第一章31 「いい人」の君が問う
「どうした? 誰からだ?」
「墨然くんからだ」
送り主の名を聞いただけで際允は驚いたが、止湮が続けた言葉はさらに彼の思考を停止させる。
「君の連絡先を教えてほしいってさ」
「……」
――墨然が?今はただの六歳の子供である僕の連絡先を?
思考能力を取り戻すには数秒を要した。最初に出た感想はこうだ。
「怪しすぎるだろ」
「そんなに大袈裟なことか? ただの連絡先だろ」
止湮は際允の過剰な反応に驚いたようだ。
「前世ですら連絡先教えなかったんだぞ?」
「前世で、高校の中で僕以外に連絡先を教えていた相手なんていたのか?」
――正解は、ゼロだ。
「そこは重要じゃない」
その問いを無視した。
「墨然くんは理由を言ってた?」
「君に聞きたい質問があるんだってさ」
――質問?
夕方、聖堂で鐘の音に遮られたあの未完の質問を思い出す。あれのことだろうか。
もしそうなら、あの内容のわからない質問に対して、墨然は際允が想像していた以上に執着しているようだった。
「止湮を通して答えることはだめのか?」
「君がどうしても嫌だと言うなら、僕が代わりに聞くよとは伝えてもいいけど」
止湮は困ったように笑う。
「でも、墨然くんに連絡先教えたところで、何も問題はないと思うんだが」
「わかったよ。連絡先だけなら……」
しぶしぶ承諾した。あの時自分も質問を聞くと承諾したのだから、質問だけならは聞いてやろうと思った。
止湮はスマホを操作し、墨然に返信する。その全く危機感を抱いていない様子を見て、ツッコまずにはいられない。
「犯人が僕の意識がまだ生きていると知ったら、また殺しに来るかもしれないってあれこれ心配していたのはそっちなのに」
「犯人や見知らぬ人は別だから」
そう言うと、止湮はスマホを置き、再びコーヒーを飲み始めた。
「……だから、知り合いに対して甘すぎるって言ってるんだ」
際允は脱力した。
心配性なくせに、止湮は知り合いを疑うことを拒む。実に矛盾した男だ。
もっとも際允自身も、知り合いであっても容赦なく疑うくせに、自分の安全に関してはどこか他人事のようなところがある。止湮のことは言えないかもしれないが。
「墨然が四年前に、止湮に僕の死因を聞いた理由、本当に心当たりがないのか?」
「ああ。全く見当つかない」
「どうして墨然は手伝いをさせてなんて言い出したと思う?」
「それについても、さっぱりわからないよ」
そう言うと、止湮は首を少し傾け、悪戯っぽく微笑む。
「本当は複雑な理由なんてないかもな? 単純に、いい人だからとか」
「……冗談にしても甘すぎる。それに、協力してくれない人が悪い人みたいに言うのはやめてくれ」
「え? そんなつもりはないけど」
止湮は意外そうに目を見張る。
「僕はただ、あれはいい人としての一つの形だなと思っただけさ。特別の手伝いをしたら『いい人』で、しなかったら『悪い人』だなんて、そんなわけないだろ?」
「止湮みたいないい人じゃないから、どうしてもこんな風に考えてしまうんだ」
止湮の物言いが誤解を招きやすいせいだ、と際允は思った。
「君の『いい人』の定義、ちょっと歪んでないか?」
際允が自己嫌悪に陥っているのではないか本気で心配しているように、止湮は強調する。
「際允だって、いい人だよ」
「……」
――一体、なんの会話だよ、これは。
夜の十一時を回った頃。
部屋に戻り、ベッドに座って布団に入ろうとしている時、ようやく墨然からメッセージが届いた。
枕元に置いたスマホを手に取り、際允は内容を確認する。
『夕方の、聞けなかった質問の続きをしたいが』
あの時、自分も妥協して聞くと返事をしたのだ。際允は迷わず「いいよ」と返信する。
すぐに墨然から二通目が届く。それが、彼の言う「質問」だ。
『今、幸せ?』
……。
……あ?
――どういう意味なんだ?なぜそんなことを聞くのだ?なぜ自分に?
これらの疑問を差し置いても、質問自体への返答に窮する。
――幸せとは何なのだ?どういう状態を幸せと呼べるのだ?
頭の中は疑問で埋め尽くされた。どれほど脳を絞っても、納得のいく答えも、返す言葉も見つからなかった。考えるのをやめた。
疲れた。意味不明の問いに煩わされるのはもう結構だ。
『わからない』
その五文字だけを打ち込み、送信した。数秒後、墨然から返信が来る。
『わかった』
問答は、それで終わり。
――この男、一体何なんだ?




