011
「これからどうしましょうか」
楓は言う。
「あてもなく歩いていたんですか?」とキースが呆れたように言う。「まあ、そんな気はしていましたが」ついでに溜息。
「なんだか馬鹿にされたような気がしますが」
「きっと気のせいでしょう」
キースがくいと眼鏡を押し上げる。
「今更なんですけど」楓が胡散臭そうにキースを見る。「本当に、今更なんですけど」
「なんでしょう? 3サイズは秘密ですよ」
ニヤリと笑うキース。
楓は努めて無視を決めた。
「あなたはいったい誰なんですか?」
きょとんとするキース。
顔を見合わせる。真面目な顔の楓。目を丸くするキース。
ややあって、キースが笑いだした。
「その通りだ、確かにその通りですね。今更すぎる」
まるで、そうでもしないと腹がよじれて千切れるのではないかと思うほど、腹を抱えてキースは笑う。
楓にしてみれば、そのまま腹がよじれ千切れて絶命しようが知ったことではなかった。なにしろ、見ず知らずの他人も同然である。
「いやいやいや」手を振ってみせるキース。「ほら、旅は道連れって言うでしょ」
「聞いたことありませんね」
首をひねる楓。本当に聞いたことがなかった。出会ってからまだ間もないが、キースは時折り意味のわからないことを口にする。まるで、存在しない国の言葉を沢山抱えているかのようだった。
「そんなわけでこれからもよろしくお願いしますよ」
握手の意図なのか、手を差し出すキース。
楓はその手を奇妙な蛙でも見る目つきで眺め、それからキースの顔を見た。
「えーと」宙に浮いたままの片手を戻すこともせず、キースは言う。「わたしの名はキースと申します。それはもうご存じですね。先ほど紹介しましたので」
「ええ、まあ」
「生まれはオミニクス。育ちはサイルス。ええ、生まれながらの貴族というやつですね」
キースは手をひっこめ、代わりに腰の後ろで両手を組んだ。
「はあ」
「長男でしたので家を継ぐのが理想なんでしょうけど、わたしはまっぴら御免だったんです。わたしは書物が好きでしてね。いろんな書物をあつめては読み、解読できそうもないものは研究し、追究し、探求する。そんな人間なんです」
楓は『貴方はだれですか?』という質問に、キースの生い立ちや趣味などを問う色を混ぜたつもりはなかった。おそらくそれはキースも気づいていたはずだろう。従って、楓はキースが口を閉じても反応せず、次の言葉を待った。
やがて、焦れたようにキースが再び口を開いた。
「わたしも読むだけではなく、創作するほうに興味がわきましてね。それで色々と見聞を広めるため、気の向くままにふらふらしていたんですよ。そこで偶然、楓さん、貴方に出会った。悪漢に襲われているところを助けられたわけです。そこから先は貴方も知っての通り。貴方に興味を持ったわたしは、貴方を追いかけた。そうしたら魔族が現れた。貴方は魔族を斬った。直後、この場所へ来た。それだけです」
本当にそれだけだろうか? と楓は思う。楓は読み書きなどできない。読めるものといえば、売買に必要な数字くらいである。読み書きができるのは一部の上流階級の者だけだ。多くの者は文字を覚えるなど、そんな余裕などないのだ。今を生きるだけで精一杯なのだ。だから書物に対する求心など理解できないし、ましてやそのために安全な場所から危険な場所へと、ふらふら――キース自身が口にしたように――と足を向けるなど信じ難いことだった。
「そこで、ですね」
キースの目に真剣さの光が帯びたことを楓は気づいた。
「はい」
「ここは得体の知れない土地なんです。楓さん程ではありませんが、わたしはこれでも知識としては多くの土地を知っています。知識とは、時として経験に勝ります。知識は未体験のものを予め知っておくことができます。わたしはそういったものを数多く蓄えています。が、このような土地は知らない。そもそも、あり得ない。ほんの数刻のあいだに太陽が何度も落ちるなど聞いたこともない。ましてや、楓さんも気づいたことかと思いますが、ここには命がない。足元の草花さえもまがいものだ」
キースは身ぶり手ぶりでそう話した。
楓は屈み、足元の草に手を添えてみた。植物までもが偽物だとは思いもしなかった。
「わたしには知識があります」キースは自分の頭を指でとんとんと突く。「楓さんには力。手を組んでみるのも悪くはないと思いませんか?」
楓は肩をすくめた。
「なんだかやっぱり馬鹿にされているような気がします」