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第一章48 信じたいものだけを、信じればいい

「ここからは、俺の推測だ」


 墨然すみしかは、感情を排した抑揚のない声で言葉を継ぐ。


止湮としず先輩の両親の目的が、自ら帯契者の相続者になることだったとするなら……、おそらく奴らは、止湮としず先輩が帯契者を相続した瞬間から、親子関係の復籍を迫り続けていたはずだ。前任の帯契者のように、子供を養子にして相続者を確保することにも、猛烈に反対していただろう」


 語りながら、墨然すみしか際允あいゆるの顔をじっと凝視している。その表情の変化を、皮膚の微細な震えまで見逃さぬよう観察しているかのように。


「だが、六年前、先輩はあなたを引き取った。つまり先輩は、ずっと両親の要求を拒み続けてきた。少なくとも、昨日までは」


 止湮としずが帯契者を相続してからの六年間、彼は両親との親子関係を復籍もさせず、誰かを子供を養子にもせず、法律上の家族が一人もいない孤独を貫いてきた。

 それを変えたのが、六年前、今世の際允あいゆるを養子に迎えたという瞬間。ようやく相続者のいる状況となった。

 しかしそれは、相続者の座を狙う両親にとって、最も受け入れがたい「邪魔者」の出現を意味していた。


「十二年も帰っていなかったはずの実家に先輩がいた理由は、両親が教会で彼を待ち伏せて説得したか、あるいは、先輩自身が何かを察して自ら乗り込んだか……。そのどちらかだろう。遺書が実家に向かう前に書かれたものなら、後者の可能性が高い。実家へ行くのが極めて危険なことだと承知の上で、万が一のために、メッセージを遺したんだろう。」


 死地に向かうに等しい危険を知りながら、止湮としずは足を運んだ。たとえ自殺という結末を回避できたとしても、遺書を書いた時点で、彼は自らの死を受け入れていたのではないか。

 最初から、実家に帰って命を絶つ覚悟だったのか。


「……その意味を理解できるのは、あなたしかいないようだが」


 それは、自殺することへの謝罪。


 文字など読めぬ身であればよかった。世界でただ一人、その意味を知りえない人間であればよかった――。

 際允あいゆるがそう願ってしまうほどに、世界で一番残酷な真実を孕んでいる遺書。


「今日の未明、あなたたちの家で起きたことは、おそらくその両親の差し金だ。止湮としず先輩は実家で身動きを封じられていたんだろう。だから火の教会の男が彼のスマホと職員証を持っていた。だとすれば、標的は――あなただった」


 最後の一節を口にした際、墨然すみしかが両手の拳を微かに握りしめた。


止湮としず先輩の両親は、十二年抗い続けてきた息子の唯一の弱点があなただと気づたんだろう。あなたを人質に取って、止湮としず先輩を脅そうとしたんだろうな」

「……」


 まさに際允あいゆるが危惧していた、自身の死よりも望まない、最悪の結末。それをかろうじて避けられたことだけが、唯一の「救い」だったと言えるのだろうか。


「そして、あなたを捕らえることには失敗したが、先輩の死後にあなたの身に起こるであろう惨劇を盾に脅して、奴らは目的を達しただろう」


 全身から血の気が引いていくような、凍てつく悪寒が走る。


 止湮としずは、際允あいゆるを守るために。


 だから、十二年も恨み続けてきた実の両親との親子関係を復籍させたのだ。

 止湮としず自身、十八歳の誕生日という日に、自分の意思を無視され、一方的に親子関係を断絶させられた。

 それでも、止湮としずが最も忌み嫌い、十二年経っても許すことができなかったあの行為を――今度は自ら、際允あいゆるに対して行ったのだ。

 彼との約束を無惨に引き裂いてまで。


 止湮としずの人生も、身体も心も、命も尊厳も、そのすべてが、あの二人によって蹂躙され、抹殺された。

 ただ、際允あいゆるを守りたいという、ただそれだけの理由のために。


止湮としず先輩が暴力を使うことを厭わなければ、あなたを守りつつ自分も生き残る道はあっただろうがな」


 墨然すみしかの口調は平然としたままだった。


「だが、なぜか彼はそうしなかった。遺体にも、ミレカー家の中にも、争った形跡は一切なかったそうだ」


 それが()()()であることを、誰よりも知っていたからこそ、できなかっただろう。

 止湮としずはずっとそうだった。誰にでも親切で、どこまでも優しくて、けれど時にお人好しすぎて、家族である際允あいゆるを心配させるような、そんな男だった。


 際允あいゆるは誰よりも知っている。

 そんな物騒な選択肢は、初めから止湮としずの中には存在しえなかっただろう。


「もちろん、これは俺の推測に過ぎない。証拠は何一つない。おそらくこれからも見つかることはないだろう。俺自身の罪悪感を和らげるために、無意識に自分に不都合な証拠を無視している可能性だってある」


 それでも、墨然すみしか際允あいゆるに話してくれた。

 何のために、話してくれたのだろうか。


「どのみち、最初から解決を許されていない事件だ。俺だろうがあなただろうが、亡くなった止湮としず先輩本人以外、誰も真相のすべてを知ることはできない。だからあなたは――、」




「――信じたいものだけを、信じればいい」




 墨然すみしかは、微かな微笑を浮かべる。




「さっき言ってた『罪悪感』って、何のことだ?」

「今日の未明、あなたをここに連れてきてから今まで、俺はずっとここにいる。彼が自殺した時点にも、だ。ただ座っていただけで、何もしなかった」

「後悔しているのか?」

「いや。多少の罪悪感はあっても、後悔はしていない。今でも、あなたの安全を最優先にしたのは正しい選択だったと確信している」


「……もし僕が昨日、警察に通報するか、火の教会に助けを求めていたら、止湮としずが助かる可能性はあったか?」

「わからない。たとえ両親が高層部だとしても、組織の中には派閥はある。運が悪ければあなたが犠牲になっていたし、運が良ければ止湮としず先輩が救出されていたかもしれない」

「どう信じるかは、僕が決める。そうなんだな?」

「ああ」






「これからのこと、なにか考えはあるか?」

「……ない」


 止湮としずの死を知ったばかりで、将来のことなど考えられる余裕もなかった。


 止湮としずのいない未来なんて考えたことがなかった。

 止湮としずが死んでいる今に至ってもなお、考えたくもない。


 これからのことを考えるのに拒んでいるような際允あいゆる。彼を見て、墨然すみしかは溜息をつく。


「もう一つ、教えておこう」

「何?」




「もし……あなたに、過去に戻って未来を変える能力があると言ったら、どうする?」

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