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残業代を回収して国を捨てる!次は竜王の管理職です。  作者: 月雅


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第9話 最後の清算


どうしてだろう。

目の前の光景に、何の感情も湧いてこない。


「……どうか、我が国をお救いください。レティーシア様。」


かつての上司だった法務大臣が、深々と頭を下げていた。

ドラゴニア帝国の応接室。

彼は使い古されたスーツを着て、憔悴しきった顔をしている。

以前、私が未払い残業代を請求した際、震えながら書類を確認していた姿よりも、さらに一回り小さく見えた。


「状況は把握しております。」


私は手元の資料に視線を落とした。

アズライト王国からの正式な救援要請書。

そこには、国の窮状が赤裸々に記されていた。

財政破綻、行政機能の麻痺、そして王太子レイモンドの廃嫡決定。


「国王陛下は病床に伏せられ、レイモンド殿下は……幽閉されました。国を導く者がおりません。」

「それで、私に戻ってこいと?」

「はい。貴女様の手腕があれば、まだ国は持ち直せます。どうか……!」


大臣の声は悲痛だった。

だが、私の心は冷めていた。

これは復讐心ですらない。

ただの、終わった案件に対する無関心だ。

私は今、ドラゴニア帝国の公務員であり、この国の利益を最優先に行動する義務がある。


「誤解なさらないでください。私は慈善事業家ではありません。」

「そ、それは……。」

「ですが、ビジネスパートナーとしてなら話は別です。」


私は一枚の書類をテーブルに滑らせた。

カミル宰相と徹夜で仕上げた『国家再生支援に関するコンサルティング契約書(案)』だ。


「当国は、貴国の行政システム再構築のための人的リソースを提供します。具体的には、私を中心としたチームを期間限定で派遣します。」

「は、派遣……ですか? 戻ってきてくださるのではなく?」

「出向です。期間は一ヶ月。その間に緊急課題を処理し、自走できる体制を整えます。」


私は眼鏡を押し上げ、金額の欄を指差した。


「報酬はこちら。ドラゴニア帝国の国庫へ、一括前払いでお願いします。」

「なっ……! こ、これは……国家予算の三割に相当しますぞ!?」

「高いですか? 国の存続と天秤にかけて。」


大臣は絶句した。

額の汗を拭うことも忘れ、数字を見つめている。

高い。当然だ。

これには私の技術料だけでなく、ジークフリートの護衛費用、そして過去の精神的苦痛に対する慰謝料的な意味合いも含まれている。

国庫に入る金だが、回り回って私のボーナスにも反映される契約だ。


「……わかりました。背に腹は代えられません。」

「賢明なご判断です。では、ここに署名を。」


大臣は震える手でサインをした。

契約成立。

魔力が淡く発光し、両国間の合意が確定する。


「行くぞ。」


背後で控えていたジークフリートが立ち上がった。

彼は不機嫌そうに腕を組んでいるが、その瞳は鋭く私を守るように光っている。

今回も護衛として、そして「パートナー」として同行を申し出てくれたのだ。


「はい、ボス。出張の時間です。」


私は鞄を持った。

中には、かつてアズライトで使い古した万年筆ではなく、ドラゴニアで新調した最高級のペンが入っている。

道具が変われば、書く未来も変わる。

さあ、終わらせに行こう。


アズライト王国の王都は、記憶の中よりもずっと灰色だった。

活気のない市場。

ゴミが散乱した路地。

かつて私が裏で清掃業者を手配し、景観維持に努めていた努力の痕跡は、見る影もない。


「酷いな。」


馬車の窓から外を見て、ジークフリートが呟いた。

彼はドラゴニアの荒っぽい風土には慣れているが、この淀んだ空気は生理的に受け付けないらしい。


「管理者の不在は、都市をここまで腐敗させるのです。」

「お前がいなくなって数ヶ月だろう? 早すぎる。」

「それだけ、ギリギリのバランスで保っていたということです。」


馬車は王城へと滑り込む。

門番たちは覇気がなく、私たちの豪奢な馬車を見ても敬礼すら忘れていた。

城内に入ると、その荒廃ぶりはさらに顕著だった。

廊下の花瓶は枯れ、絨毯には染みがついている。

すれ違うメイドたちは疲れ切った顔で、私に気づくと幽霊を見たように目を見開いた。


「レ、レティーシア様……?」

「お久しぶりです。掃除用具の場所は変わっていませんね?」

「は、はい……!」

「では、第一会議室を即時解錠。各省庁の局長クラスを全員招集してください。十分後から会議を始めます。」


私は歩きながら指示を飛ばした。

感傷に浸る暇はない。

契約期間は一ヶ月。

時間との戦いだ。


会議室に集まった官僚たちは、皆一様に顔色が悪かった。

かつての同僚や、私を「小うるさい女」と陰口を叩いていた者たち。

彼らは今、救世主を崇めるような目で私を見ている。


「時間がないので端的に申し上げます。現状、この国の行政は死に体です。」


私はホワイトボードの前に立った。

カツカツとマーカーを叩く。


「まず、予算配分の見直し。王族費を九割削減し、公共事業と未払い給与の補填に回します。」

「き、九割!? そんなことをすれば王族の生活が……!」

「生活水準を下げるか、国が滅びるか。二択です。」


反論しようとした財務局長を、視線だけで黙らせる。

隣には、仁王立ちしたジークフリートがいる。

彼の「威圧」スキルが、交渉を円滑に進めるための潤滑油(物理)として機能していた。


「次に、人事評価制度の刷新。縁故採用を廃止し、実力主義を導入します。無能な管理職は降格、あるいは解雇。」

「そ、そんな……我々の権利は……。」

「権利を主張するなら義務を果たしてください。成果物のない労働に対価は支払われません。」


以前の私なら、ここまで強気には出られなかっただろう。

「王太子補佐」という中途半端な立場が、私を縛っていた。

だが今は違う。

私は外部の人間であり、高額な契約金で雇われた「プロ」だ。

情け容赦なくメスを入れることができる。


会議は深夜まで続いた。

怒号と悲鳴が飛び交ったが、最後には全員が私の案に同意した。

いや、させられた。

圧倒的な論理と、背後の竜王の圧力によって。


「……休憩だ。」


ジークフリートが私の肩に手を置いた。

時計を見ると、午前二時を回っていた。

かつての私なら、ここからさらに残業をしていただろう。


「そうですね。労働基準法の遵守は、私が率先して示さなければなりません。」

「顔色が悪いぞ。また倒れる気か?」

「いいえ。もう二度と、あんな無様な姿はお見せしません。」


私はペンを置いた。

心地よい疲労感。

以前のような、終わりの見えない徒労感とは違う。

パズルが組み上がっていくような達成感があった。


休憩室でコーヒーを飲んでいると、ドアがノックされた。

入ってきたのは、見知らぬ老侍従だった。


「……レティーシア様。レイモンド様が、お会いしたいと。」


その名を聞いても、心は波立たなかった。

ただの確認事項のように、私はカップを置いた。


「会う必要性を感じません。業務外です。」

「……最後にお詫びがしたいと、泣いておられます。」

「お詫び?」


私は鼻で笑ってしまった。

今更だ。

国を傾け、私を罪人扱いし、国境で魔法を撃ち込んできた男が、詫びる?

それは謝罪ではない。

許されることで楽になりたいという、自己愛の発露に過ぎない。


「ジークフリート、どう思いますか?」

「時間の無駄だ。だが、引導を渡してやるのも慈悲かもしれん。」


彼は私の顔を覗き込んだ。

その瞳は「お前が決めろ」と言っている。

私が過去に囚われているか、それとも完全に吹っ切れているか。

それを確認しようとしているようだった。


「……そうですね。清算は済ませておくべきでしょう。」


私は立ち上がった。

未練はない。

ただ、終わりのピリオドを打つために。


案内されたのは、塔の最上階にある一室だった。

かつては客間として使われていた部屋だが、今は鉄格子が嵌められ、簡素なベッドと机しか置かれていない。

幽閉された廃太子。

それが今のレイモンドの肩書きだ。


鍵が開けられる。

中に入ると、部屋の隅で膝を抱えている男がいた。

伸び放題の金髪。

汚れたシャツ。

あの夜会で輝いていた王太子の面影はない。


「……レティーシア?」


彼は顔を上げた。

虚ろな瞳。

私を認めると、縋るように立ち上がった。


「レティーシア! 来てくれたんだね! やっぱり、君は僕を見捨てなかった!」


彼は手を伸ばしてきた。

私は一歩も動かず、冷たい視線で見下ろした。

その距離感が、見えない壁となって彼を阻む。


「勘違いなさらないでください。私は仕事でここに来ただけです。」

「仕事……? そんな、冷たいことを言わないでくれ。僕は反省したんだ。ミランダには騙されていたんだ。本当に愛していたのは君だけだった!」


彼は涙を流して訴えた。

典型的な言い訳だ。

以前の私なら、ほだされていたかもしれない。

「私が支えてあげなきゃ」と。

だが今は、その言葉の軽さが透けて見える。

彼は私を愛していたのではない。

私という「便利な機能」を愛していただけだ。


「レイモンド様。貴方は廃嫡されました。もう王族ではありません。」

「そ、それは一時的なものだろう? 君が父上に言ってくれれば、また元に戻れる! そうしたら、今度こそ君を王妃に……!」

「戻れませんよ。」


私は断言した。

淡々と、事実だけを告げる。


「貴方が壊した国を直すために、どれだけのコストがかかっていると思いますか? 貴方の信用はマイナスです。ゼロに戻すことすら不可能です。」

「な……。」

「それに、私はもうドラゴニア帝国の人間です。私の居場所はあちらにあります。」


私は背後に立つジークフリートを見上げた。

彼は腕を組み、レイモンドを一瞥もしない。

ただ、私だけを見ていた。

その視線の強さが、私を支えている。


「あんな……あんな野蛮な国がいいのか!? 君は洗練された淑女だろう!?」

「ええ。とても快適ですよ。正当な対価が支払われ、私の仕事が尊重される場所ですから。」


私はレイモンドに向き直った。

これが最後だ。


「さようなら、レイモンド元殿下。貴方への請求書は全て国庫へ回しました。貴方個人には支払う能力がないと判断しましたので。」

「まっ、待ってくれ! 行かないでくれ! 一人にしないでくれぇぇッ!」


彼の絶叫が響く。

私は踵を返した。

背中で聞くその声は、かつての私が心の中で上げていた悲鳴に似ていた。

だが、もう共鳴することはない。


部屋を出て、鉄の扉が閉まる。

ガチャン、と重い音がして、絶叫が途切れた。


「……終わったな。」


ジークフリートが言った。

「はい。」

私は短く答えた。

胸のつかえが取れたような、不思議な軽さを感じていた。

悲しくもない。

寂しくもない。

ただ、一つの業務が完了したという事実だけが残った。


それからの日々は、怒涛のように過ぎ去った。

一ヶ月。

私は持てる全てのスキルを投入し、アズライト王国の行政を再建した。

マニュアルを作成し、人材を育成し、システムを自動化する。

私が去った後も、彼らが自分たちで回していけるように。

それは、かつて私が一人で抱え込み、失敗したことへのリベンジでもあった。


「レティーシア様、本当にありがとうございました。」

「貴女がいなければ、この国は終わっていました。」


契約期間満了の日。

城門の前には、多くの官僚やメイドたちが見送りに来ていた。

彼らの顔には、疲労はあるが、絶望はない。

自分たちの手で国を動かすという覚悟が宿っていた。


「感謝の言葉は不要です。報酬はいただいていますから。」


私はビジネスライクに返した。

だが、渡された花束を受け取る手は、少しだけ温かかった。

この国での五年間。

無駄ではなかったと思いたい。

少なくとも、彼らの中に私の仕事の流儀イズムは残せたのだから。


「行くぞ。カミルが待ちくたびれている。」


ジークフリートが馬車の扉を開けた。

ドラゴニアへ帰る馬車だ。

その塗装の輝きが、私には何よりも眩しく見えた。


「ええ、帰りましょう。私の職場へ。」


私は馬車に乗り込んだ。

ふかふかのシート。

隣には、不器用な相棒。

窓の外で手を振る人々が、次第に小さくなっていく。

アズライト王国の城が、夕焼けの中にシルエットとなって消えていく。


「……あー、疲れた。」


ジークフリートが大きく伸びをした。

背骨がポキポキと鳴る。


「護衛お疲れ様でした。特別手当を申請しておきます。」

「金はいらん。」

「では何を?」

「……肩を貸せ。眠い。」


言うが早いか、彼は私の肩に頭を乗せてきた。

重い。

銀髪が頬をくすぐる。

竜王の頭を枕にするなど、不敬罪で斬首ものかもしれないが、今は誰も見ていない。


「……仕方ありませんね。今回だけですよ。」

「ん……。」


彼は満足げに目を閉じた。

その寝顔を見ていると、私の中にも安堵が広がる。

終わったのだ。

過去との戦いも、清算も。

これからは、新しい未来を作るための仕事だけが待っている。


「……ありがとう、レティーシア。」


寝言のように、彼が呟いた。

その言葉は、どんな高額な報酬よりも、私の心を満たした。


馬車は国境を越え、ドラゴニア帝国へとひた走る。

私の帰るべき場所。

私が私らしくいられる場所。

そこには、まだ片付けるべき仕事と、世話の焼ける竜王との日々が待っている。

けれど、それは決して嫌な予感ではなかった。

むしろ、これからの毎日が楽しみで仕方がない。

そんな、かつてない感情を抱きながら、私は彼の髪をそっと撫でた。


窓の外には、一番星が輝いていた。

まるで私たちの帰還を祝福するように。


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