第一章26 かつての後輩
【同居開始、八日目】
「この前にも話した鍵の件だけど、先週の金曜日火の教会へ申請を出しておいたのに、さっきやっと返信が来たよ」
今世の際允が止湮の養子になってから、一週間が経った。金曜の朝。際允が起きて食卓で朝食を摂ろうとしていると、止湮が引きつったような笑みを浮かべてそう言った。
――朝っぱらから機嫌が悪そうだな……。
心の中でため息をついた。
「今日の午後、僕の勤めている教会に届く予定らしい。だから出勤前には渡せないってことなんだ。やはり火の教会の効率には期待できないな」
止湮は肩を落としたようだ。
平日のここ四日間は冬休み中だったため、際允は一日中家でおとなしく過ごすことができた。止湮が外出していても、自分の鍵がないことで生活に困ることはなかったのだ。
他国では六歳以下の子供を一人で家に置いてはいけないという規定があるようだが、火の国はそのあたりの規定が緩い。その上、際允の中身は大人だという特殊事情もあり、家を出ないかぎり、止湮も彼を一人にすることにそれほど不安は抱かない。
しかし、今日から際允が通う幼稚園の新学期が始まる。外出しなくてもいい日々は昨日までだ。
止湮が出勤する前に鍵を受け取れなければ、午後四時の放課から午後六時の止湮の退勤までの間、彼らの家に入ることができない。止湮が教会の怠慢に対していつも以上に不快感を露わにしていたのは、この余計な手間のせいだった。
「大したことじゃないと思われたかもな。火の教会にはもっと重要な仕事が山ほどあるはずだ」
朝食の目玉焼きを噛みながら言った。際允は教会を庇うつもりがなく、ただ止湮の気を静めたかったのだ。
「それで、今日はどうする? 学校の図書館も五時までだけで。どこか時間制限が一時間以上の店に行って、六時まで時間を潰して、それから合流するか?」
養子になった翌日、止湮はすぐに際允にスマホを契約してくれた。彼は前世の経験を活かして必要なアプリを即座に設定し、止湮の連絡先も登録済みだった。だから自分の提案には何の問題もないと考えていた。
しかし、それに対し、止湮は渋い顔をする。明らかに反対のようだ。
「危なすぎるよ」
「何がだ?」
際允は困惑した。おかしなことを言ったつもりはなかった。
「その言い方だと、この辺りにどんな店があるかもまだわかっていないんだろう? 不慣れな店に行けば、客層も把握できない。もし悪い人に絡まれたらどうするんだ?」
心底心配そうな表情を止湮は浮かべる。
「君は危機感が足りなすぎる。今はただの子供なんだということを忘れないでくれ」
また安全面で説教をされてしまった。際允は少し納得いかずとも、止湮の正論には反論の余地がない。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「放課後、直接火の教会に来て、僕が仕事を終えるまで待っていてくれ」
止湮は深いため息をついた。
□□
それは、際允が今火の教会にいる理由だった。
彼がいるのは火の国の首都中心部にある最大の聖堂で、住んでいる寮からは徒歩五分ほどの距離にある。国内でも有数の繁華街の一角だ。
止湮の退勤まで応接室で待つよう案内した職員が、その部屋の扉を開けた。
そして一人で中に入ると、先客がいたことに気づいた。
部屋の中央には、向かい合わせに並んだ二つのワインレッドの三人掛けソファがあり、その間には長方形のガラスのテーブルが置かれている。片方のソファには、既に一人の男が座っていた。
男は扉が開く音に気づき、一人で入ってきた際允に視線を向ける。
見たところ、二十歳ぐらいの青年だ。白色の短髪で、前髪が少し長く、うつむき加減だった彼が顔を上げる瞬間、際允はその二つの目が金色であることを知る。
青年は整った顔立ちをしているが、今が六歳の子供である際允を前にしても無表情を貫いていた。口角を動かそうとする微細な動作すら見当たらなかった。
際允に向ける視線は鋭く不親切で、全身から突き放すような冷たさを放っていた。もしここに立っているのが普通の子供なら、泣き出していてもおかしくない威圧感だった。
だが、そんなことは際允にとって重要ではなかった。重要なのは、彼がこの男を知っていることだった。
墨然・ケールヴィア。
際允の前世では、自分と止湮の高校時代の二学年下の後輩だった。その世代において、かつての止湮がそうであったように、学年一位どころか全国一位を常にキープするほどの優等生だった。
クラスメイトにさえ無関心で、ましてや後輩のことなど気に留めなかった際允でさえ、その名は早くから耳にしており、表彰式などで何度か会ったこともあった。
しかし、成績優秀なだけでなく人々に好かれる止湮とは違い、墨然は際允のように独りでいるのが好み、冷たい人だった。前世での接点といえば、顔を合わせた時に軽く会釈し、挨拶を交わす程度だった。際允だけでなく、止湮でさえ彼とはそれほど親しくなかったはずだ。
彼が着ているのは当時の高校の制服ではなく、警察機関の制服だった。それを見て、本当に六年の歳月が流れたのだという実感と、同時に違和感を覚えた。
優秀な墨然が火の教会の関連部門に就職すること自体は意外ではないが、世間に無関心だった彼が警察に関する道を選んだことは、際允が抱いていた印象とは少しギャップがある。
それにしても、なぜ今ここに墨然と会ったのだろうか。
今はまだ教会の勤務時間内であり、制服姿の墨然が休日のようには見えない。だが、際允が入ってくるまで退屈そうにスマホを眺めていた様子から察するに、公務で来ているわけでもなさそうだ。応接室にいるということは、彼もまた誰かを待っているのだろうか。
際允が観察していると同時に、墨然も静かに彼をじっと見つめていた。やがて、墨然が先に声を出した。
「座らないか?」
声のトーンは外見と同じく、平らかで冷たかった。
数分間も入り口で立ち尽くしていたことに気づき、際允は彼の言葉に従って向かい側のソファに歩き、座った。




