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MIX!  作者: くつした
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04

 自分が、自分ではない。

 眩暈がした。

 椿は目を閉じ、歯を食いしばった。今にも倒れるのではないかと思う。静かに、ゆっくりと深呼吸をする。口内で唾液が溢れてくる。あ、吐く、と思う。唾液と共に吐き気を飲み込もうとするが我慢できそうにない。眩暈のせいで動けそうもない。目を閉じたままで開くことさえできない。

 吐いた。

 と、思った。いくらかせき込み、喉の奥からこみ上げてきたものを吐きだした。身体の中から、すうと何かが抜けていくような感覚があった。 げぇっ、がっ、が、とうめく自分の声が遠くに聞こえる。

「どうしたの? 大丈夫?」

 ミスティの声が聞こえる。これは夢なのだろうか? 今の自分のこの姿も、すぐ傍にいるミスティも、すべて夢なのだろうか。

 思わず屈みこみ、額を片手で押さえた。口の中が気持ち悪いし、喉が痛い。落ち着くまで、目を閉じたまま深呼吸を繰り返した。喉は痛いけれど、水が飲みたかった。

 夢とは思えない。この空虚感、この喉の痛みはとても夢だとは思うことができない。夢でなければ現実なのか? いやしかし、現実だとは信じがたい。夢ではないのに、自分の身体が自分のものではないなどとあり得るのだろうか。椿の脳裏にいくつかの言葉が思い浮かぶ。憑依現象、輪廻転生……。どっちにしたって死んでんじゃん、俺。そもそも憑依現象って本当は精神的なものだったっけ。輪廻転生も実感わかないし。生まれ変わったってんなら、生まれてから成長するまでの今までの記憶もないし。あるいは記憶障害。本当はもともと俺はこの身体で生きてきた。だから俺が、自分が自分ではないと思いこもうとしている自我の記憶は偽物で――

 ああ、そんなことは今はどうでもいい。

 大事なことは、もちろん自分が自分ではないという感覚だが、これが現実なのかどうか、その点が重要なのではないか。もしも現実ではないとすれば――例えば夢の中なのだとすれば――目覚めればいつも通りの、それこそアルバイトへ出かけて帰ってきたらくだらない小説を書いてテレビを見ながらラーメンをすすり、寝る前に『ダブル・ゲート』を遊ぶだけの毎日に戻るのだ。ちっぽけな生活だが、20年間を生きてきた自分の身体にはそれなりの、本当にそれなりだが愛着がある。

 やがて椿は目を開いた。吐しゃ物がない。ちょっとは驚いたものの、深くは考えなかった。吐いたような感覚があっただけなのだった。

 やっぱり、と思い、同時にそれを残念に感じた。今では吐くことさえ惜しまれる。頭の中で、自分なりの結論を出す。

 ミスティが心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「ごめん、大丈夫」

 と応える。

 信じたくはないが、頭のなかで出した結論が本当ならば、確かに吐くことはできないのかもしれない。なにせ、『ダブル・ゲート』には吐くというアクションがなかったはずだ。

 信じたくない。信じたくはないが、他に説明がつかない。

 説明――目のまえにミスティがいること。見たことはないが、見覚えのある風景。そして、自分の姿ではない自分の身体。自分で想像し、作った楓の姿。

 これは本当は夢なのかもしれないし、自分の頭がおかしくなってしまっただけなのかもしれない。なんにせよ、いま自分の身体が吐こうとしてまで現実だと認識しようとした現状。それはやはり、この場所が『ダブル・ゲート』の世界だということ。

 馬鹿げた話だった。あり得ない話なのだ。

 いったいなんのSF小説だろうか? あるいはなんのファンタジー漫画だろうか? 今まで生きてきた自分は、本当はどこかの空想物語のいちキャラクターだったのだろうか?

 椿は地面に腰をおろした。今の身体は楓である。そういえば楓が座るという行動を書いたためしはなかったかもしれない。女性はどうやって座るものなのだろうと一瞬迷ったが、身体が勝手に動いた。『ダブル・ゲート』には座るというアクションがいくつかあったはずだが、そのうちの一つをとったようだった。自分の身体がまるで機械になったように感じる。

「本当に大丈夫?」

 ミスティが心配してくれている。

 その心配が、自分を一人の人間だと思わせてくれる。弱気になっていた心が、ちょっとだけ芯を持ったように感じる。

 そうだ、あり得ない話だといったい誰が決めたのだろう。今の俺のように『ダブル・ゲート』の世界に来てしまった人がいるのではないだろうか? 『そんなことはあり得ない』という言葉は現実の世界――いや今では俺にとって『ダブル・ゲート』が現実の世界なのだからこの言葉は間違っている――、本来俺自身が生きていた世界――バイトへ行き、小説を書いてダブル・ゲートを遊ぶ世界――ではこの『ダブル・ゲート』の世界へ来たことがない人しかいないのだから、こんなことが起こりえるということがわからないだけなのではないか。つまり、生きている人間が死後の世界を見ることができないからその世界を信じることができないようなものだ。死んだ後の人間にとっては死後の世界が確かに存在しているのかもしれないが、生きている人間にはその世界を見ることなどできない。つまり、そういうことなのではないか?

 なんにせよ、俺はこの世界に在る。

 と、椿は思った。意識をもって意思を持っている。存在している。それがなにより大切だった。

 椿は立ち上がった。わざとらしく、自分の服をはたくアクションをする。『ダブル・ゲート』のアクションの一つだった。

「なんだ、寝落ちしちゃったのかと思った」

 と、ミスティが言う。寝落ちとは、プレイヤーがパソコンの前で寝てしまい、キャラクターが動かなくなってしまうことだ。言葉の向こうから苦笑いが見えそうだったが、人間本人を相手にしているのと違い、真意の表情を窺うことはできない。それでも、本当に心配してくれていたように感じられた。

「ごめん、ウトウトしてた。夜更かししすぎたかもな」

 椿は嘘で応える。現実での椿の口調になっていることに気がついた。『ダブル・ゲート』の楓としての椿の口調はいったいどういうものだったか。上手く思い出せない。パソコンの画面の中のキャラクターを介しての口調と、現実の口調には多少の違いがあったはずだった。電話とメールでの印象の違いがあるように、『ダブル・ゲート』のキャラクターとしての仮面をつけて会話をしていたはずだった。ただ、楓という女性キャラクターを通じて女口調になったことはなかったはずだ。インターネットを介して男が女口調を、逆に女が男口調を使うことがよくあるが、椿にはそれが上手く理解できない。

 結局、口調など気にしないことにした。中性的な言葉をある程度選んでいれば間違いはないように思われる。

「そっかー。アップデートきたばっかだから?」

「うーん、どうだろう。そんなにやってない気がするんだけど。それより、なにしてたんだっけ」

 椿はわざとらしく話題を変えた。

「これから『サウス・アイランド』で狩りに行こうって話だったじゃん。ウトウトしすぎー」

「ああ、そっか」

 そういえば、そんな約束をした覚えがあった。

「でもちょっとごめん、わたしご飯行ってくるねー」

「わかったよ。いってらっしゃい」

「行ってきまーす。たぶん八時には戻ってくると思うー」

 ミスティはそう言い残し、動かなくなった。現実の世界で、ミスティのプレイヤーが夕食に行ったのだろう。『ダブル・ゲート』で遊んでいると、いつもミスティは6時から8時くらいのあいだに一度、夕食をとるためキャラクターを放置することがある。つまり今、夕方の6時から8時のあいだなんだろうなと椿は見当をつけた。

 ミスティが戻ってくるまで今この状況を整理する必要があるなと椿は考えた。状況の整理も何も、『ダブル・ゲート』の世界にやってきてしまった、しかも楓の身体になっている。ということなのだが、問題はこれからどうすればいいのかということだった。

 よくあるファンタジーの世界へ迷い込むという小説では、主人公らは元の世界へ戻ることを目指して西へ東へと駆け回る。では同じようにすればいいのだろうか。元の現実へ戻るために世界中を巡ればいいのだろうか。けれど、現実へ戻るという言葉はどうも実感がわかなかった。なぜだろうか。まったくわからない。

 今は夕方か、と椿は思う。現実の世界では今頃なら小説を書いているか、あるいは『ダブル・ゲート』で遊んでいるかのどちらかだ。

 椿はつい、辺りを見渡した。時計を見ようとしたのだ。しかし見えるのは殺風景な商店街や舗装されていない道ばかり。『ダブル・ゲート』をパソコンの前でプレイするときは画面の端に時刻が表示されていたものだが、いざ『ダブル・ゲート』内にいると時間がわからない。そんなものなのかと椿は残念に思った。が、すぐにこの世界へ来て意識を取り戻したときのあの膨大な情報を思い出した。頭のなかに現れた溢れんばかりの情報。いくつもの数値や文字。あれはいったいなんだったのか。

 椿はあの情報をもう一度見たいと思った。もしかするとあの情報は……

「うわっ」

 と椿は悲鳴をあげた。

 情報を見たい、そう思った途端、頭のなかに膨大な数字や文字が所せましと現れたのである。

【HP 830/830】【SP 132/132】【MP 234/234】【状態 普通】【Lv 63】【特技一覧】【魔法一覧】【S 130】【H 63】【D 63】【M 130】【R

 椿はどこからともなくやってくる数字や文字などを再度、シャットダウンさせた。どうやら頭のなかでは自在に情報の表示・非表示をできるようだった。その情報とは、パッ見た限りでは自分のステータスだった。体力や技術力、精神力だけに限らず、自分自身の攻撃力や防御力などを数値化されたものを頭のなかで見ることができるようだ。パソコンの前でプレイヤーとしてこの情報をいつでも確認することはできたが、まさかキャラクター本人になっても確認できるとは思いもしなかった。

 椿はマニュアル冊子を一枚一枚めくっていくように、頭のなかに情報を少しずつ表示させながら自分の力量を確認していった。自分で育てた楓が、自分のステータスとなってしまったのだ。

 あれ? と椿は情報の確認を途中で止めた。

 ミスティは夕食に行く前になんと言ったか。

 狩りに行くと言っていなかったか?

 狩りとはモンスターを倒しに行くことである。戦闘をしに行くということである。つまり今のこの状況だと、楓を操作してモンスターを倒しに行くのではなく、自分の身体を使ってモンスターを倒しに行くということではなかろうか?

 いやいや、なかろうか? ではない。

 そういうことだ。自分の手で剣を駆使し、自分の足で敵の攻撃を避けなければならないのだ。

 やべえやべえやべえ!

 椿は焦った。

 え? マジで? なにそれ、どうすりゃいいの? 超怖いんだけど!



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