第一章14 掴んだ袖と、家
二時間に及ぶ買い物を終えて、止湮は色んなものが入った大きな袋を二つさげながら、際允を連れてデパートを出た。
「それじゃ手を繋げないね」
両手が塞がっている止湮を見て、際允は密かに喜びつつ、同時にどう見ても買いすぎても平然とした顔をしている止湮に苦笑した。
「際允が袖を掴めばいいだろ」
際允が拒絶しようとするのを察したか、止湮は彼が返事するより先に言い直す。
「僕の袖を掴んで」
その声音には、些かの妥協も許さないという意志が込められていた。
「はあ……、わかったよ」
この男は、こういう些細な「安全管理」については一切譲る気がないようだった。際允は仕方なく従う。左手を伸ばして、止湮のスーツの右袖を指先で控えめに掴んだ。
夕食はすでに地下一階で買ってある。あとは止湮の住居へ向かうだけだ。それが今日の最終目的地なのだ。
今世はまだ体を鍛えていないから、体力は普通の六歳児と大差ない。この体で短時間にこれだけの場所を回って、歩き続けていたのは実に甚だしかった。際允は心から早く止湮の家に着いて体を休めることを願っている。
止湮の話によれば、自宅はこのデパートから徒歩五分ほど。それは首都市中心部でもかなり繁華な街にあって、火の教会が職員に提供しているマンションの一つだという。
この辺りに詳しくない際允は、住所を知ったところで行き方がわかるはずもなく、ただ止湮の袖を掴んだままついて行くしかない。
止湮の言った通り、僅か五分ほどで彼らはその建物に到着した。十階建てのマンションで、白い外壁は依然として真っ白であって、落成からまだ数年しか経っていないように見える。
彼らは一階の正面玄関に立ち止まる。隅にある管理事務室の隣にカードリーダーが設置されていた。それは大人の肩ほどの高さにあって、今の際允の身長では見上げなければならない。
管理事務室の窓から中を覗くと、勤務中の管理員が二人見える。こちらに近いところに座っているのは男性、一人の女性は彼の横に。
「こんばんは」
止湮が先に爽やかに笑って挨拶をした。
「止湮さん、こんばんは」
管理員二人とも温かな笑顔で返した。ともに止湮を知っており、ある程度の親しさもあるようだった。
際允の中にある、止湮のイメージと一致した。やはり止湮は誰に対しても友好的で、どこへ行ってもすぐに好感と信頼を得られる男なのだ。
「来客記録への記入は必要でしょうか?」
止湮は自ら管理員に尋ねた。
「来客記録?」
二人は怪訝そうな顔をする。明らかに、下の窓枠より少しだけ高い程度の身長で、全く物音を立てていなかった際允の存在に気づいていないようだった。
「そちらのお子さんは?」
窓際に座っている男性管理員が先に際允に気づいて、好奇心に満ちた表情で止湮に問いかけた。女性管理員も少し身を乗り出して、男の視線を追ってようやく際允を見るなり、驚いた表情を見せる。
「僕が引き取った子供です」
止湮がありのままに答えただけで、二人は即座に極めて大きな衝撃を受けた顔をする。
やはり二十四歳前後の独身男性が突然養子を連れて帰るというのは、誰にとっても驚くことだろう。際允は思った。さっき自分が驚きすぎた末、正体を止湮に見抜かれたのも、不可抗力なのだ。
自分たちの反応が少し失礼だと気づき、二人はすぐに驚きの表情を収める。
「既に契約管理協会で養子縁組の手続きは済ませてあります。審査が通れば火の教会を通じて正式な通知が来るはずです。ただ今日は金曜日なので、許可が下りるまで少し時間がかかると思いますが」
止湮は礼儀正しい微笑みを絶やさず、さらりと事務的な説明を加えた。
「承知いたしました。では、来客記録は不要です」
「ありがとうございます」
管理員との会話が終わり、止湮は右手の荷物を一旦地面に置く。何かを取り出そうとしているのを見て、際允も掴んでいた袖から左手を離した。
止湮はスーツの左内ポケットから、何らかのカードが入った黒いカードケースを取り出して、カードリーダーにかざす。
ピッ、というリーダーの電子音。その音と共に、一階玄関のドアが解錠された。
止湮はカードをポケットにしまう。一連の動作は流れるようにスムーズで、明らかに慣れた様子だった。
カードの外見をはっきり確認できなかったが、ここが火の教会の職員寮であるので、火の教会の職員証のようなものだろう、と際允は推測する。
「行こうか」
再び地面に置いた袋を持ち上げて、止湮は際允を振り返った。
「うん」
住居の建物に入れば安全面の心配はあまり要らないと判断したのか、止湮は際允に袖を掴むよう改めて要求することはしなかった。体でドアを押し開けて、先に中へと足を踏み入れる。
際允もすぐにその後を追って、止湮は彼が入ったのを見届けてから、静かにドアを閉める。
「そういえば、僕はこれからどうやってここを出入りすればいいんだろう?」
閉じられる扉の動きを見守りながら、際允はふと、生活に関わる実務的な問題を思い出した。
「火の教会に君の分の鍵を申し込んでおくよ。届いたら渡す。……が、緊急のことがなければ勝手に一人で外に出ないでほしいんだけど」
止湮は一度言葉を切り、少し眉をひそめて、心底心配そうな表情を浮かべて付け加えた。
「わかった」
子供の体で行動する自分の安全を止湮が本気で案じていることを、際允は理解したので、素直に承諾した。
このマンションの一階は、入ってすぐ横にエレベーターが二台備え付けられている。一階を応接室や談話室を兼ねているようで、奥には幾つものソファとローテーブルが整然と並んでいるのが見える。
火の教会の定時を少し過ぎたばかりだからか、ロビーには人影もなく静まり返っている。見上げれば、一階の天井は半階分ほど高く作られて、そこから吊るされた照明が温かみのあるオレンジ色の光を放っている。
ドアを閉め終えた止湮はエレベーターの横へ歩み寄って、ボタンを押す。待機していたエレベーターはすぐに一階に到着して、彼らはそれを共に乗り込む。止湮が慣れた手つきで「5」、続けて「閉」のボタンを押す。
「火の教会の職員って普段何時ごろに退勤するんだ?」
上昇を始めたエレベーターの中で、際允はふと気になったことを口にした。
「基本的には十八時頃だ。他の住人たちも、そろそろ帰ってくるはずだよ」
答えながら、止湮は手首の時計に目をやった。一階やエレベーターに人影がないことを不思議に思っている際允の内心を察し、言葉を添えた。
「じゃあ、止湮は平日の晩ご飯も自分で作ってるのか? 時間は間に合う?」
「平日はやっぱり外で買って済ませるのがメインだよ。自炊するのは休日だけだよ」
間もなくエレベーターが五階に到着して、二人は共に降りた。角を曲がると、広々としたマンションの内廊下が奥へ続いている。止湮は立ち止まることなく四つの部屋を通り過ぎて、廊下の突き当たりまで歩みを進める。
その部屋のドアには、従来の鍵穴に加えて一階の正面玄関にあるカードリーダーと同じものが設置されている。
職員証でも解錠できるようだが、止湮は慣れた手つきで左内ポケットから物理鍵を取り出して、それを鍵穴に差し込んで回す。
「ここが僕の家だ。どうぞ」
ドアを押し開いて、止湮が再び際允を振り返った。
薄暗い部屋の奥を覗き込んで、際允はようやく、ここがこれからの自分の家だという実感をひしひしと噛み締めていた。
【家に帰るまで、00:00:00】
【同居開始、一日目】




