第一章11 心と体
「養子縁組契約も終わったし、名前も変えたな。さて、帰ろうか——。あ、その前に、君の着替えや洗面用具、それから今日の晩ご飯も買わないと」
契約管理協会の支局を出ると、止湮は弾んだ声で際允に語りかけた。
「聞きたいことが山ほどあるんだが」
際允は冷静に止湮を見上げる。
「それくらいはわかってる」
止湮は少し困ったように眉を下げて笑う。
「後で全部話してあげるさ。晩ご飯を済ませてからでもいいだろ? どれほど時間がかかっても構わんから」
「……わかった」
「僕だって同じなんだ。君に聞きたいことがたくさんある」
「僕に?」
際允は訝しげに目を見張る。自分という人間には何か、止湮が興味を抱くような要素があるのか、思いつかない。
「ああ」
戸惑う本人をよそに、止湮は迷いなく頷く。
「前世のことも、この六年間のことも、全部教えてくれてもいいか?」
「昔は僕のことなんて、そんなに興味を持ってなかっただろう?」
「昔は昔さ」
止湮はどこまでも爽やかに笑い飛ばす。
――六年も経ったとはいえ、たかが六年じゃないか。そんなに変わるものか?
「さあ、行こう」
まだ納得しきれない表情の際允にそう促して、止湮はその小さな手を握り込んだ。
「ってか、どうしても手を繋がないといけないのか?」
大人しく引かれて歩き出しても、際允の口からは不満が漏れた。
「当然だろ」
止湮は心底不思議そうに首を傾げた。際允がそんな当たり前のことを聞くのが理解できない、とでも言いたげな顔だった。
「大人と子供が出かける時は、安全のために手を繋ぐのが普通だろう? 少なくとも僕はそう思ってるんだが」
「普通の子供じゃないし……。中身は成人だぞ。勝手な動きなんてしない」
「中身が成人だとしても、今の体が子供である以上、物理的な制約からは逃れられない。どうあれ、子供が事故に遭うリスクは大人より高いんで、安全を考えれば手を繋がないより繋いだ方がいいに決まってんだろ」
止湮は少し眉をひそめて、真面目な表情で付け加える。
「君も、もっと『今の自分は子供だ』という自覚を持った方がいいと思うけれど」
まさか逆に説教を食らうとは。しかし止湮の言い分はあまりにも正論で、気恥ずかしさを覚えながらも、際允はぐうの音も出なかった。
「止湮は、高校時代の同級生と手を繋ぐなんて恥ずかしいとか、一ミリも思ってないのか?」
少し止湮の考え方に好奇心を抱いていた。
その質問に止湮は可笑しそうに口角を上げる。
「もう高校生じゃないし、そんなことを恥ずかしがるような年齢でもないんだからね」
その言い草はまるで、恥ずかしがっている際允が幼稚だと揶揄っているようだったが。
「じゃあ、二十四歳の成人男性になったら、同性の友人と手を繋いでも平気だっていうのか?」
際允が不服そうに食い下がると、止湮は一瞬だけ視線を泳がせた。
「さあな。僕には同性の友人がいなかったから」
その表現が不正確だと思ったのか、止湮はすぐに言葉を置き換えた。
「正確に言うと、僕には友達がいなかったんだ」
「……」
――嘘つけ!絶対に適当なでたらめで誤魔化そうとしているだけだろ!
際允は一分たりとも信じなかった。
「とにかく、手を繋ぐくらいでどうってことはない。全く気にしないから。そもそもさっき言った通り、僕の考えなんて気にしなくていい。際允は自分の安全だけを最優先に考えればいいさ」
「わかった。でも、僕を子供扱いしていいのは、そういう体的な制約に関わる時だけだからな?」
本格的な同居生活が始まる前に、これだけは釘を刺しておかなければならない。際允はそう思った。
仮にここで止湮に「君が受け入れなかったとして、それで?」など不遜な言葉が返されれば、彼にも為す術がないのだが。
それでも自らの尊厳を守るべく自分の意思を明確に示しなければならないのだ。それに、止湮なら彼の考えを尊重してくれるはずだと、際允も思った。
「精神的な年齢と身体的な年齢を分けて考えるべきだとは、頭ではわかってるんだけど……」
そう言いながら、止湮は何か思うところがあるような目で際允を見つめる。
「人間の認識は視覚情報に大きく左右されるとか、聞いたことがあるけれど、今になって初めて実感したな」
「……」
つまり、止湮は頭の中は彼の中身が際允という成人の意識を持っているとわかっていても、今彼の外見引きずられて、思わず子供扱いしてしまうかもしれない、ということなのか?
少しだけ呆れた。
「もし僕がうっかり君を子供扱いしてしまうような行動をとってしまったら、悪く思わないでほしい。不快に感じたら、遠慮なく言ってくれ」
流石は止湮だ。謙虚で優しく、隙のない気配り。やはりこの男はあの頃の全方位優等生のままだ。
「その理屈だと、僕自身も、実は視覚的な変化に影響されて、前世より幼稚になってるかもしれないな?」
際允もまた己の振る舞いを省みて呟いた。
「さあ」
その推論に対して、肯定も否定もせず、止湮はただ意味深に微笑むだけだった。




