第一章27 開き直りの嘘
座ると、墨然が問いかけてくる。
「お名前は?」
「目暁・ランニオンというんです」
今世の名前を答えた。
墨然はその名前に聞き覚えがあるのか、表情をわずかに和らげる。といっても、眉の筋肉が数ミリ緩んだ程度の微々たる変化だった。際允や止湮ほどの観察力がなければ決して気づかなかっただろう。
六年経っても相変わらずのポーカーフェイスだ。
しかし、なぜ彼は目暁の名前を知っているのだろうか。その疑問はあるが、先に解決すべきことがある。そこで彼は墨然に問い返す。
「お兄さんは?」
たとえ実際は知っていても、まずこの質問をしなければ、後の会話で彼の名前を知っていることが露呈してしまうリスクが高い。
「墨然・ケールヴィアという。呼び方は好きにしていい」
記憶通りだった。孤児院で止湮に会った時のように、苗字が変わったことを知らなかったせいで正体がバレた、といった事態は避けられそうだ。
「じゃあ、墨然くんって呼んでもいい?」
初対面の六歳児がいきなりそう呼ぶのは不自然かもしれないが、前世ではそう呼んでいたのだ。慣れない呼び方をしてつい失言するのを避けるため、最初から同じ呼び方で通すのが得策だと際允は判断し、そう聞いた。
「ああ」
宣言した通り、墨然は呼び方にこだわりがないようだった。
今世での呼び名が確定したところで、際允はどうして彼が自分の名前を知った理由を聞き出すか考えていた。すると、墨然が先回りして言う。
「目暁くんが、止湮先輩が先週引き取ったという子供か」
それが名前を知った理由だ、と際允はすぐに察した。相手の方から話題を振ってくれたなら、理由を尋ねるのも容易だ。
「そうだよ。どうして知っているの?」
「先輩から聞いた」
淡々と墨然は告げた。
「先週の土曜日に先輩から連絡があって、子供を引き取ったという話が出た。君もランニオンという苗字だし、ここで誰かを待ってる様子だから、そうだろうなと思ったんだ」
「止湮とは仲がいいの?」
少し好奇心を抱く。自分の知る限り、止湮はいくら社交的だとはいえ、用もないのに馴染みのない相手に自分からメッセージを送るタイプではないはずだ。
「いや。高校と大学が同じ学部だった縁で何度か顔を合わせたことがあっただけで。先輩が卒業してからは一度も会っていない。あの連絡までは、全くやり取りもなかった」
際允の記憶にある、この二人の間の距離感通りだった。
「あの連絡って、どんな内容だったの?」
さらに踏み込んだ。
人によっては立ち入りすぎた質問だと自覚はしていた。特に墨然のように、人に冷たいタイプの相手には。だが、好奇心旺盛な六歳児という設定なら、この質問も許容範囲だろうと際允は踏んだ。
すぐには答えず、その金色の瞳を細めて際允を凝視する。予想通り、この質問は墨然にとって、初対面の相手に容易く教える領域を超えていたようだ。
どうやら答えてくれないだろうな、と際允は思った。
しかし数秒後、その予想が覆される。
「大したことじゃない。先輩が相談したいことがあるから一回会っていいかって言うメッセージを送ってきた。何の目的で俺と会うのかもまだわからない」
墨然は答えた。
「久しぶりの連絡だったから近況を聞いた。そしたら先輩が子供を引き取ったという話を教えてくれた。それだけだ」
墨然が他人の近況を気にするとは。際允は失礼と自覚しながらもまずそう感心してしまった。
先ほどの沈黙は、見知らぬ子供にどこまで話すべきか計っていたのだろうが、結局は話してくれた。今この子供の外見が、墨然の警戒心を緩めたのかもしれない。
「じゃあ、墨然くんも止湮に会いに来たの?」
「そうだ。本当は数日前に会う予定だったんだが、俺の休暇の都合で今日になった」
ここでの再会は偶然ではなかったのだ。
止湮が数年ぶりにわざわざ連絡を取った相手が、火の教会の警察機関に勤める墨然であること。そして連絡があったのが先週の土曜日。となれば、目的は一つしかない。止湮が際允の前世の死を追及しようとしている件だ。
理解したように際允は頷く。知るべきことは知ったので、これ以上深追いするつもりはない。上着のポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。午後五時四十分を回ったところだ。
どうせ墨然の方から話しかけてくることはないだろう。残りの十数分はスマホを見て時間を潰そう。彼はそう思った。
が、
「目暁くんは……」
予想に反して、墨然が話しかけてきた。
顔を上げると、目を細めて自分の顔を凝視している墨然の金色の瞳と視線がぶつかう。
「先輩が俺を呼んだ理由を知っているんだな?」
「……」
――どいつもこいつも、どうしてこう鋭いんだよ……!
背中に冷や汗をかく。そしてすぐさま、自分が「何も知らない者」としての反射的な困惑を瞬時に演じられなかったことを悟る。この数秒の迷いこそが、鋭い墨然にとって、際允が事情を知っているという何よりの確証になったに違いない。
この連中と付き合うのは、心身の健康に悪いな。さらに冷や汗をかき、際允がそう思ってしまった。
それでも、墨然は確信を得たからといって、強引に問い詰めることはしなかった。際允がどう答えるかを静かに待っていた。
子供相手だから手加減しているのか。あるいは、際允の反応から別の情報を探ろうとしているのか。ここで否定すれば、何かを隠していると疑われ、止湮に口止めされているのではないかと勘繰らせるかもしれない。
結局、認めるしかない。
「うん、知ってるよ」
「即答できるはずの質問だったと思うが?」
思考していた間はわずか数秒だったが、時間かからずに答えられるこの質問に、それだけの間でも墨然に不自然を感じさせるには十分だった。案の定、質問が飛んできた。
だが、際允は既に冷静さを取り戻した。不自然だと思われたところで、どうだというのだ。
所詮、前世での接点は皆無に等しかった。止湮のように細かな違和感から際允・ランニオンに結びつけられるはずがない。たとえ墨然の洞察力が止湮を超えて宇宙人並みだったとしても、止湮の苗字が変わったような裏付けとなる情報もないのだ。常人ならせいぜい「大人っぽく、変わった子供だ」と思うのが関の山だろう。
つまり、下手に言い訳をして取り繕うより、開き直ってとぼけ続けるのが隠蔽に最善の手段なのだ。
「そうかな。僕の頭が鈍いなんだからかな?」
際允は平然と答えた。
「……」
その答えには墨然も一瞬、言葉に詰まる。




