」