第39話:三人目の仲間
一、 教国の追手、静寂を破る影
天竜山脈の朝は、清々しい鳥のさえずりと、葉の表面で輝く朝露のきらめきとともに始まっていた。
昨日、古代都市アガルタの地下世界から地上へと脱出し、初めて太陽の下で共に食卓を囲んだアルたちチーム『最高の厨房』。彼らは、教国ルミナへと続く山道を、心地よい疲労感と未来への希望を胸に抱きながら歩みを進めていた。
「いやぁ、地上の空気ってのは本当に腹が減るな! アル、今日の昼飯はなんだ?」
カルムが両手を頭の後ろで組みながら、機嫌よく鼻歌交じりに問いかける。
「ふふっ。さっきオルタが教えてくれた『天竜キノコ』がいっぱいあるから、キノコと干し肉の濃厚なリゾットにしようと思ってるよ!」
アルが背中のリュックを揺らしながら、笑顔で答える。
「リゾット……。お米にお肉とお出汁の旨味をたっぷり吸わせた、あの魅惑の料理ですね。……ワタクシ、今から内部の消化・吸収マナ回路を最適化して待機しますっ!」
オルタが、ルビー色の瞳をキラキラと輝かせながら、小さな両手を胸の前で合わせた。
「おいおい、オルタ。お前まですっかりアルのメシの虜だな!」
「うむ。私もリゾットは好物だ。……教国では栄養錠剤しか口にしていなかったが、アル殿の料理のレパートリーには毎日驚かされるばかりだ」
エレナも、聖剣の柄に手を添えたまま、どこか和らいだ表情で微笑んだ。
平和な、家族の語らい。
しかし――その和やかな空気を、音もなく忍び寄る「冷たい殺意」が、唐突に引き裂いた。
ピシッ……。
「……ん?」
真っ先に異変に気づいたのは、聖騎士としての極限の危機察知能力を持つエレナだった。
彼女の青い瞳が、周囲の木々の不自然な揺れを捉える。
風は吹いていない。鳥のさえずりも、いつの間にかピタリと止んでいる。
「皆、止まれ……ッ! 陣形を組め!」
エレナの声が、鋭い刃のように張り詰めた。
「どうした、騎士様!?」
カルムが瞬時に反応し、両拳に赤蓮の魔力炎を点火する。
「……囲まれている。だが、姿が見えない!」
エレナが聖剣を抜き放ち、周囲の空間を睨みつける。
アルも、腰の『黒鉄の包丁』に手をかけ、息を潜めた。
『――――環境マナの波形に、異常な歪みを検知――――』
オルタが、ルビー色の瞳を高速で明滅させながら警告を発した。
『――――アル、カルム、エレナ! 気をつけてください! 敵は『光学迷彩』と『マナ偽装』を展開しています! 姿も魔力も、完全に風景と同化していますッ!――――』
その直後であった。
ヒュンッ!!!!
何もない虚空から、突如として半透明の鋭利な刃が、カルムの首筋へ向けて音もなく振り下ろされたのだ!
二、 見えない攻撃と戦術の欠落
「チィィッ!」
カルムが野生の勘で咄嗟に上体を反らし、刃を紙一重で回避する。
しかし、見えない刃の軌道は鋭く、カルムの頬を浅く切り裂き、一筋の血が空に舞った。
「どこから来やがった……ッ! オラァッ!!」
カルムが反射的に右の炎拳を虚空へ放つ。
ドガァン! と炎が爆発するが、そこにはすでに敵の気配はなく、空の空気を焦がしただけであった。
「甘いぞ、喧嘩屋ッ! 左だッ!」
エレナが地を蹴り、カルムの左側面に回り込んで聖剣を振り抜く。
ガギィィィンッ!!
空中で透明な刃と聖剣が激突し、火花が散る。その一瞬だけ、全身に特殊な迷彩マントを纏った黒装束の暗殺者の姿が、陽炎のように浮かび上がった。
【教国神託機関直属・暗殺部隊『不可視の刃』】。
昨日、荒野の行商人バン老人が語っていた「神罰審判官」の先兵たちだ。
神の管理を乱すバグであるアルたちを抹殺するため、教国が放った音なき死神。
「見えたッ! 【星霜一閃】ッ!」
エレナが反撃の極光を放つが、暗殺者は再びマントを翻し、一瞬にして風景と同化して完全に姿を消してしまった。
「くっ……消えただと!? 聖騎士の気配察知すら欺くとは……教国の暗殺部隊、恐るべき隠密技術だ!」
「冗談じゃねぇぞ! 姿も見えねぇ、気配もねぇ奴を、どうやって殴りゃいいんだよッ!」
カルムが苛立ちを露わにし、周囲に無差別に炎の弾丸をばら撒く。
しかし、暗殺者たちはその炎の隙間を縫うように移動し、木々の枝や草むらの死角から、音もなく無数の透明な投げナイフや魔力針を撃ち込んでくる。
「【星霜不滅陣】ッ!」
エレナが慌てて障壁を展開するが、敵の攻撃は全方位から、しかもタイミングをずらして飛んでくるため、障壁の死角を突かれてエレナの肩や足に浅い傷が刻まれていく。
「アル殿! 君の『真理の目』で、奴らの位置は分からないか!?」
エレナが血を流しながら叫ぶ。
アルは、瞳に黄金の光を限界まで灯し、空間を凝視していた。
しかし、彼の表情は苦悶に満ちていた。
「だ、だめだ……っ!」
アルが叫ぶ。
「敵のマントが……光と因果の糸を、あちこちに乱反射させてる! 僕の目には、無数の『偽物の結び目』が重なって見えちゃって……どれが本物の敵なのか、絞りきれないよッ!」
アルの『真理の目』は、物質や事象の「因果の結び目」を視覚化する究極の眼だ。
しかし、教国の暗殺部隊が纏う光学迷彩は、その「因果の糸」の映像すらも幻影として空間に乱反射させる特殊な魔導具であった。
アルの視界には、何百本ものダミーの糸が映し出され、正確な解体線を特定することができなかったのだ。
シュガッ!
「ぐあッ!」
再びカルムの背中が見えない刃に切り裂かれた。
「チクショウ……ッ! このままじゃ、一方的に削り殺されちまうぞッ!」
カルムの炎は当たらず。
エレナの盾は死角を突かれ。
アルの解体は幻影に阻まれる。
個々の力は最強クラスの三人であったが、連携の要となる「敵を正確に捉える目」が完全に機能不全に陥っていた。
未知の環境、未知の戦術。
『最高の厨房』は、結成以来最大の「戦術的欠落」という危機に直面していた。
三、 オルタの覚醒、私の役割
「……ワタクシの……家族が……」
その絶体絶命の戦場の中央で。
オルタは、両手を胸の前で固く握り締め、ルビー色の瞳を激しく震わせていた。
血を流すカルム。
肩で息をするエレナ。
そして、必死に目を凝らすアル。
(アルたちが……傷ついていく。……ワタクシは、また守られているだけ……)
オルタの胸の奥底のコアが、ギリリッと痛みを伴って収縮した。
彼女は、アガルタの地下でアルたちに救われ、「心」と「自由」をもらった。
しかし、地上に出てからは、食材探しを手伝うくらいで、戦闘においてはアルたちに庇われるばかりであった。
(ワタクシは……ただの『お荷物』ですか……?)
『ワタクシは……もう、道具ではありません』
『ワタクシは、アルたちの家族として……生きていきますッ!』
自ら宣言した、あの日の誓い。
家族なら、守られるだけではいけない。
家族の食卓を脅かす者がいるのなら、自分も共に立ち向かわなければ。
(ワタクシに……ワタクシにできることは、何……?)
オルタは、目を閉じた。
彼女の内部システムには、戦闘用の強力な火器や、エレナのような絶対的な防御魔法は備わっていない。彼女はあくまで、古代アガルタの『管理・防衛中枢素体』。
情報の処理、空間の演算、そして事象の解析において、右に出る者はいない「最高峰の電子頭脳」を持つ存在。
(アルの目が、幻影に惑わされているなら。……カルムの炎が、当たる場所を必要としているなら。……エレナの盾が、死角を恐れているなら)
オルタのルビー色の瞳が、カッ! と見開かれた。
その瞬間、彼女の白磁の身体から、透明な『マナのパルス波』が、半径一キロメートルの空間全体へ向けて、爆発的な速度で放射された!
「ワタクシは……ワタクシは、皆様の『目』になりますッ!!」
オルタの声が、凛と森の中に響き渡った。
『――――広域空間マナ・ソナー……最大出力にて展開――――』
オルタのルビー色の瞳に、無数のデータ文字列が滝のように流れ落ちる。
彼女の脳内に、天竜山脈のこの森の空間――木々の配置、風の流れる速度、気温のコンマ一度の変化、そして空間に漂う微細なマナの揺らぎが、完璧な「三次元立体マップ」として再構築された。
『――――ダミーの視覚情報(光学迷彩)を、解析データより除外。……大気の流れの遮断、および足元の土の微細な圧力変化のみを抽出して……敵の『物理的座標』を逆算しますッ!――――』
暗殺部隊の迷彩は、光や魔力を欺くことはできても、彼らが「そこに質量を持って存在している」という物理的法則まで消し去ることはできない。
オルタの超高度な演算能力は、彼らが踏んだ草の倒れ方、彼らの体温がもたらす空気の対流の乱れを瞬時に計算し、見えない敵の「真の座標」を完璧に割り出したのだ!
四、 情報支援と連携の極致
「カルムッ!!」
オルタの澄み切った声が、戦場に響いた。
「右斜め後方、仰角三十度、距離七メートル! そこにある大樹の太い枝の上です! 火力指定・中……今ですッ!!」
「おっしゃぁぁぁッ! オルタの言う通りにぶっ放すぜッ!!」
カルムは、一切の疑いを持たず、オルタの指示した何もない空間へ向けて、右の炎拳を叩き込んだ!
【我流神殺・赤蓮火砲】ッ!!
ドガァァァァァァァァンッ!!
「ぐあぁぁぁっ!?」
何もないはずの空中の枝から、炎に包まれた暗殺者が悲鳴を上げて転げ落ちた!
「すげぇ……! 本当に当たりやがった! オルタ、お前の頭ん中どうなってんだ!?」
カルムが大興奮で叫ぶ。
「エレナッ!」
オルタの指示は止まらない。
「左から三体の同時攻撃が来ます! 地上を這うように二体、上空から一体! 防壁展開角四十五度、前方三メートルの位置に固定してください!」
「承知したッ! 我が背中の眼となれ、オルタッ!」
エレナが、見えない敵の攻撃を待たずに、オルタの指示した空間へピンポイントで【星霜不滅陣】を展開した。
ガギィィンッ! ガガガッ!
直後、透明な刃が三方向から寸分の狂いもなくその障壁に激突し、弾き返された!
「よし……! 弾いた瞬間に生じた『硬直』……そこを叩くッ! 【星霜無窮斬】ッ!」
エレナのカウンターの極光が閃き、見えない三体の暗殺者たちを確実に斬り伏せた!
「そして……アルッ!!」
オルタは、アルの背中にぴったりと身を寄せ、両手でアルの肩をしっかりと掴んだ。
「アルの『真理の目』の視界に、ワタクシの解析データを同期させます!」
オルタのコアから、黄金のマナの波形がアルの身体へと流れ込む。
アルの黄金の視界の中で、無数に乱反射していたダミーの糸(幻影)が、オルタのデータ補正によって次々と「黒色」へと塗りつぶされていく。
そして、ただ一つ残った――輝く【白金の解体線】!
「見える……! オルタがノイズを消してくれたおかげで……本物の『結び目』だけが、はっきりと見えるよッ!」
アルが、黒鉄の包丁を力強く構え直した。
「正面十メートル! ダミーの奥にある本体の結び目……そこに、最後の一体がいます!」
オルタが叫ぶ。
「ありがとう、オルタ! 行くよッ!!」
アルが、大地を蹴って正面の空間へ向けて一直線に跳躍した!
「【真・理・解・体】――――――ッ!!!!」
シュッ――――――――。
空を切るような、滑らかな一閃。
しかし、アルの包丁の刃先は、見えない暗殺者が纏っていた光学迷彩魔導具の「起動の結び目」と、彼自身の武器の「結合の筋」を、寸分の狂いもなく完璧に切断していた。
サクッ……。
パリーンッ! という音とともに、最後の暗殺者の光学迷彩がガラスのように砕け散り、丸腰となった黒装束の男が泥地へと転がり落ちた。
「ば、馬鹿な……。教国最高の隠密技術が……こんな小娘の演算と、ただの包丁に破られるなど……ッ!」
暗殺者が震える声で呟き、完全に気を失った。
戦闘時間、わずか三分。
見えない恐怖としてアルたちを追い詰めていた教国の最強暗殺部隊が、オルタの【情報支援】が加わった瞬間に、手も足も出ずに全滅したのだ。
五、 三人目の仲間として
「ふぅ……っ! 終わった……」
アルが、黒鉄の包丁を滑らかに鞘へ納め、大きく息を吐いた。
「やったな、オルタッ!!」
カルムが、駆け寄ってきて、オルタの小さな身体をガシッと両腕で抱え上げ、高い高いをした。
「お前、すげぇじゃねぇか! あんな見えねぇ敵の場所を、センチ単位でドンピシャで当てやがって! おかげで俺の拳が百発百中だったぜ!」
「わわっ! カルム、目が回ります……っ!」
オルタは驚きながらも、嬉しそうにクスクスと笑った。
「うむ。素晴らしい指揮能力だ、オルタ」
エレナも聖剣を納め、オルタの頭を優しく撫でた。
「君の空間把握と戦術眼がなければ、我々はあのままジリ貧で削り殺されていただろう。……君は、私たちにとって欠かすことのできない『絶対の眼』だ」
オルタは、カルムに下ろされると、アルの顔を見つめた。
アルは、泥で汚れたオルタの頬を優しく指で拭いながら、最高に温かい笑顔を向けた。
「ありがとう、オルタ。オルタのおかげで、みんな無事だったよ。……オルタは、本当にすごいね!」
そのアルの言葉に、オルタのルビー色の瞳から、またしても嬉し涙がホロリとこぼれた。
「アル……っ」
オルタは、自らの胸に手を当て、力強く、そして誇り高く宣言した。
「ワタクシは……もう、守られるだけの存在ではありません」
オルタの声は、森の木々を震わせるほど、真っ直ぐに澄み渡っていた。
「アルの包丁が、道を切り開くなら。カルムの炎が、敵を焼き尽くすなら。エレナの盾が、みんなを護るなら。……ワタクシのこの解析能力は、皆様の『目』となり『耳』となって、絶対に危険を近づかせません!」
オルタは、三人の顔を代わる代わる見つめ、最高の笑顔で言った。
「ワタクシが……皆様の『レシピ(戦術)』を描きます。……この温かい食卓を護るための、チーム『最高の厨房』の、立派な一員としてッ!!」
オルタの宣言に、三人は顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。
「ギャハハハ! いいぜ! 解体、火力、盾、そして『レシピ』か! 料理の準備はこれで完璧に揃ったなッ!」
カルムが拳を突き上げる。
「ああ。これほど心強い仲間はいない」
エレナが微笑む。
アルは、オルタの両手をしっかりと握りしめた。
「よろしくね、オルタ。……僕にとっての、大切な『三人目の仲間』!」
カルム、エレナ、そしてオルタ。
アルが出会った、三人の孤独で不器用な魂たち。
彼らは今、互いの弱さを補い合い、互いの強さを引き出し合う、絶対の絆で結ばれた「真の四人パーティ」として、完全なる完成を見たのである。
「さぁ! 運動してお腹もペコペコだ! 邪魔者もいなくなったし、今度こそ美味しい『天竜キノコのリゾット』を作るよ!」
「おっしゃぁぁぁッ! 待ってましたッ!」
「ふふ、私の胃袋も限界だ」
「はい、アル! ワタクシ、いっぱい食べますっ!」
太陽の光が差し込む森の野営地で、再び温かな火が焚かれ、美味しい湯気が立ち上る。
迫り来る教国の影は確かに存在する。しかし、今の彼らには、どんな見えない敵であろうと打ち破る『最強の目』が備わっている。
芽生えた心は、確かな「存在意義」となり、彼女を真の仲間へと押し上げた。
四人の笑い声が、天竜山脈の空高くへと、どこまでも明るく響き渡っていくのであった。




