018
4人は華美なテーブルを囲い、豪勢な食事を前に談義していた。
4人。
椿、ミスティ、ルゥ、シグマの4人である。
「えーっと、にわかには信じがたいんだが、ここは俺たちのいたトコロとはまったく違ったセカイってことなんだな?」
そう言ったのはシグマである。セカイという単語に違和感があるのだろう、非常にいいにくそうである。
頷くのは椿。この、まるで円卓会議のような席の進行役をかってでていた。
「たぶん、一番信じることができないのはミスティだと思う。そもそも、信じてくれなくたっていいかもしれない。俺が妄言をはいていると思ってくれたっていいさ」
いわゆるファンタジーの世界に生きるルゥとシグマは、信じてくれそうな気はする。なにしろ、今ここで生きているのだから。が、モニターを前にしてこのダブル・ゲートをプレイしているミスティはどうだろうか? 信じることができないに決まっている。俺だったら絶対に信じない、と椿は思う。
ミスティは沈黙を続けている。
「大雑把な状況説明だけさせてもらうと」と椿は切り出した。普段ならミスティに向けて言葉を発するときはもちろんチャットであり、文字を打ち込んだ後、多くの場合その言葉がおかしいものでないかどうかを確認してから言葉を発する。が、自らの口から発するとなると、それもできない。頭の中で順序だてて整理しようかとも思うがうまくいくはずもない。
「まず、俺のことから話す。姿はこんなだけど、男なんだ」
ひっとルゥが怯えたような、声をあげる。
「別に女装しているわけじゃない。身体はちゃんとした女なんだけど、頭の中は男、と言ったほうがわかりやすいかな。あっ、でも、別に性同一性障害ってわけじゃないから」
「セイドーショーガイ?」
とルゥが訊く。おそらくそういった言葉は存在しなかったのであろう。
「身体と心が逆の性になっちゃってるってこと。例えば」椿はシグマを指差した。「身体はシグマでも」次にルゥを指す。「頭の中はルゥってこと」
「うわ」「げぇっ」
ルゥとシグマ、双方同時にうめき声をあげた。
「なんでテメェが嫌がるんだよ」
「それはこっちの台詞!」
そんなことどっちだって良かった。なんだか親にでもなった気分である。なにしろ、シグマとルゥは椿の描いた妄想の人物ではないが、関係がないとは言えないから。
ルゥとシグマ。この二人も妄想の人物である。いや目の前に存在しているのだから、もはや妄想の人物とはいえないのだろうか? ややこしい限りだった。
この二人を生み出したのはZというハンドルネームを扱っていた椿の中学生時代の友人だった。Zは中学生の頃、漫画を描くつもりでキャラクター案をいくつか練り、椿とともに作成したホームページ上でそのキャラクターらを公開していた。それらのうちの二人がルゥとシグマであり、漫画の主役を張る予定であった。……のだと、思われる。予定だった、思われる、と仮定的な表現を使っている理由は簡単である。椿はルゥとシグマの両者が胸を張ってZの漫画内を闊歩する姿をお目にかかったことがないのだ。Zの漫画が、Zの脳内からインターネット内の世界あるいは紙媒体を通じて表現されたのか、あるいはされていないのか、椿は知らない。受験という、ある意味では人生の中でも繁忙期トップ5には入るであろう時期、そんな時期にホームページを作成はじめた愚行がやはりというかなんというか災いし、ホームページはインターネットの深い海に沈んだ。高校生活に慣れ始めた二人は沈没船を引き上げることもなく、それぞれの生活に勤しむようになった。ルゥとシグマはそんな船の少なくない乗客だったわけだ。たったそれだけのことである。今現在、椿はむしろよくそんな昔の友人のキャラクターを覚えていたな、とさえ思っている。ちなみにルゥやシグマと共に沈んだキャラクターの中には、むろん、椿のキャラクターも数多にいた。楓、ゲーデ、月影、イリス――覚えているものは少ないが、沈んだキャラクターをもしも数え上げられるのならばキリがないことであろう。Zと共に作ったキャラクターで、焔という者さえいた。
それにしても、と椿は思う。
「ちょっと意味合いがずれたけど、まあつまり、男なのに女性的な願望が強かったりする、あるいは逆も然り、ってところなのかな。症状によって度合いが違うんだろうけど……」
「で? 椿だっけ、女なのに男になろうとしてるってことなのか?」
「いやだから違うんだって」
「違うってさっきから言ってんでしょー、頭悪いなー」
「うるせぇ! てめぇに頭悪いなんて言われたかねえ!」
「どういう意味?」
それにしても、なんとも言えない感慨深さがあった。他人のものとはいえ、妄想の産物である人物が目の前にいる。それだけでいてもたってもいられなくなるだろうに、目の前で、かつて想像したように喧嘩をはじめたのだ。これがもしも自分の生み出した妄想の人物であったなら……。
ミスティは相変わらず黙っている。
「まず、話を聞いてくれ」と椿はルゥとシグマの際限なさそうな喧嘩を止める。「俺の立場を話す。とは言っても、たぶんルゥとシグマには意味が伝わらなさそうだし、ミスティに関しては到底信じられないような話だと思う。さっきも言った通り、俺の妄言だと思っていいから、ホントに」
三人が椿を見る。最も、プレイヤーとしてのミスティが画面の向こうでこちらを見ているのかどうかはわからない。
「この世界はゲームなんだ。で、俺はそのゲームのプレイヤーだった」ルゥとシグマに、ゲームとはいったいなんなのか説明をする。なにしろ、テレビも漫画もない世界から来たのである。知っているはずがない。「で、理由はわからないけど俺はこんな格好でこの世界にいるんだ。たぶん身体ごとこちらに来たというわけじゃなく、意識だけがこのゲームの世界に入ってしまったということなんだと思う。ファンタジー的な言い方をさせてもらえば」
ログが残らないように、椿はミスティとルゥそれにシグマに対して個人チャットを送信している。ミスティのモニター画面には専用ログが、ルゥとシグマに対してはおそらく頭の中に直接語りかけているような状態だろう。
「格好については、俺がゲームを遊ぶために作ったキャラクターがこの格好だったから、きっとこうなったんだろうと思う。ステータスもそのままだし」椿は自分のステータスを表示させた。三人に見えるようにする。今まではモニターの前でショートカットキーを何度か打たねばならなかったが、今では思うだけで表示された。
音もなく、薄い青のウィンドウが食卓のうえ、中空に表示される。
おお、とルゥが感嘆の声を上げた。
『
楓 レベル63
HP 830/830
SP 132/132
MP 234/234
S(突き) 110
H(斬り) 110
D(防御) 63
M(魔法) 130
R(魔防) 63
』
「これが俺のステータスだ。レベルっていうのが基本的な強さだと思っていい。突きや斬り、っていうのが物理的な攻撃力で、後はそのまんま。魔法は魔法攻撃力、魔防は魔法防御力」
ウィンドウに現れた、数値化された自分のステータスを説明する。思っていたよりも恥ずかしい。
「マホウっていうのはあれか。なんか物を燃やしたりする、超能力的な」
とシグマが聞く。ルゥたちの世界には魔法の存在はなくとも概念はあるようだった。
「そう思ってくれて構わない」
「でもなあ、数字で見せられたって凄いのかどうかわかんねーよ」
「ならシグマ、自分のものを見てみればいい」
「どうやんだ?」
方法をシグマに説明する。
「おっ、こうか?」
中空に新たなステータスが表示される。
『
シグマ レベル51
HP 1120/1120
SP 230/230
MP 100/100
S(突き) 78
H(斬り) 151
D(防御) 98
M(魔法) 8
R(魔防) 98
』
「レベル51だってさ!」アハハとルゥが笑う。「椿と12も差があるじゃーん」
「うるせぇ! なんかの間違いだろうが」そう言ったシグマは煙草に火をつけた。「見ろ、斬りが滅茶苦茶たけーぞ、俺」
椿の見立てでは、シグマは純粋なファイタータイプであった。魔法の力を捨て、戦士としての能力のみで戦うタイプ。しかも、攻撃も防御もかなり高水準である。高すぎる性能といっても良い。
ん? とあることに椿は気がついた。口を開きかけたが、さきにルゥが叫んだ。
「魔法8だってさ! 才能ないねー。頭悪いんじゃないの?」
「ばっ、馬鹿にすんな。魔法なんざ俺にはいらねえんだよ。あとお前に頭悪いとか言われると非常に傷つくんだが」
8? 椿は目を疑った。8などという数値はありえない。HP(体力)、MP(魔力)、SP(技力)は100がスタートラインだが、そのほかのステータスは初期値は全キャラクター一律10に設定されているはずだ。このゲームはその初期値から成長していくのだ。つまり、10未満はあり得ない。
いったいどういうことなのだろうか。
椿が考えているうちに、ルゥもシグマに習ってステータスを中空に表示する。
『
ルゥ レベル50
HP 980/980
SP 280/280
MP 0/0
S(突き) 180
H(斬り) 0
D(防御) 90
M(魔法) 0
R(魔防) 130
』
「見ろよお前! 0が、いち……にぃ……三つもあるぜ!」
シグマが歓喜したように手を叩く。
「うそ、うそよぉ、こんなの……」
とルゥががっくりとうな垂れる。
椿はついに頭を抱えた。