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残業代を回収して国を捨てる!次は竜王の管理職です。  作者: 月雅


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第5話 元婚約者からの督促状


「届きました。」


カミル宰相の声が震えていた。

彼は銀の盆を差し出した。

その上には、一通の封書が載っている。


「アズライト王国からの親書……いえ、これは個人宛ての私信ですね。」


私は手を止めた。

執務机の上で、次年度の予算案と格闘していたペンを置く。

視線を盆に向ける。

封筒には、見覚えのある毒々しい色の封蝋が押されていた。

王太子の私的な手紙に使われる、派手な薔薇の紋章だ。


「検疫は済ませましたか?」

「はい。魔法的な呪詛や毒物の反応はありません。ただ……。」

「ただ?」

「内容が、その……非常に不愉快な気配を放っておりまして。」


カミル宰相は眉を下げた。

以前、ゴミ屋敷で倒れていた頃の彼とは別人だ。

顔色は良く、肌には艶がある。

私の管理下で適切な食事と睡眠をとるようになり、本来の有能な宰相としての輝きを取り戻していた。


「拝見します。」


私は封筒を手に取った。

ペーパーナイフで封を切る。

このナイフは私の私物だ。

切れ味鋭く、紙の繊維を一切毛羽立たせない。


中の便箋を取り出す。

香水の匂いが漂った。

甘ったるい、薔薇の香り。

書類に匂いをつけるなど、保管の観点からは最悪の行為だ。

私は顔をしかめつつ、文面に目を通した。


『拝啓、レティーシア。

 君がいないと城の中が少し不便だ。

 ミランダも、君の淹れた紅茶が飲みたいと言っている。

 そろそろ反省した頃だろう。

 特別に、君の帰国を許可してやってもいい。

 国家反逆罪の容疑も、今なら私が揉み消してやる。

 感謝して、直ちに戻るように。

 愛を込めて、レイモンド』


「……はぁ。」


深いため息が出た。

予想はしていたが、期待を裏切らない愚かさだ。

反省? 許可? 揉み消す?

全ての単語が、現状認識の欠如を示している。


「レティーシア嬢、内容は?」

「求人票です。」

「え?」

「ただし、労働条件が劣悪で、給与未払いの実績があり、経営者が無能なブラック企業からの。」


私は手紙を二つ折りにした。

そして、足元のゴミ箱へ放り込もうと手を伸ばす。

可燃ゴミだ。

いや、有害物質が含まれている精神的毒物として、焼却処分が妥当か。


「待て。」


低い声が遮った。

ソファで寝転がっていたジークフリートが、身を起こしている。

彼は不機嫌そうに目を細めていた。


「なんだ、その匂いは。」

「古巣からの手紙に付着していた悪臭です。換気が必要ですね。」

「貸せ。」


彼は私の手から手紙をひったくった。

乱暴な手つきで広げ、一瞥する。

竜人族の視力なら、一瞬で読解可能だろう。


「……『愛を込めて』だと?」


ジークフリートの眉間に深い皺が刻まれた。

部屋の温度が数度下がる。

比喩ではない。

竜王の感情に合わせて、魔力が冷気を生み出しているのだ。


「戻るのか?」

「まさか。自殺志願者ではありません。」


即答する。

このドラゴニア帝国での生活は快適だ。

職場環境は改善され、報酬は契約通り支払われている。

何より、私の仕事が正当に機能し、国が動いているという実感がある。

わざわざ泥船に戻る理由は、合理的にも感情的にも存在しない。


「なら、捨てろ。燃やせ。」

「そうしようと思いましたが、放置すればまた送ってきます。正式な対応が必要です。」


私は新しい便箋を取り出した。

ドラゴニア帝国の国章が入った、公式なものだ。

これは業務として処理する。

インク壺にペンを浸す。


「カミル様。アズライト王国への外交便に乗せられますか?」

「ええ、明日の朝には便が出ます。ですが、何を?」

「『再雇用の打診に対する拒絶通知』です。ビジネスライクに、二度と連絡してこないよう釘を刺します。」


私はペンを走らせた。

感情は乗せない。

事実と法理のみを記述する。


『前略

 お手紙拝見いたしました。

 当方は現在、ドラゴニア帝国との間で専属雇用契約を締結しており、他国からの雇用に応じる意思はございません。

 また、ご提示いただいた条件(未払い賃金の精算なき復職)は、労働法および人道的見地から到底承服しかねるものです。

 なお、「国家反逆罪」との記述がありましたが、当方の出国は貴国法務大臣の承認を経た合法的な手続きによるものです。

 虚偽の容疑による脅迫と受け取れる文言は、外交上の重大な懸念事項となり得ますので、撤回を強く求めます。

 今後、私的な接触はお控えください。

 草々

 ドラゴニア帝国筆頭秘書官 レティーシア』


書き終え、署名をする。

そして、宰相の決裁印をもらうべく、カミル宰相に差し出した。


「これでお願いします。」

「……完璧ですね。反論の余地がない。」

「相手に知性があれば、ですが。」


カミル宰相は苦笑しながら印を押した。

これで公文書だ。

私は封筒に入れ、厳重に封をした。

薔薇の香りを遮断するように。


「おい。」


ジークフリートが呼んだ。

彼は手の中にあるレイモンドからの手紙を、くしゃりと握り潰していた。


「こいつは、まだお前を自分のものだと思っているのか?」

「所有権の概念が欠落しているようです。自分に見えている世界が全てなのでしょう。」

「……気に食わん。」


ボッ、と音がした。

彼の手の中で、手紙が青い炎に包まれた。

一瞬で灰になる。

完全なる焼却処分。

私の手間が省けた。


「お前は俺の秘書だ。俺が契約し、俺が金を払っている。」

「その通りです、ボス。所有権は主張しませんが、雇用関係は明確にこちらにあります。」

「なら、他の奴にチョッカイを出されるのは不快だ。俺の昼寝の時間を削るような真似はさせん。」


彼は灰をゴミ箱に捨て、再びソファに寝転がった。

その言葉は独占欲に聞こえるが、実態は「快適な生活維持装置」としての私への執着だ。

だが、それでいい。

重すぎる愛より、実利に基づいた契約関係の方が、私には心地よい。


「ご安心を。私のスケジュール帳に、アズライト王国への帰省予定は入っておりません。」

「……ふん。ならいい。」


彼はクッションを抱きしめ、目を閉じた。

その横顔を見て、私はふと、以前の彼を思い出した。

ゴミ山に埋もれ、死んだような目をしていた竜王。

今はどうだ。

肌艶は良く、覇気がある。

私の管理が行き届いている証拠だ。


この作品(=再生した竜王と国)を、途中で放り出すなどあり得ない。

職務に対する責任感と、ほんの少しの愛着が、私をこの場所に繋ぎ止めていた。


翌日。

アズライト王国からの情報は、さらに悪化の一途をたどっていた。

かつて私が個人的に構築していた情報網――国境を行き来する行商人や、私のファンだった下級官吏たち――から、密書が届く。


『王太子レイモンド、激昂。騎士団を招集し、国境へ向かう動きあり』


執務室で報告を受けたカミル宰相が、青ざめて立ち上がった。


「き、騎士団!? 戦争を仕掛けるつもりでしょうか?」

「正気ではありませんね。ドラゴニア帝国とアズライト王国では、軍事力に雲泥の差があります。」


竜人族一人の戦力は、人間の騎士百人に匹敵すると言われている。

ましてや、相手は竜王だ。

レイモンドもその程度の知識はあるはずだが、プライドが理性を凌駕してしまったらしい。


「レティーシアを取り戻す、と息巻いているそうです。」

「……物扱いですね、相変わらず。」


私は冷ややかに呟いた。

私を国に戻せば、魔法のように全てが元通りになると信じているのだろう。

私が徹夜で処理していた書類の山や、根回しのために奔走していた事実は見えていない。

結果だけを享受していた人間の、典型的な思考回路だ。


「どうしますか、レティーシア嬢。国境付近には我が国の検問所しかありません。本格的な侵攻があれば、一時的には防げますが……。」

「迎撃の準備を。ただし、こちらからは手を出さず、専守防衛に徹してください。外交上の非を相手に負わせます。」


私は地図を広げた。

国境線にある谷。

あそこなら、少数の兵でも足止めが可能だ。

かつて私がアズライト側の防衛計画を立案した時に、弱点として指摘した場所でもある。

皮肉なことに、今度はそれを攻める側ではなく、守る側として利用することになるとは。


「レティーシア。」


いつの間にか、ジークフリートが背後に立っていた。

気配がない。

さすがは竜王だ。


「喧嘩か?」

「いえ、一方的な押しかけ営業です。お断りしますが。」

「俺が行く。」


彼は短く言った。

その瞳は、獲物を狙う捕食者のように鋭く、冷たい。


「陛下が出向く必要はありません。国境警備隊で十分に対処可能です。」

「いや、行く。俺の所有物……いや、俺の契約者に手を出そうとした報いは受けさせる。」


彼は私の肩に手を置いた。

大きくて、温かい手。

その熱が、服越しに伝わってくる。

所有権の主張。

あるいは、守護の意思。


「それに、最近運動不足だ。たまには翼を伸ばさないとな。」

「……城壁を壊さないでくださいよ? 修理費予算は計上していませんから。」

「善処する。」


彼はニヤリと笑った。

その笑みは、今まで見た中で一番、王様らしく、そして危険な色を帯びていた。


私は覚悟を決めた。

この事態、書類仕事だけでは片付かない。

物理的な「ざまぁ」が必要なフェーズに入ったようだ。


「わかりました。では、私も同行します。」

「お前はここにいろ。危ない。」

「いいえ、行きます。秘書の務めは、ボスのスケジュール管理ですから。陛下が暴走して国際問題を引き起こさないよう、監視させていただきます。」


それに、レイモンドには直接言ってやらなければならない。

手紙ではなく、私の声で。

「貴方にはもう、何の価値もない」と。

それが、過去の自分への最後の清算になるはずだ。


「……勝手にしろ。ただし、俺の背中から離れるなよ。」

「承知いたしました。安全地帯として活用させていただきます。」


私たちは視線を交わした。

言葉以上の合意形成。

契約書にはない、信頼という名の不可視の条項が、そこに刻まれた気がした。


窓の外を見る。

東の空、アズライト王国の方角。

黒い雲が流れていく。

嵐が来る。

だが、今の私には恐れはなかった。

隣に最強の盾と矛がある。

そして何より、私自身が、もう誰かに守られるだけの弱いヒロインではないのだから。


「カミル様、出張申請を出します。行き先は国境。目的は外交交渉および害虫駆除です。」

「りょ、了解しました……どうかご無事で……。」


カミル宰相の祈るような声に見送られ、私たちは準備を開始した。

私の鞄には、ポーションと契約書の写し。

そして、ジークフリートのポケットには、私が焼いたクッキーが入っている。


遠足ではない。

けれど、どこか高揚感があった。

自分の人生を、自分の足で切り開く感覚。

さあ、決着をつけに行こう。


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