第一章35 魂に刻んだチャイムの音
翌日の午後、昼食を済ませ、止湮はキッチンで来客用の茶会の準備をし、際允はリビングのソファに座っていた。テーブルの上には教科書を数冊散らばらせ、テレビをつけ、二人の会議を自然に傍で聞く準備を整えていた。
昨夜止湮が言った通り、墨然との約束時間の三分前になると、インターホンが鳴り、一階の管理員から来客の通しを確認する連絡が入る。止湮が対応し、入室を許可する。
連絡が終わって数分後、玄関のチャイムが鳴る。
――ピンポーン。
その瞬間、記憶の断片が脳裏をよぎる。
見慣れた、それでいて久しぶりでどこか馴染みのなくなった、鉄製の大きなドアが目に浮かぶ。
あの日、薄暗かった玄関、夜の静寂を破った三回のチャイム、そして腹部を貫かれた激痛。
頭の中が真っ白になった。突然胸に刺すような痛みを感じ、鼓動が激しく打ち、呼吸が苦しくなった。冷や汗が出ていた。
際允は何度も深呼吸を繰り返し、ようやく呼吸が整い始める。異常に速い鼓動も少しずつ落ち着いていく。
「際允? どうした? 大丈夫か?」
顔を上げると、止湮が目の前で腰をかがめ、ひどく心配そうに際允の顔を覗き込んでいた。
ようやく思考能力を取り戻した際允は、ただチャイムが鳴っただけでこれほど強い体調不良を起こしてしまったことを自覚した。他人から見れば、あまりに大袈裟で不自然な反応に見えるだろう。
「あ、いや。大したことじゃないんだ」
不覚にも気まずさを感じる。
「前世の、死ぬ直前のことを思い出しちゃって」
しかし、際允が予想していたようにいつもの微笑みを浮かべず、止湮は唖然とする。そして彼は深刻な表情をし、真剣な面持ちで言う。
「わかった。これから誰か家に来る場合、全部僕が対応する」
「え?」
予想外の反応に面食らったが、すぐに従順に答える。
「うん、わかった」
今世の同居が始まって以来、一人の時に来客対応をすることは禁じられているが、これからは止湮が家にいる時でさえ、応対の権利を完全に剥奪されたことになる。もちろんそんな権利は全く必要としていないので、際允は二つ返事で承諾した。
前世で見知らぬ来客のためにドアを開けて、玄関で殺されたことを知っているからこそ、止湮はそう言ったのだろう。
今世で同じことが起きるのを心配しているのか、それとも先ほどのようなトラウマ反応が起きるのを心配しているのかはわからなかったが。
――そういえば、前世で死んだあの日以来、近くにドアチャイムの音を聞いたのはこれが初めてだった。前世の死になど気にしていないと思っていたのに、これほど強い不快感が生じるとは。
痛みと恐怖の記憶が、魂の奥底に刻まれて今世まで引き継がれていたことを、自分自身でも今に至って思い知らされた。
止湮はなおも腰をかがめて彼の様子を観察し、問題がないことを確認してから言う。
「じゃあ、墨然くんに入ってもらうよ?」
仮に際允が拒絶すれば、今すぐにでも墨然に帰ってもらってもいいように、これ以上ないほど慎重に止湮は確認していた。
「うん、大丈夫だよ」
際允は微笑みを見せた。
先ほどのトラウマ反応のせいで余計な心配をしたのか、止湮が玄関へ向かう足音を聞くだけで呼吸できないほど緊張を覚えた。結局、当然何も起きず、止湮は普通に墨然をリビングへと案内してきた。
同居を始めて数日後、止湮が「二人暮らしには家具が足りない」と言って一人掛けのソファを二つ買い足した。長方形のテーブルの短辺にそれぞれ配置され、現在リビングには計五つの席がある。「大人」の会話の邪魔にならないよう、際允は玄関から遠い方の一人掛けソファに座っていた。
墨然に席を勧めてから止湮がキッチンへ向かう。リビングの五つの席を見渡し、墨然は最終的に三人掛けソファの端を選んで座る。ちょうど、今の際允に最も近い席だ。
座るなり、墨然は無表情で際允の顔をじっと見つめてくる。際允が鳥肌が立つほど見つめていた後、ついに墨然が声を出す。
「顔色が悪いな。体調でも悪いのか?」
「え?」
思わず驚きの声を上げた。鏡を見ていなかった上、止湮も何も言わなかったため、墨然に言われてから初めて、自分が今、顔色が悪いことに気づいた。
先ほどトラウマが蘇るった後、まだ完全には回復していないであろう。
「少し、驚いたみたいなんだ」
茶菓子を載せたトレイを持ちながら、止湮がキッチンからリビングへ歩き、トレイをテーブルに置き、三人掛けソファのもう一方の端に腰を下ろす。
「驚いた?」
墨然の瞳に、訝しむと言わんばかりの色が浮かぶ。
「うん……なんて言うか……」
止湮の微笑みには少し気まずそうな色が混じっていた。
止湮ほどの回転の速い頭脳なら、いくらでも合理的な嘘をつけるはずだ、と際允は思った。おそらく、知り合いに対しては嘘をつきたくないという、止湮の悪い癖が出たのだろう。
――この男、正直すぎるんだって。
際允は心の中でため息をついた。そして、答えるのに困っている止湮の代わりに適当な口実を考えた。
「ただ人見知りなだけだよ」
「人見知り? 先日会ったばかりだろ」
墨然は眉をひそめる、自分に問い詰めた。
「記憶力が悪いんで」
息をするように嘘をついた。
「……」
墨然は絶句した。
墨然が心配してくれたのに嘘ではぐらかしたことに、際允も微かな良心の呵責を感じる。しかし、正体を明かさないと決めた以上、真実を話すわけにもいかなかった。
彼を見ている墨然は何か言いたげな様子だったが、結局言葉を飲み込み、それ以上追及してくることはなかった。
聞きすぎるのは不適切だと思ったのか、それとも際允は彼に話す気がないことを察して諦めたのか。
そう考えると、際允はさらに良心が痛む。とはいえ、反省する気はなかった。




