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残業代を回収して国を捨てる!次は竜王の管理職です。  作者: 月雅


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第6話 国境の対峙


風が鳴いている。

荒涼とした岩肌を、乾いた砂風が叩きつけていた。

国境地帯特有の、殺伐とした空気が肌を刺す。


「……来ましたか。」


私は双眼鏡を下ろした。

これはドラゴニア帝国の備品だ。

レンズ越しに見えたのは、きらびやかな鎧を纏った一団。

太陽光を反射し、無駄に目立っている。

アズライト王国の騎士団だ。


「数は五十といったところでしょうか。正規の一個小隊規模です。」


隣に立つ国境警備隊長に告げる。

彼は緊張した面持ちで頷いた。


「魔導師の姿も見えます。レティーシア様、本当に交渉だけで済むのですか? あれは完全に実力行使の布陣ですが。」

「交渉は試みます。それが文明国の手続きですから。」


私は砦の胸壁に手を置いた。

冷たい石の感触。

ここはドラゴニア帝国の領土。

一歩でも踏み込めば、それは侵略行為となる。


背後を振り返る。

少し離れた岩陰に、人影があった。

フードを深く被り、気配を消しているジークフリートだ。

彼は「俺が出る」と言って聞かなかったが、最初から竜王が出ていけば、交渉の余地なく戦争になってしまう。

私が合図をするまでは待機。

それが、道中で結んだ新たな口頭契約だった。


「行きましょう。玄関先で騒がれては、業務に支障が出ます。」


私は階段を降りた。

スカートの裾を払い、背筋を伸ばす。

手には何も持たない。

武器は言葉と法理だけだ。


重い門が開く。

ギギギ、と錆びた音が峡谷に響いた。

私は警備隊長と数名の兵だけを連れ、緩衝地帯へと歩み出た。


相手側も動きを見せる。

馬上の人物が進み出てきた。

白馬に跨り、豪奢なマントをなびかせている。

見間違いようもない。

元婚約者、レイモンドだ。


彼は私を認めると、芝居がかった動作で手を広げた。


「おお、レティーシア! 無事だったか!」


よく通る声だ。

かつては、その声で愛を囁かれたこともある。

今となっては、騒音にしか聞こえないが。


「お久しぶりです、アズライト王国王太子殿下。このような辺境まで、何のご用でしょうか。」


私は五メートルほどの距離を空けて立ち止まった。

外交上の対話距離だ。

表情は崩さない。

あくまで事務的に、他国の要人として接する。


レイモンドは馬から降りた。

革のブーツが砂を踏む。

彼は困ったような、しかしどこか自信に満ちた笑みを浮かべていた。


「他人行儀だな。迎えに来たんだよ、僕の愛しい君を。」

「……迎え、ですか?」

「そうだ。君がいなくなって、城は火が消えたようだ。ミランダも反省している。君の優秀さを改めて理解したよ。」


彼は一歩、こちらへ近づこうとした。

警備隊長が剣の柄に手をかける。

レイモンドはそれを鼻で笑い、止まった。


「誤解しないでくれ。僕は君を罪人として連れ戻すつもりはない。むしろ逆だ。『国賓』として迎えようと思っている。」

「国賓?」

「ああ。君はドラゴニア帝国の内情を探るために潜入していた――そういうシナリオにする。そうすれば、国家反逆罪の容疑も晴れるし、英雄として帰国できる。悪い話じゃないだろう?」


レイモンドはウィンクをして見せた。

眩暈がした。

この男は、どこまで自分に都合の良い脚本を書けば気が済むのか。

潜入工作員?

英雄?

全ては彼の保身と、私の実績を王家に都合よく回収するための虚構だ。


「お断りします。」


私は即答した。

間髪入れない拒絶に、レイモンドの笑顔が凍りつく。


「……なんだと?」

「聞こえませんでしたか? お断りすると申し上げました。私は現在、ドラゴニア帝国の正式な公務員であり、貴国の管轄外にあります。」


私は懐から身分証を取り出し、提示した。

帝国の国章が刻まれた銀のプレート。

所有権はドラゴニア政府にあるが、使用権は私にある。


「これは国際法上有効な身分証明です。貴国の『シナリオ』に付き合う義理も、メリットもありません。」

「メ、メリットがないだと? 王太子妃に戻れるんだぞ! 将来の王妃だ!」

「その地位に魅力を感じていたのは、過去の話です。」


あの夜会の記憶が蘇る。

一方的な婚約破棄。

未払いの残業代。

そして、私を「可愛げがない」と切り捨てた言葉。

それら全てが、私の心を完全に冷めさせていた。

今の私にとって、王妃の座よりも、ジークフリートが淹れた紅茶(私が指導して淹れさせたものだが)の方が価値がある。


「それに、提示された条件に『未払い賃金の精算』が含まれていません。以前お渡しした請求書の件、まだ解決しておりませんが。」

「金の話ばかりするな! 卑しいぞ!」


レイモンドが叫んだ。

顔を真っ赤にして、地団駄を踏む。

子供だ。

自分の思い通りにならないと癇癪を起こす。

その姿を見て、背後の騎士たちが困惑しているのがわかった。

彼らも薄々気づいているのだろう。

自分たちの主君の器の小ささに。


「正当な権利の主張を『卑しい』と断ずるのであれば、貴国とは価値観が共有できません。」

「くっ……!」

「お引き取りください。ここはドラゴニアの領土です。これ以上の滞在は、領空侵犯ならぬ領土侵犯とみなします。」


私は踵を返そうとした。

これ以上話しても時間の無駄だ。

あとは外交官に任せればいい。

そう思った矢先だった。


「待て! 誰が帰していいと言った!」


レイモンドの声が裏返った。

殺気。

肌が粟立つ感覚。


振り返ると、レイモンドが手を挙げていた。

その指にはめられた巨大なルビーの指輪が、不気味に明滅している。

魔導具による増幅だ。

その掌に、魔力が集束していく。

赤い光。

火属性の攻撃魔法だ。


「で、殿下!? 相手は非戦闘員ですぞ!」

「うるさい! この女は国家機密を持ち出した反逆者だ! 力ずくでも連れ戻す!」


騎士団長らしき男が止めようとするが、レイモンドは聞かない。

理性が崩壊している。

彼は私に向けて、その魔法を解き放とうとしていた。


「レティーシア、君が悪いんだ。僕に従わないから……ちょっと痛い目を見て、大人しくなればいい!」


狂気だ。

元婚約者に、公衆の面前で攻撃魔法を撃ち込む。

それは外交問題どころか、彼自身の政治的生命を終わらせる行為だ。

だが、今の彼にはそれが理解できていない。


私は動かなかった。

逃げないのではない。

逃げる必要がないと知っているからだ。


私の背後には、最強の契約者がいる。


「……愚かですね。」


私が呟いたのと同時だった。


ゴォォォォォォォ……ッ!


突如、上空から凄まじい風圧が降り注いだ。

砂塵が舞い上がり、視界を遮る。

アズライトの騎士たちの馬が、恐怖に嘶いて暴れ出した。


「な、なんだ!?」

「空を見ろ! あれは……!」


騎士の悲鳴。

彼らの視線の先。

太陽を背にして、巨大な影が舞い降りてくる。


銀色の鱗。

鋼鉄よりも硬く、宝石よりも美しい。

広げた翼は空を覆い隠し、その爪は岩をも砕く。

ドラゴニア帝国の象徴にして、最強の生物。


古竜エンシェント・ドラゴン


ドズゥゥゥンッ!


地響きと共に、その巨体が私のすぐ後ろに着地した。

衝撃波でレイモンドの魔法が霧散する。

彼は尻餅をつき、間抜けな顔で空を見上げていた。


『グルルルゥ……。』


喉の奥から響く唸り声。

それは物理的な振動となって、騎士たちの鎧を共振させた。

圧倒的な捕食者の気配。

生物としての格の違い。


私は砂を払い、涼しい顔でその巨竜を見上げた。


「……登場が派手すぎます、陛下。」


竜の金色の瞳が、私を見る。

縦に割れた瞳孔。

恐ろしいはずのその目が、どこかバツが悪そうに細められた。


『……我慢できなかった。』


頭の中に直接響く念話。

竜語魔法の一種だ。

契約者である私にだけ聞こえる声。


『あいつが、お前に手を向けた。……焼いていいか?』

「ダメです。清掃コストがかかります。」


私は即座に却下した。

灰になった王太子の処理など、誰がやると思っているのか。

それに、ここで殺してしまえば、アズライト王国は被害者面をするだろう。

生かして帰し、その無能ぶりを世界に晒す方が、より残酷で効果的だ。


「ひ、ひぃぃぃッ! り、竜……!?」


レイモンドが腰を抜かして後ずさる。

失禁していないのが不思議なくらいだ。

先ほどまでの威勢はどこへやら、彼は震える指で巨竜を指差した。


「ば、化け物……!」


その言葉に、竜がピクリと反応した。

巨大な首が動き、レイモンドの目の前まで近づく。

鼻先から漏れる熱気が、彼の金髪を煽った。


『……化け物ではない。ジークフリートだ。』


念話はレイモンドには届かない。

代わりに、竜は大きく口を開けた。

並び立つ鋭利な牙。

その奥に見える、紅蓮の炎の予兆。


「あ、あ、あああ……ッ!」


レイモンドは悲鳴を上げることすら忘れ、泡を吹いて気絶した。

騎士たちも総崩れだ。

武器を捨て、我先にと逃げ出そうとする者、祈りを捧げる者。

統率は完全に崩壊していた。


「勝負あり、ですね。」


私は冷ややかに告げた。

暴力ではなく、存在そのものによる制圧。

これぞ抑止力だ。


『……つまらん。もっと骨があるかと思ったが。』


ジークフリートの声には、明らかな失望が含まれていた。

彼は鼻息を荒くし、興味を失ったようにレイモンドから顔を背けた。


「骨があったら、私の元婚約者として務まりません。彼は飾り物としては優秀でしたが、中身は空洞ですから。」


私は倒れたレイモンドを見下ろした。

かつて愛そうと努力した相手。

だが今は、ただの処理すべき「不良在庫」にしか見えない。


「アズライト王国の皆様。」


私は声を張り上げた。

逃げ惑う騎士たちに向けて。


「速やかにお引き取りください。そして、国王陛下にお伝えを。これ以上の干渉は、ドラゴニア帝国の竜王陛下への宣戦布告とみなすと。」


騎士団長が青い顔で頷いた。

彼は気絶したレイモンドを部下に担がせ、脱兎のごとく撤退を開始した。

その背中は惨めだった。

最強の騎士団?

竜の前では、ブリキの玩具も同然だ。


砂煙を上げて去っていく一団を見送り、私は大きく息を吐いた。

緊張が解け、少しだけ膝が震える。

やはり、怖くなかったと言えば嘘になる。

攻撃魔法を向けられた瞬間、死のイメージが脳裏をよぎった。


その時、背後から温かい風が吹いた。

振り返ると、竜の姿が光に包まれ、収束していく。

光が晴れたそこには、いつもの気だるげな青年の姿があった。


「……無事か。」


ジークフリートが、ぶっきらぼうに尋ねてきた。

その手には、私のために持ってきたのだろうか、薄手のショールが握られている。


「ええ。おかげさまで。」

「遅くなって悪かった。……変身を解くのに手間取ってな。服が破れるのが嫌だった。」


彼は照れ隠しのように視線を逸らした。

嘘だ。

彼は私の合図を待たず、危機を察知して飛び出したのだ。

その証拠に、彼の息は少し上がっていた。

変身の負荷だけではない。

焦燥があったはずだ。


「ありがとうございます、ジークフリート。」


私は初めて、敬称略で彼の名を呼んだ。

契約上のボスとしてではなく、私を救ってくれた一人の男性として。

いや、一匹の竜として。


彼は驚いたように目を見開き、それからフンと鼻を鳴らした。


「……礼には及ばん。俺の秘書に傷がついたら、資産価値が下がるからな。」

「あら、私は減価償却資産ですか?」

「違う。……代替不可能な、重要資産だ。」


彼は私の肩にショールをかけた。

不器用な手つき。

でも、その温もりは確かだった。

国境の冷たい風が、今は心地よく感じる。


「帰りましょう。お腹が空きました。」

「俺もだ。今日の晩飯はなんだ?」

「リクエストにお応えして、特大のステーキにしましょうか。経費で落としますけど。」


私たちは並んで歩き出した。

砦の方へ。

私の居場所へ。


背後には、二度と戻ることのない故郷への道が続いている。

だが、私はもう振り返らなかった。

未練も、後悔もない。

あるのは、隣を歩くこの不器用な竜王と、これからの忙しくも充実した日々の予感だけだった。


空は高く、どこまでも澄み渡っていた。

私の心のように。


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