第113話:ただ力任せでは届かない
一、 狂獣の暴威と、三十倍重力の飽和
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!!
三十倍重力が支配する武神の孤島、その最深部たる黒曜石のクレーター。
そこで巻き起こったのは、地獄の底の蓋が開いたかのような、原初マナの暴走と古代の怨念が入り混じった狂気の渦であった。
「グルオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
九つの竜の頭、重甲蜘蛛の多節の脚、そして原初溶岩蛇の太く長い尻尾。
武神に敗れ去った無数の古代魔獣たちの残留思念が融合して生まれた巨大な合成獣が、天を衝くほどの咆哮を上げた。
その咆哮だけで、三十倍重力の空間に凄まじい衝撃波が走り、周囲に突き刺さっていた何万もの錆びた武器の墓標が、まるで枯れ葉のように空高く巻き上げられていく。
「……ハッ。声だけはデケェな、合成野郎がッ!」
カルムは、突き刺さった巨大な大剣の柄の上に立ち、その暴威を正面から受け止めていた。
彼の両肩からは、真紅と緋色が混ざり合う『炎の双腕』が、陽炎のように立ち上っている。
カルムは、炎の腕で巨大な大剣の柄をガッチリと掴むと、三十倍重力の負荷すらも利用して、一気に自身の身体を空中へと弾き飛ばした。
ズガァァァァァァァンッ!!!!
カルムが跳躍した直後、彼の立っていた大剣とその周囲の岩盤が、キメラの九つの口から一斉に放たれた【超高熱のマグマ弾】と【青白い破壊光線】によって、跡形もなく消し飛ばされた。
空間が熱でねじ曲がり、爆発の余波だけで並の生物なら骨まで灰になるほどの破壊力。
だが、空中に舞ったカルムは、全くダメージを受けていなかった。
「……遅ぇよ……ッ!」
カルムの身体は、三十倍重力の引力に引かれて猛スピードで落下しながらも、空中で炎の腕を巧みに操り、空気を叩いて重心を自在にコントロールしていた。
これまでの彼なら、三十倍重力の中で跳躍することなど不可能だった。
しかし、激痛と引き換えに受肉した『炎の双腕』から供給される圧倒的な生命エネルギーが、彼の全身の骨格と筋肉をより強靭な構造へと変異させていたのだ。
三十倍の重力が、カルムにとってはもはや「動きを阻害する枷」ではなく、「自らの速度を加速させるための推進力」へと変わっていた。
シュンッ!!
カルムは、落下速度を最大限に利用し、キメラの最も巨大な中央の竜の頭へ向かって、隕石のような速度で突撃を仕掛けた。
二、 圧倒的出力、炎の双腕の猛威
「シィィィィィィッ!!」
中央の竜の頭が、カルムの迎撃に向けて、口内に真っ赤に煮えたぎる極大のマグマの息吹をチャージし始めた。
放たれれば、クレーターの底すべてを火の海に変えるほどの絶大なエネルギー。
だが、カルムは回避しなかった。
「……俺の新しい腕の力……試させてもらうぜッ!」
カルムは、落下しながら、右肩の『炎の腕』を限界まで大きく振りかぶった。
真紅と緋色の炎が、カルムの意志に呼応して凄まじい密度で圧縮され、巨大な【炎の鉄槌】のような形へと変貌する。
マナ回路を通さず、己の魂と命の熱を直接物理的な力として顕現させる、究極の我流武術。
「オラァァァァァァァァァッ!!!!」
ブワァァァァァァァァァンッ!!!!
カルムの放った炎の右拳が、キメラの放とうとしたマグマの息吹を、その強烈な熱量と質量ごと、真っ向から【力で】殴り潰した。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
響き渡る、鼓膜を破るほどの爆音。
カルムの拳から放たれた概念炎が、キメラのマグマを逆流させ、そのまま中央の竜の頭を根本から吹き飛ばした。
「ギギャアァァァァァァァァッ!?」
他の八つの頭が、激痛に身をよじらせて絶叫を上げる。
黒曜石の硬度を誇る鱗も、古代の魔獣の異常な防御力も、カルムの新しい『炎の腕』の絶大な出力の前には、ただの紙切れ同然だった。
(……スゲェ……ッ! なんだこのバカみたいな出力は……! これなら、使徒どもの装甲だろうがなんだろうが、一発で……!)
カルムが、自身の放った一撃の威力に歓喜した、その直後だった。
ジジジジジジジジッ!!!!
「あ……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
カルムの脳髄に、千本の焼け火箸を同時に突き立てられたような、凄絶な【激痛】が走った。
カルムの身体は空中でバランスを崩し、三十倍重力の大地へと不様に叩き落とされた。
ズサァァァァンッ!!
「……ガハッ……! ゲホォォッ……!」
血を吐きながら、カルムは地面をのたうち回った。
痛い。痛すぎる。
先ほど拳を握った時とは比べ物にならないほどの、脳を直接焼かれるような激痛。
炎の腕は、カルムの神経系と完全に直結している。
その腕で『絶大な出力(力任せの攻撃)』を放つということは、すなわち、カルム自身の細胞と生命力を、一瞬で莫大に燃焼させるということに他ならない。
(……クソ……が……ッ! 出力を上げれば上げるほど……反動で俺の脳みそが焼き切れそうになる……ッ!)
威力が高い分、代償も桁違い。
この炎の腕は、魔法のような便利な道具ではない。
命そのものを切り売りして戦う、諸刃の剣なのだ。
三、 蘇る狂獣、力では断ち切れぬ因果
「……ハァ……ハァ……ッ……。……だが、頭は一つ潰した……ッ」
カルムは、激痛に歪む顔を上げ、立ち上がるキメラの姿を睨んだ。
だが、次の瞬間、カルムの左目は絶望的な光景を捉えた。
「グルルルルル……ッ」
カルムの炎の拳によって完全に消し飛ばされたはずの、キメラの中央の首の断面。
そこから、ドロドロとした赤黒い原初マナの泥が噴き出し、まるで逆再生のように、骨格が形成され、筋肉が絡みつき、鱗が覆い……。
わずか数秒の間に。
吹き飛ばされたはずの竜の頭が、全くの無傷で【完全に再生】してしまったのだ。
「……は……?」
カルムは、言葉を失った。
「グルアァァァァァァァァッ!!!!」
九つの頭が完全に揃ったキメラが、カルムを嘲笑うかのように、さらに狂暴な咆哮を上げた。
(……再生した、だと……? ……冗談じゃねぇぞ……。あんな完璧な一撃を食らわして、ノーダメージかよ……ッ!)
カルムは、歯を食いしばりながら、再び炎の腕を構えた。
この巨大キメラの正体は、武神に敗れ去った古代魔獣たちの『残留思念』の集合体だ。
物理的な肉体を持っているように見えるが、その本質は「原初マナと怨念が泥のように固まったもの」。
つまり、いくら外側を力任せに吹き飛ばそうとも、周囲にある無限の原初マナを吸収し、何度でも形を成して蘇ってくるのだ。
「……だったら……再生が追いつかねぇくらい……粉々にすり潰してやるよッ!」
カルムの闘争本能が、激痛による警告を無視して、再び炎の腕の出力を全開にした。
シュンッ!!
カルムは三十倍重力を利用した超スピードで、キメラの懐へと潜り込む。
「オラオラオラオラオラァァァァァァッ!!!!」
カルムの炎の双腕から、雨霰のような連続打撃が放たれる。
ドガァァン! ズバァァァン! ガシャァァァァァンッ!!!!
右の竜の頭をフックで粉砕。
重甲蜘蛛の脚をアッパーでへし折る。
溶岩蛇の尻尾を、炎の刃で真っ二つに両断する。
カルムの放つ一撃一撃は、まさに破壊の極致。
三十倍重力の大地が揺れ、キメラの巨体が次々と削り取られていく。
だが。
ジジジジジジジジッ!!!!
「がぁぁぁぁぁぁっ……!!」
一発殴るごとに、カルムの脳が焼かれ、鼻や耳から血が噴き出す。
激痛が彼の思考を濁らせ、動きの精度を徐々に奪っていく。
そして、カルムがどれほど力任せにキメラの部位を破壊しようとも。
「シャアァァァァッ!!!!」
吹き飛ばされた端から、原初マナの泥が蠢き、瞬く間に新たな頭が、新しい脚が、全くの無傷で再生してしまうのだ。
四、 激痛の連鎖と焦燥
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……ガハッ……!」
十数合の乱打戦の末、カルムはたまらず後方へと跳び退き、血の海に膝を突いた。
(……クソが……ッ! ……どんだけブチ壊しても……キリがねぇ……ッ!)
視界が、痛みと失血で真っ赤に染まっている。
炎の腕は、彼の意志に応じて形を保ってはいるが、その出力を支えているカルム自身の生命力が、すでにレッドゾーンを振り切っていた。
指先から感覚が失われつつあり、脳髄は熱暴走を起こす寸前だ。
対する巨大キメラは、全く疲労の様子を見せていなかった。
それどころか、カルムの攻撃を吸収して原初マナの循環を活性化させたのか、その体躯は先ほどよりも一回り巨大に膨れ上がり、九つの口から放たれる熱気もさらに凶悪さを増している。
ドズゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
キメラが、その巨大な多節の脚で地面を踏み鳴らす。
三十倍の重力がさらに局所的に増幅され、カルムの身体を地面へと強烈に押さえつける。
「……ぐ……ぉ……ッ……」
カルムは、炎の両腕を地面に突き立てて必死に耐えるが、膝が震え、今にも押し潰されそうになる。
(……このままじゃ……確実に俺が先に力尽きる……。……力と力のぶつかり合いじゃ……どうあがいても、俺の命が持たねぇ……)
カルムは、荒い呼吸を繰り返しながら、絶望的な焦燥感に駆られていた。
せっかく新しい力を手に入れたというのに。
マナに頼らない、自分だけの炎の腕を覚醒させたというのに。
結局、力任せに殴るだけでは、このバケモノの無限の再生を止めることはできない。
『力無き希望は、ただの過ちです』
またしても、メリエルの冷たい声が脳裏を過る。
人間がいくら足掻こうと、神の作った理不尽なシステム(無限の再生能力など)の前には、ただの消耗品としてすり減っていくだけ。
「……うるせぇ……ッ。……俺は……絶対に諦めねぇ……ッ」
カルムは、歯を食いしばって前を睨む。
だが、焦れば焦るほど、炎の腕の出力が不安定になり、不必要な激痛がカルムの集中力を削いでいった。
ズバァァァァァァァァンッ!!!!
「がはぁッ!?」
キメラの巨大な尻尾の薙ぎ払いが、カルムの脇腹を直撃する。
三十倍重力の質量を乗せた一撃に、カルムの身体は空中へと高く跳ね上げられ、黒曜石の岩壁に深々と叩きつけられた。
五、 ただ力任せでは届かない
「……ガ……ボァッ……!」
岩壁のクレーターにめり込んだカルムは、口から大量の血を吐き出し、力なく地面へと滑り落ちた。
「……ハァ……ハァ……っ……」
動けない。
炎の腕を維持するだけで精一杯で、立ち上がる力すら残っていない。
キメラが、勝利を確信し、ゆっくりとその巨体をカルムへと近づけてくる。
九つの頭が、それぞれに異なる性質のブレス(炎、氷、雷、毒など)をチャージし、カルムを完全に消し去るための準備を整え始めた。
(……俺は……また、同じ過ちを繰り返そうとしてるのか……?)
カルムは、霞む視界の中で、這い寄る死の影を見つめながら、自問自答していた。
三使徒との戦い。
あの時も、俺は自分の『極光炎の出力(火力)』だけを信じて、力任せに突っ込んだ。
そして、圧倒的な数値の差に叩き折られ、右腕とマナを失った。
この島に落ちてきてからもそうだ。
十倍重力の大重甲蜘蛛に対して、力任せに殴りかかって左腕を砕かれた。
(……力でねじ伏せようとするから……相手の本当の強さ(理)に負けるんだ……)
カルムの脳裏に、先ほどの【武神の残滓】との戦いが蘇る。
あの古代の闘鬼は、決して力任せの攻撃などしなかった。
常に最小限の動きで、最も効果的な場所に、浸透勁という理を乗せて攻撃してきた。
カルムが武神の残滓に一矢報いることができたのも、炎の触手で相手の姿勢を崩し、無理やり『力の空白』をこじ開けて、そこに刃を滑り込ませたからだ。
(……このキメラも同じだ。……外側から力任せに殴ってブチ壊しても……意味がねぇ……)
どんなに巨大な肉体を持っていようと。
どんなに無限の再生能力を持っていようと。
この世界に存在する「形あるもの」である以上、必ずそれを繋ぎ止めている【核】が存在するはずだ。
無数の残留思念と原初マナを融合させ、この巨体を一つの生命体として機能させている、最も重要で、最も繊細な【因果の交差点】。
そこを綺麗に断ち切らなければ、いくら物理的に肉体を破壊しても、すぐに再生してしまう。
「……力任せじゃ……届かねぇ……」
カルムは、岩壁に背を預けたまま、炎の腕の出力を【あえて落とした】。
無差別に放たれていた熱波が収まり、カルムの激痛もわずかに和らぐ。
今は、出力を上げる時ではない。
冷静に、極限まで相手の『理』を見極める時だ。
(……視ろ。……俺の『解体眼』で……。こいつの命の繋がりを……全部、丸裸にしてやる……)
カルムは、ゆっくりと目を閉じ、そして再びカッと左目を見開いた。
彼の瞳孔の奥で、黄金色の光が鋭く明滅する。
それは、アルの持つ『真理の目』の能力が、カルムの修羅の魂と共鳴し、彼自身の眼に一時的に宿った現象であった。
視界が、全く別の色に染まる。
キメラの巨大な肉体が半透明に透け、その内部を巡る無数の原初マナの奔流と、何万もの怨念の糸が、複雑に絡み合っているのが視える。
「……グルアァァァァァァァァァッ!!!!」
キメラの九つの口から、全方位を焼き尽くす必殺の多重ブレスが、ついにカルムへと向かって放たれた。
逃げ場のない、死の奔流。
だが、カルムは動じなかった。
(……見えたぜ……。……あいつの巨体を繋ぎ止めてる……たった一つの『結び目』が……!)
カルムは、自らの炎の腕を、ただ力任せに振るうための棍棒から、相手の理を綺麗に解体するための【鋭利な包丁】へと、その本質をシフトさせていく。
力で殴るのではない。
理を断ち切るのだ。
迫り来る圧倒的な死の奔流を前にして、カルムの脳裏に、かつてスラムの小屋で見た『ある光景』が、これ以上ないほど鮮明に蘇り始めていた。
第114話「料理人の手さばきを思い出せ」。
ただの力自慢だった少年が、相棒の技術を真の武術へと昇華させ、この絶海の地獄で完全なる【解体の理】を完成させるための、反撃の刃がいま静かに研ぎ澄まされようとしていた。




