第一章36 見透かされた弱さ
止湮が真相調査に関わるのは休日だけに限られている以上、平日の今日、墨然と関わりがある可能性は極めて低い。
だが、もう他に頼れる相手はいないのだ。望みが薄くとも、試すしかない。
画面上の「墨然くん」の名前をタップした。
最後にやり取りしたのは六年前、止湮が墨然に連絡先を教えた日の夜、あの短くて妙な問答を交わしたきりだ。
つまり、墨然に連絡を入れるのは実に六年ぶりのことになる。六年ぶりの連絡が頼み事だというのは、さすがに申し訳ないと感じた。
だが今は構っていられない。
『止湮がどこにいるか知っていますか?』
際允は深く考えずにメッセージを送信した。
送信を終、再び止湮へのかけ直しを試すために、画面を切り替えようとする瞬間。
送ったばかりのメッセージに「既読」がついた。
刹那、マナーモードにしていたスマホが、「ヴヴッ」と掌を震わせる。
突然の振動に驚いて、スマホを落としそうになりながらも、際允はすぐさま持ち直し、発信者の名を確認する。
――墨然くん。
墨然と電話で話したことは一度もなかった。けれど、止湮のことのためにかけてきたのは間違いない。
そう考えた際允は迷わず通話ボタンを押し込んだ。
「もしもし」
電話越しでも、それが墨然の声であることはすぐにわかる。
「どうした」
「えっと、止湮がまだ帰ってこなくて。墨然くんなら、どこにいるか心当たりがあるかと思って……。いつもなら遅くなる時は連絡があるんだけど、今日はなくて。七時頃に送ったメッセージも未読のままだし、電話をかけてもずっと出ないんで」
子供の取り乱した騒ぎだと思われないよう、際允は補足を加えた。
なぜか、電話の向こうで流れた、わずかな間の沈黙。墨然が息をひそめたかのようで、何も音が聞こえなくなっていた。
「いや、全然知らない」
――墨然のほうも心当たりはないのか……。なら、他の誰に聞けばいいんだろうか。
「聖堂の方は?」
「さっきかけたけど、もう営業時間外。直接行ってみようかとも思ったんだけど――」
「出るな」
墨然がその言葉を遮った。
初めて聞く強硬な命令口調に、際允は一瞬、言葉を失う。
「あなたは……」
墨然は一度言いかけて飲み込んで、少しだけ口調を和らげて言い直す。
「家から出ないほうがいい。家に電話がかかってきたら出られないと困るだろ。それに、止湮先輩が帰ってきた時、目暁がいないと心配するだろ」
「わかった」
元々そう考えていたこともあり、際允も素直に応じた。
「聖堂の方は俺が確認してくる。先輩の情報が入ったら連絡する。とにかく、人探しは俺に任せとけ」
「すみません、お願いします」
際允は、心から頼み込んだ。
墨然が軽くため息をつく。
「明日は平日だ。学校があるだろ。あまり夜更かしせず、早めに寝ておけ。先輩のことは、俺に任せればいい」
念を押すように、墨然は繰り返した。
「ありがとう」
際允は少し迷ってから、問いを続ける。
「もう一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「もし警察に通報したり、火の教会に止湮が行方不明……かもしれないことを伝えたりしたら、まずいよね?」
火の国の警察機関に勤めている上、止湮の協力者でもある墨然。彼の意見を確認しておくべきだと思ったのだ。
「……」
墨然からの即答はなかった。際允はが静かに待ち続けてしばらくして、ようやく電話の向こうから声が聞こえてきた。
「それで少しでも安心できるなら、そうすればいい」
「えっ」
自分が問うたのは「まずいかどうか」というリスクの有無だ。
なのに、返ってきたのは「するかどうか」という、際允の意思に委ねる答えだった。
しかも伴ったのは肯定的な響き。「それで安心できるなら」という不可解な理由まで添えた。
――なぜだ?
「反対すると思ったか?」
なんとなく、墨然が微かに口角を上げて困ったように微笑んでいる、そんな表情が際允の脳裏に浮かんだ。
「うん」
正直に答えた。
「止湮と墨然くんがやっていることが警察や教会に知られたら、まずいんだろ? もし僕が今、止湮が行方不明だと伝えて、止湮を捜す中に、君たちが隠していることが警察や教会にバレてしまったら、逆に、もっと危ないことになるんじゃないかって思って」
「そんなことわかっていても。それでも君は俺にそう聞いたということは、それだけ不安になって、焦っているんだろう」
「……」
唐突に、まるで透明な手に引き裂かれるかのように心臓が締め付けられ、誰かに首を絞められたかのような息苦しさに呼吸が止まる。
刹那、際允の思考は真っ白になった。
――不安? 焦る?
――誰が?
――僕が?
「警察や教会に助けを求めたければ、そうすればいい。どう選んでも構わない」
墨然の声は淡々としていた。
まるで本気で、心の底からそう思っているかのように。
「わかった」
際允は力を込めて、ようやくその一言だけを絞り出した。
「情報があればまた連絡する」
電話を切る直前、墨然はいくつか言い含める。
「戸締まりをしっかりしろ。電気は……教会の建物なら空き巣の心配はないだろうが、君の場合は別の心配が……とにかく電気は消しておけ。テレビも消したほうがいい」
通話終了の画面を見つめながら、際允は思った。この男は前世で知り合った時からずっと変わらず、掴みどころがない。
だが、墨然が「一人で家にいる十二歳の子供の安全」を本気で案じていることだけは、確かに理解した。




