02
――。
……エデ。だ……ぶ?
何かが聞こえる。
……デ?
いや、聞こえるというよりも、これは、聞こえてくる? 語りかけてくる?
「カエデ、大丈夫?」
違う、これは音じゃない。頭の中に直接文字が入り込んできているのだ。
椿は意識を取り戻した。
と、同時に膨大な情報が渦となって流れ込んでくる。
己の肉体の疲労度、精神のバランス、語りかけられた言葉、周囲にいる人の数、身につけている物の硬度――。
情報の多くは数値として頭のなかでふよふよと浮いている。あまりに膨大なせいで、ひとつひとつを子細に確認することができない。頭が痛くなりそうだ。椿はわざと頭をふって、意味のわからない多大な量の情報をいったん忘れることにした。
情報をシャットアウトすることは意外にも簡単だった。本当に己の頭の中なのかと疑うほど、一瞬でクリアになった。
頭の中がすっきりするのと同時に、今度は視覚・聴覚的な情報が入り込んできた。が、それは普段得ている情報、すなわち見ているもの・聞いているものとしての情報だったので問題はなかった。先ほどの膨大な情報が異質だったのだ。
目のまえには一人の女性が立っていた。とても珍妙な格好である。まず目に入ったのは金色の髪に挿された白い羽飾りである。如何な鳥類の羽なのか、眩いほど白いその羽は、未だ主から放たれてはいないのだと主張するかのようにピンとたっている。服も異色である。豊かな胸と脇腹しか隠していないきわどい青のトップス、下着を隠すことを放棄したかのようなボトムス。コスプレという単語が椿の頭に現れる。あるいは、露出狂。
椿は唖然とし、一度口を開きかけたが発する言葉が見つからない。
「落ちちゃった?」
目のまえの羽の女が口を開いてパクパクと動かしている。
なにか喋ったのだろうか? 「落ちちゃった?」という言葉は耳で捕えたというよりも、頭の中に現れたように感じられた。先ほど頭のなかに現れた異質な情報と、出現の仕方が似ている。
「大丈夫」
椿は混乱しながらも、なんとかそう答えた。目のまえの奇妙な格好の人物のことは知らないが、向こうはこちらを心配してくれているようだった。
目のまえの奇妙な女も誰かは知らないが、今現在いるこの場所も見当がつかなかった。女の背後は遊歩道のようになっているようだったが、どうも舗装されたようには見えない。地面がむき出しになっている。土のうえを、これまた奇妙な姿の男が荷車を引いて歩いていく。荷車の上にはよくわからないガラクタのようなものがちらりと見えた。道路の向こう側には商店のような建物が並んでいる。商店街だろうか? しかし、それにしては建ち並ぶ建築物はみんないちようにして家屋のように見える。田舎の商店街のようにも見えるが、八百屋や魚屋などは見受けられない。なにより、どの商店も店頭に商品を置いていないようだった。椿の商店街のイメージは、店先で客を呼んだり、店頭に商品を陳列して店のアピールをしたり、せめてガラスの外から店内を覗けるようになっている……そんな商店らが建ち並ぶというものだった。それら、あるいはそれらに付随するものが見受けられない。ではどうして商店と判断できたのかといえば、建物の入り口などの装飾である。ある店はフランスパンをかたどった装飾が入り口にかかっているし、ある店ではフラスコ型の装飾がかかっている。そして物騒なことに……模型を扱う店なのだろうが、剣の装飾を入り口に掲げる商店まである。
「リアルでなにかあったのかと思ったよ」
女がまた語りかけてくる。口は動いているが、やはり、頭のなかに直接話しかけられているように感じてしまう。
「ここはどこ?」
椿は女に聞いた。本当は、貴方は誰ですか? と問いたかったが、どうも知人のようだったのでそれは憚られた。
それにしても、と椿は周囲をもう一度見回す。それにしても現実感のない風景だった。目のまえの女はもちろん、目に映る街並みはとてもじゃないが日本には見えない。
知っている風景の何処にも見えないが、いや、なんだかどこかで見たことあるような気がする。知らない風景だが、見たことがある……デジャビュの一種だろうか? デジャビュといえば、目のまえの女も見たことがあるような。
椿が逡巡していると、女がにこりと笑みを作った。
「どこって、面白いこと言うのね」
「そんなに面白いかな」
「面白いよ。だって、ねえ?」
ねえ? と言われてもなにが「ねえ?」なのかサッパリだった。
「だってここはサウスアイランドよ。いまイベント中じゃない」
「サウスアイランド」
椿は呆けてしまったかのように、その地名を口にした。
呆けるはずである。なにしろサウスアイランドは『ダブル・ゲート』に新しくできたばかりの島だった。
○
椿が『ダブル・ゲート』において操作していたキャラクターは魔法剣士であった。ある程度の魔法を唱え、ある程度の剣技を扱える戦士である。魔法使い程おおくの魔法を唱えることはできないし、剣士程の強力な剣技を扱えるわけでもない。魔法・剣技のどちらをとっても専門のキャラクターには劣るが、その場の状況に応じて多彩なプレイングスタイルをとることができるというのが魔法剣士の魅力であった。
椿のキャラクターは楓である。己の書いた小説の主人公名を使っていた。理由は特にない。名前を考えるのが面倒だっただけだ。容姿は女性。小柄で細身、和装の似合う黒髪の少女である。これも小説と同じようにしている。武器は刀を選び、小説と合うようにしている。が、設定のひとつである戦闘スタイルは魔法剣士――とここだけは小説と異なる。椿が魔法剣士を操作して『ダブル・ゲート』を遊びたかったというだけであった。もともと名前や容姿を考えるのが面倒だったから小説の楓を持ちだしただけであって、やりたいことまで曲げる理由はなかった。小説の楓は魔法など扱えない。
『ダブル・ゲート』はアクション性を重視されたMMORPGである。椿はMMORPG=インターネットのRPGと思っていたが、詳しくいえばMMORPGとは多人数同時参加型オンラインRPGのことだという。長ったらしいが実にわかりやすい。つまり『ダブル・ゲート』はアクション性の高い、多人数が同時に参加できるオンラインのRPGだということになる。実際に『ダブル・ゲート』はインターネットゲーマーら――特にアクション好きのゲーマーたち――の評価が高く、このゲームを運営する会社も積極的にユーザーの意見を取り組む姿勢を見せているため、多くのプレイヤーが参加している。
近頃、『ダブル・ゲート』は大型のアップデートがおこなわれた。
新大陸『サウスアイランド』と、大規模なイベントの実装のためである。