012
「面白いことを言いますね」
とマリィは言った。椿へ近づく歩みを止めない。右手には鋭く長い針のような武器、左手には手斧のような刃。斧の刃が、陽光を浴びてギラリと光ったような気がし、椿はぎくりとした。
――「本当なんだ、信じてくれ」
椿はあとずさる。ちらとミスティを見るが、まだ戻ってきてはいないようだった。
「確かに私は貴方をこの目で見たことはありませんがね、その容姿はつぶさに耳にしていますよ」
にこりと笑うマリィ。
ダブル・ゲートの楓というキャラクターを作成するにあたって、小説のなかの楓をモチーフにしたことは確かだったが、そこまで似ているものなのだろうか。楓は小説のなかのキャラクターであり、つまるところ文字の世界のキャラクターである。椿が生みの親ではあり、容姿をあれこれと文字で表しはしたがそれが二次元三次元となると、実際に見るということは不可能である。
どうやってこの場を切り抜ければいいのだろうか……
そう考えたときだった。
唐突にマリィが駆け出した。一瞬で前傾姿勢になり、武器を持った腕を交差させて椿へと突っこんでくる。左腕が手前だということだけ、なぜか鮮明に確認をしていた。
明確な殺意。束の間の恐怖。
椿の頭は真っ白になった。脳が考えることを放棄していた。
――と。
視界が大きく揺らぐ。視界の下には緑、前には青――その程度の認識しか得られなかった。
次の瞬間には身体が宙に浮いていた。
椿は跳躍していた。脳が思考を辞め、代わりに身体を肉体が支配していた。反射だけで動いている。そのことを椿は感じていたが、考える余裕などなかった。
宙に跳んだ椿の足元で、マリィの左腕が空を薙いでいた。斧刃が椿の身体を斬り裂こうと横薙ぎに振るわれていたのだった。遅れて、つい先ほどマリィの左腕が交差された右腕よりも前にあったからこそ、このマリィの攻撃を予測して己の身体は跳躍していたのだと気がつく。
前に出ていた左の斧刃が初手。次は――
重力に逆らっていた身体が落下を始める。
横薙ぎを外し、たたらを踏むかと思われたマリィは、両足で地を踏ん張り、椿を見上げていた。斧刃を持つ左腕は振り切ったままであったが、身体の前に構えられていたはずの右手のレイピアが腰のあたりまで下がっている。どういった身体の重心の移動をし、身体のバランスを支えているのか見当もつかなかい。が、初手の斧刃の攻撃によってなにかしらの動作を誘い、二手目のレイピアを当ててゆく連撃だったのだろう。
ともかく、このまま落下したのでは、椿の身体がレイピアに股から串刺しにされることは容易く想像ができる。
椿は落下しつつも腰の鞘から抜いていた剣を右の手で掴み、構えていた。左手は手の平を開き、マリィへ向けている。いつ剣を抜いていたのかは自分でもわからない。おそらく跳んだ瞬間にはすでに抜いていたのだろう。剣を構え、左手を突き出すまでの今の動きは、跳躍してからの一連の流れのようだった。身体がオートマティックな機械かなにかのようになってしまったようだった。
マリィの連撃の流れが初手斧刃で相手を動かし、二撃目のレイピアで致命傷を狙うというものならば、椿――いや楓の宙空からの攻め手の流れは左手から発せられる魔力から始まる。
マリィが腰まで落としたレイピアを突き出そうとした瞬間、椿の左手から、小さな炎の塊が飛び出した。炎の塊は球体となり、椿の身体が落ちるより遥かに早いスピードでマリィまで飛び、眼前でバンッと爆ぜた。
マリィがよろける。
椿は地に着地する。
足を地につける際、バネのようにぐっと足を折った。折りつつも角度をつけクラウチングスタートの姿勢のように身体を低い角度に倒している。
着地に溜めた運動エネルギーを解放させるようなイメージ。
マリィへ向けて。
疾駆。
マリィは眼前で炸裂した炎の塊を、右腕でガードしていた。爆発にやられたのか、右手からレイピアが落ちる。
椿は駆けだしながらもマリィの左手から斧刃も落ちるのを視認していた。
好機――そう思ったが、本当に自分がそう思ったのか疑わしい。
椿は駆けながら、宙で構えていた剣を両手に持ち直した。同時に、とん、とステップを踏むように、軽やかに跳んだ。駆けだした際の身体の姿勢があまりにも低すぎたせいか、ほとんど放物線を描かない跳躍であった。跳躍というよりは、まるで弾丸のような。
剣を振りかぶり、斧刃を落としたばかりのマリィの左の肩口にかけて袈裟に斬りかかる。低い角度の跳躍に、スピードと体重を乗せた斬撃。
ガッと硬いゴムのような感触。皮を破り、肉をえぐる感触ではなかった。
束の間の攻防を称えるかのように、ふわりとマリィのフレアスカートが舞う。
椿の剣の刃はマリィの武器を持たない左腕に食らいついていた。
否――。
椿は刃の向きを変え、マリィの腕の上を滑らせながら首を狙って振りぬいた。マリィが咄嗟に左腕を上げる。刃が腕の上から弾かれ、つられて椿の態勢が崩れる。
マリィの右腕が、態勢を崩した椿へ向け、伸びる。手首を突き出すような、マリィの右腕。打撃ではない。ぬっ――と手首から小刀が飛び出す。
その攻撃を予測していた椿は、弾かれた剣の動きに逆らわず、同じベクトルへ向けて後方転回した。勢いに任せ、マリィの右手首から伸びた小刀を蹴りあげようと試みる。
地に着地した椿はバランスを崩しそうになり、とんとんと後方へステップするようにして後退すつつ態勢を整えた。マリィの右手首には小刀が健在していた。漫画のようにバク転しつつ目標を蹴りあげるなど、そう上手くはいかないようだった。
マリィが腕をふるって小刀を捨てる。音も立てずに草地のうえに小刀が落ちた。
椿とマリィの一連の動きに耐えきれなくなったかのように、マリィの左袖がはらりと垂れる。剣をマリィの腕のうえで滑らせた際に斬り裂かれたのであろう。袖の下に隠れ言えた小道具が現れる。椿の剣を防いだ道具。なめらかな木の色をした手甲であった。なにでできているものかは定かではないが、椿の渾身の一撃を受けても傷一つついていないようだった。ひと一人分の体重の乗った一撃であった。おそらく、手甲の下のマリィの腕は打撲傷が青々と残っているであろう。が、マリィは顔色ひとつ変えもしない。
椿の歩幅にして十歩程離れた位置で、互いに動きを止める。
椿はマリィの手の内を知っていた。何故ならば、椿はマリィの生みの親であるからだ。マリィは楓の登場するストーリーの一員であり、楓に敵対する組織のメンバーの一人であった。楓とマリィは未だ直接対峙してはいないが、マリィが別のキャラクターと戦闘しているシーンがある。楓に敵対する組織のメンバーの多くは特異体質であり、異質な能力を保持している。なかでもマリィの能力は組織の他のメンバーと比べても特異なため、戦闘シーンには四苦八苦した。つまり、それだけマリィの戦闘方法には熟知しているのだ。
椿がマリィの手の内を知っているということを、マリィ本人に悟られているようだった。
互いに攻めあぐねている。
椿は、マリィの次の行動をすでに予測していた。マリィのその行動に合わせ、こちらも動くつもりであった。が、そのタイミングをはかりつつも頭では別のことを考えている。
即ち――。
俺は、戦うことを放棄したんじゃなかったのか?
死にたくない、怖い、だから戦わない。そのはずではなかったのか?
しかし、身体は頭で考えていることなど無視し、動く。もはや、自分の動きがすでにゲームの登場キャラクターと同一化してしまっていることに気づいていた。まるでコントローラーを持っているかのように、自分の身体ではないかのように、想像するだけで身体が宙を舞い、斬撃を繰り出すのだ。元いた世界であんなに跳躍できるはずがないし、そもそもマリィの、相手を動かすためだけのいわばフェイントに近い一撃目さえ、避けることはままならなかっただろう。
確かに怖い。マリィの動きからは、一挙手一投足すべてにおいて明確な殺意を感じられた。その一つひとつに押しつぶされそうになる。異質な武器の連撃は、二撃目はむろんのこと、一撃目でさえ相手を殺傷するためのものだ。次の行動ももちろん――
近接の武器で仕留められず、戦闘が硬直し始めると、次は遠距離型の攻撃方法に移行する。
マリィの両腕が持ち上がる。漫画に出てくるキョンシーのような構え。
近距離戦を続けた直後に、遠くからの思わぬ攻撃。特異な武器を交互に繰り出す連撃に次ぐ、マリィの常套手段の一つ。
椿は、マリィが両腕を上げ始めた時にはすでに駆け始めていた。
考えるのは辞めだ。今はマリィを凌ぐことだけを考えるんだ。
マリィの両手にそれぞれ、拳銃が現れる。
しかしその時にはすでに、椿はマリィの懐にいた。
右手に掴んだ剣。その鍔に、左手が触れている。
拳銃の出現と同時に、マリィの指は引き金を引いている。
椿の耳元で響く轟音。すぐ足元ではじける土くれ。
マリィの反射――左手の拳銃は椿のいた場所を、利き手である右手の拳銃は椿の動きに向けて。左の銃は空を切り裂いて飛び、右の銃は土くれを飛ばした。外したと確認する前に、後方への跳躍。咄嗟に胸の前を、両腕で抱くようにガード。左腕の手甲への信頼が成す、無意識な防御行為。
椿の持つ剣の中央を走る一筋の線。薄く、赤く発光する。椿は剣を、マリィの懐から逆袈裟に斬りあげた。
マリィの手甲が椿の剣を受け止める。
刹那。
赤の音。赤の色。
剣が炸裂した。
いや、剣の刀身が、爆破を生みだしたのだ。
手甲ごと弾かれ、吹き飛ぶマリィ。後方の地面へ背中からどうと倒れる。
炸裂の反動で、振り切ろうとしていた剣を逆方向へ弾かれる椿。両足で踏ん張り、弾かれた剣を地面に突き立て、慣性を殺す。
突き立てた剣を地面から抜く。剣に宿った薄赤の光は消えている。倒れたマリィに向かって走る。
マリィをどうするか。
まったく考えていない。が、身体はすでに剣を振りかぶっている。