第一章4【死亡まで、00:15:✖✖】
【死亡まで、00:15:✖✖】
夜。
際允の十八歳の誕生日——成人となったその日の夜。
今夜も過去十八年と大して変わらず、平穏で普通の夜になるだろうと、際允はそう信じて疑わなかった。
少なくとも、夜の八時までは確かにその通りだった。
午後四時の放課後も学校に残り、ほぼ日課のようなものである武術稽古を止湮と一緒に六時までこなした。その後、止湮と共に学校近くの店で夕食を済ませ、七時には寮の入り口で、別棟に住む止湮と挨拶を交わして別れた。
自室に戻り、シャワーを浴びて着替えた。それから机に向かって、今後の学習計画を整理していた。気づくと、時計の針は八時を回っていた。
その中で、普段との違いを強いて挙げるなら、それは普段、夕食の店選びを全て止湮に任せているものの、今日は際允の誕生日だからと、止湮が頑なに際允に、夕食の内容を決めさせようとしただけだろう。
それに対して、際允は学校から少し距離がある、普段あまり足を運ばないラーメン屋を適当に選んだ。そう決めたのも、もしいつもの馴染みの店を選んだら、止湮は「せっかくの誕生日なんだし、もっと特別なものでも食べに行ったらどう?」などと言い出すのは目に見えていたからだ。それを避けるためだけだった。
八時を過ぎた頃、これまでの人生になかった、決定的な「異変」が起こる。
――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
数秒の間、チャイムの音が三回、静寂を切り裂くように響く。
あまりにも聞き慣れない音に、際允は一瞬固まった。それが自分の部屋の玄関チャイムの音だと悟るまでに、数秒の時間を要した。
この寮での一人部屋に住み始めてから三年近くになるが、この音が鳴るのを耳にしたのは初めてだった。何しろ、彼を訪ねてくる者など、これまで一人としていなかったのだから。
誰かが、自分の部屋の外に立って、チャイムを鳴らした。
際允はその事実が理解できたが、次なる疑問がすぐに脳裏をかすめる。
――誰だ?
真っ先に思い浮かぶのはもちろん止湮だが、先まで一緒にいた際允の記憶では、止湮が後で自分のところを訪ねてくるような話は全くしていなかった。
もし緊急の用事でもあるならば、止湮のこどだから、来る前に電話かメッセージで連絡してくるはずだ。緊急でないのなら、来週の月曜日また教室で会うので、今訪ねてくる必要は全くないのだ。
となると、止湮である可能性は極めて低い。そして他に心当たりがある人物はもういなかった。学外に知人は数人いるが、三年前この寮へ移り住んで以来、それらの人々との交流はほぼ途絶えている。
何より重要なのは、学校の寮は校外の人の立ち入りを厳しく制限していることだ。たとえ学生の家族であっても、学生本人への事前通知と同意がなければ、入室の許可はもらえないはずだ。
そして誰かが自分に訪ねにくるという通知、今のところ際允の元には一切届いていない。
では、今、自分の部屋の外に、チャイムを鳴らした人は、校内の人間だろうか、それとも、ルールを守っていなくとも、何らかの手段で入ってきた校外の人間だろうか?
――一体誰なんだ?
――ドアを開けるべきか?
正解がわからず、際允はためらいつつも、ドアの前へと歩み寄る。とりあえずドアスコープを通して、その人の正体を確認することにする。
そして、目にしたのは、外に立っていた一人の男の姿だった。
ドアスコープ越しでははっきりと見えないが、一見、二十代の青年のように見える。短い金髪で、晩冬の夜に相応しい黒いロングコートを着ている。両手とも何も持っていないように、ごく自然な佇まいで立っている。男はただ静かにドアの外に佇んで、際允が扉を開くのを待っているようだった。
すぐに自分の記憶を辿ったが、それらの容姿の特徴を持つ知り合いは全く思い出せなかった。
これまで記憶力にはそれなりの自信がある際允は、この男を知らないと断言したいが、そうなると、またしても「ドアを開けるべきかどうか」という問題と向きあわなければならない。
――もしかして、他の学生に会いにきたが、部屋を間違えているのか?
ドアの隣の壁には表札があるが、際允にはそれ以外に合理的な可能性が思いつかなかった。
寒風が吹く晩冬の夜に、このまま男を外に佇なせ続けるのも、際允の性格上、忍びない。それに、男は少なくとも外見上は怪しいところが見当たらず、両手中も空っぽで目立った脅威も感じられない。
ドアチェーンをかけたまま、少しだけドアを開け、狭い隙間を通して話をするぐらいなら、大して問題はないだろう。そう判断して、際允は手をかけた。
「あの、こんばんは」
ドアを開けて、見知らぬ男に礼儀正しく挨拶を投げかけて。
「どちら様ですか?」
隙間から、男の視線が際允を捉えた。すると男は、際允の顔をじっと見つめたまま、呆然と立ち尽くす。
やはり、本当は他の人に会いにきたが、部屋を間違えたのだろう。
男が言葉を失っている間に、肉眼で見られるようになった際允は、遠慮なく男の外見をじっくりと観察した。
ドアスコープ越しに見た通りの短い金髪、そして澄んだ緑色の瞳をしている男は二十代に見える。その顔立ちは驚くほどかっこよく見えて、際允がこれまでの人生で目にしてきた誰よりも際立った。誰の容姿にも平等に興味を持たない際允でさえ、一瞬見惚れてしまったほど。
本来なら、無表情な人は近寄り難くて冷酷な印象を与えるはずだが、際允はなぜか、この無表情の男から実直な気配を覚える。不覚にも「この男はいい人だ」と決めつけてしまいそうになるほどに。
際允の目測では、男との身長差は頭半分ほど。男が履いている革靴には僅かなヒールがあり、自分は靴下履きであることを考慮て、そして際允自身の身長百七十五センチメートルを基準に逆算すると、男の身長は百八十五センチくらいだろう。
背が高いだけでなく、コートの下に隠れていてもわかる広い肩幅が、男の恰幅を非常によく見せている。もし際允は街中で彼と初めて出会ったのなら、俳優かモデルではないかと思うだろう。それもこんな訳がわからない場面でなければの話だが。
さらに観察を続けると、際允は肉眼を通して、その黒いコートに、左胸ポケットには黒いフレームのメガネが一つかかっていることに気づいた。
コートの下は白いシャツと黒いスラックス。その恰好はフォーマル寄りで、家族や友人を訪ねて世間話をしにくるような気安さは感じられない。
観察の終わりと同時に、ついに男は我に返ったようだった。
「際允・ランニオン、だよね?」
そして、男は際允前で、初めて声を発した。




