第一章5 開かれた扉、死を招く
――僕に会いにきたのか?それなら、さっきのあの驚いたような顔は何だったんだ?
「はい」
困惑を抱えながらも、際允は正直に答えた。
「俺は……輝絡という。よろしく」
自ら輝絡と名乗る男が、名を口にする直前に一瞬だけ躊躇したのを、際允は見逃さなかった。
それは、男が本名を明かすべきか迷っていたからか、それともフルネームを言うべきか測りかねたのか、際允にはわからないが。
本当に輝絡というのだろうか?
「輝絡さん?」
いずれにせよ、今の際允には、男が名乗った名前で呼ぶ以外の選択肢はなかった。
「ご用件はなんでしょうか?」
「……」
男はなぜか、沈黙に落ちて。
数秒経ってから、ようやく問いに答えてくれる。
「今日、成人しただろう?」
「えっ」
この見知らぬ男は、なぜそのようなことを知っているのか?
際允のことを元々知っていたのか、それとも、何らかの手口で個人情報を手に掴んだのか。
そう考え込んでいた際允に、際允が否定的な反応だ示さないのを、輝絡は黙認と見なしたかのようだった。
「際允の中に宿っている契約について話がしたい。今時間ある?」
言いながら、輝絡は際允の背後へと視線を投げた。部屋の中に入ってもらいたいと無言に示唆していたのだ、と際允は理解した。
なぜ輝絡は、際允の中に宿っている契約に関する、当人ですらまだ把握していない情報を知っているのだろうか。契約についての個人情報を知ることができる、ということは、契約管理協会の関係者か?
そう推測した際允は、相手を試すような言葉を投げる。
「もし、時間がないとお断りしたら?」
「自分の中に宿っている契約の経緯、知りたくないのか?」
輝絡は少し意外そうな表情を見せる。
「元々、明日契約管理協会にでも相談に行くつもりでしたから。明日知っても、遅くはないでしょう」
口に出してから、際允はうっかり明日の個人的な予定を漏らしてしまったことに気づいた。どうやらその外見、そしてなぜか輝絡から漂う実直そうな気配が、無意識に際允の警戒を緩めてしまっているようだった。
「行ってもわからないよ」
また断言した輝絡に、際允の疑念がかえって深まる。
「契約管理協会に行ってもわからない契約のこと、輝絡さんは知っている、ということですか。なぜそう言い切れるんでしょうか?」
「見知らぬ人に対して、これほどまでに警戒心が強いんだとは……」
直接答えず、輝絡は独り言のように呟いた。
まるで知人の意外な一面を再発見したように感嘆の響きだったが、その言葉の中では既に、輝絡もまた際允と面識のないことを明示した。際允にとってはいささかも理解できない話だった。
「輝絡さんは——」
さらなる問いを重ねようとした際允の言葉を、
「俺が怪しい、と思っているんだろう?」
輝絡の声が遮った。
見知らぬ相手の感情を逆なでしたくなくて、直接言うつもりはなかった。まさか輝絡には自覚があるとは。それなら話は早い、と思った。
「はい」
あっさりと認めた際允を見て、輝絡はため息をついて。
「わかった。本当は、部屋に入ってからゆっくり話したいと思ってたんだが。なるべく早く信じてもらいたい。だから、今からいくつか教えておこう」
際允が頷くと、輝絡は語り始める。
「まず一つ。その中に宿っている契約の一つは、俺が際允の契約相手だ」
そう言いながら、輝絡の人差し指が立てられて。
「二つ目。今日成人になっているのを知ったのは、日付が変わった瞬間に、その契約が成立したエフェクトが現れたからだ。俺自身はとっくに成人したから、それが今日起きたということは、契約相手である際允も成人になったことを示した」
二本目の指が加わって。
「三つ目。契約管理協会に相談に行っても、その契約の内容を知ることはできない。なぜなら、その契約レベルは、契約管理協会に与えられた閲覧権限を超えたからだ。それでも俺がその内容を知っているのは、契約相手だからこそだ」
三本目の指。
「最後に。契約相手の体に触れると、契約成立した時と同じ契約反応が現れること、知っているだろう? だから、俺の話が信用できないと思っているなら、手を差し出してみよう。俺が契約相手であることを、行動で示してみせる」
輝絡はその左手を開いて、手のひらを上にして際允へと差し出す。
「……」
際允は呆然と聞き入っていた。輝絡が短時間で教えてくれた膨大な情報量を、完全に消化することはすぐにはできなかった。
しかし、自分が手を差し出せば、輝絡が契約相手であることを示してくれる、ということは理解した。際允は素直にドアの隙間から左手を差し出す。
その手首を、輝絡の左手が素早く、しかし軽く握りしめた。瞬間、二人の左腕の手首に近いところに、青い光の放つ不明な文字列が一行浮かび上がる。今日日付が変わった時に際允の左腕に現れたのもと、同じ輝き。
契約反応だ。しかも一行だけ。つまり、際允が契約相手と接触することで、自分の中に宿っている契約のうち一つが反応した。
――輝絡は確かに僕の契約相手だ。
ならば、少なくとも際允が今日成人となったことを知っているのは、今日日付が変わった時に契約反応が起こったからだ、という話は真実であるに違いない。輝絡が契約内容を知っている、という話も真実だという可能性が高い。
もしそうなら、輝絡が言った、際允がわざわざ契約管理協会に相談に行っても、その契約の内容を知ることはできない、という話も本当かもしれない。
仮に輝絡の話は全て真実だとすれば、際允は輝絡から教えてもらう以外に、その契約の内容を知る方法はないかもしれない。
今すぐにその契約の内容を知らなければならない、という危機感はまだ感じていないものの、契約相手が直々に説明しに来てくれたのなら、断る必要もないと際允は考えた。
それに、今この時契約は既に効力が生じた。内容を全く知らないままでは、もしこの後、うっかり契約違反とみなされることをしてしまって、罰せられたら、際允にとってはあまりにも損なのだ。
今、輝絡を部屋の中に招き入れて、契約の内容をはっきりと説明してもらうのが、最もいい選択肢ではないだろうか。際允はそう結論づけた。
「わかりました」
輝絡に握られていた左手を引っ込めた。一度ドアを閉めて、チェーンを外してから、際允は再び扉を開く。
その時、
腹部に焼けるような激痛が走る。
同時に、胃から何かが込み上げてくるのを感じて、反射的にそれを吐き出す。
――血だ。
腹から流れ出た血と共に、玄関の床に飛び散ったことに気づく。
突如として事態に、際允の頭の中が真っ白になったものの、何が起こったのかを本能的に理解してしまった——。
彼が扉を開いた刹那、外で待っていた「輝絡」と名乗った男は、何らかの刃物で、際允の腹を刺したのだ。
体は激痛で思うように動けずとも、際允は無理して顔を上げて輝絡の方を仰ぎ見ようとする。男がどんな表情でこんなことをしたのか知りたい。
が、それさえも叶わず。
腹に深々と突き刺さっていた刃が、容赦なく引き抜かれる。
さらなる激痛により、際允はもはや立っていることすらできなくなった。力の抜けた体が玄関の床へと倒れ込んで、鈍い音を立てる。既に痛覚を失ったか、地面にぶつかった時の痛みさえ感じられなかった。
いつの間にか視界が完全にぼやけ、やがて際允は視覚から情報を得ることができなくなる。
最後に残ったのは聴覚だけ。
「申し訳ない」
それは、輝絡の声だった。
それは、意識を失う前に、際允に届いた最後の残響だった。
【死亡まで、00:00:00】
【転生開始】




