第一章10 新たな苗字
その疑問を一旦棚上げして、際允は頭上のモニターで呼び出し番号を確認した。五百三番だ。自分たちが呼ばれるまで、まだ少し時間がある。
残された時間で、彼はさらに問いを重ねることにする。
「じゃあ、もう一つ質問してもいいか?」
「うん」
「どうして際允だとわかったんだ?」
予期せぬ出来事によって多くのボロを出してしまった自覚はある。だが、自分の演技がこれほど速く正体を見破られるほど拙いものだったとは、際允には思えなかった。
何より、たとえ止湮だとしても、普通は「死んだ友人が子供に転生した」という突拍子もない結論に、これほど迅速に辿り着けるはずがないだろう。
「最初は、君の反応が大きすぎて気を引いたんだ。それから、言葉を交わすうちに疑いが深めていった。その理解力・対応力・思考力の鋭さ……どれをとっても普通の子供としては違和感しかなかった。そして、君の表情や話し方に馴染み深さを感じて、際允のことを思い出した。実は、最初は『もしや?』という淡い期待のようなものでしかなかったんだけど」
そこまでは、際允にも理解できる範囲内だった。本当の問題は、止湮がどうして確信を得たのか、ということだ。
「ここまではただの直感に過ぎなかったが、確信に変わったのは君が……」
なぜか止湮が言葉を濁した。何か、口にするのを躊躇っているかのように。
「僕が?」
その躊躇に戸惑って、際允は続きを促した。
止湮が、際允を静かに一瞥する。その刹那の眼差しから際允が読み取ったのは、悲しみ、憤り、それらに隠されるほど微かな悦びが混じり合った、形容しがたい複雑な感情だった。
あの全方位優等生の止湮・ミレカーも、これほどまでに昏い感情を抱くことがあるのか。
脳裏にそのような思いが閃いたが、際允が深く考える前、止湮はついにその理由を話す。
「君が、僕をミレカーと呼んだ時だ」
「……あ?」
「僕は確信したんだ。君は際允だってことを」
「待っ、え? どういう意味だ? なんで?」
言葉を重ねようとした瞬間、無機質な呼び出し音が二人の会話を断ち切った。
上にあるモニターに目を向けると、現在示している呼び出し中の番号が五百五番になったのが見える。
止湮は彼の疑問には答えず、いつもの穏やかな微笑みに戻った顔で、際允に手を差し伸べる。
「僕たちの番だ。行こう」
釈然としないまま、際允はその手を取って立ち上がった。止湮に引かれたまま、カウンターへと向かう。
窓口で待っていたのは、三十代ほどの男性職員だ。二人がカウンターの前の席に着くのを確認してから、事務的な口調で切り出す。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「養子縁組契約です。お願いします」
止湮は再び正直に答えた。
「かしこまりました。それでは——」
男は一枚の書類を取り出して、彼らに向けてカウンターの上に広げた。キャップを嵌めたままのペンで書類の要点を指し示しながら、養子縁組契約の内容と注意事項を二人に説明していく。
前世で一度経験している際允にとっては既に知っていることだった。彼は気をそらし、先ほどの止湮との会話を反芻する。
――僕が止湮をミレカーと呼んだ時、止湮は、目暁という六歳の子供は際允の転生だということを確信した、ってこと?
そう呼んだ瞬間に止湮の態度が急変した、と際允が感じた通りだった。ということは、止湮のこの話は事実であろう。
――だが、一体なぜ?
止湮の苗字が「ミレカー」であることは、際允だけが知っている秘密ではない。際允の知る限り、高校時代、止湮は一度もその苗字を隠してはいなかった。少なくとも高校の同級生なら誰だって知っているはずだ。
まさか、その中で死んだのが際允だけだからなのか?加えて、さっき彼の振る舞いが止湮に際允のことを連想させた。それだけで、止湮は「際允が目暁という六歳の子供に転生した」という事実に、そんなにも簡単に辿り着けたのだろうか?
しかし、そのようなことも、「止湮は際允の死後この六年間、ずっと自分の苗字を隠して生活していた」という前提が成立しなければ、「ミレカーと呼んだだけに際允だと確信した」という説は合理性に欠ける。
そんな馬鹿げた前提が成立する可能性……指名手配犯でもなければそんな手間をかける必要は全くないだろう。当然のようにそんな荒唐無稽な仮定はすぐに否定された。もしそうだったら、止湮は変装もせずに孤児院や契約管理協会のような公共の場に、堂々と姿を現すわけがなかったからだ。
やはりこの謎は、止湮が養子を迎えなければならない「理由」とともに、後で改めて問うしかない。そう結論づけた時、職員の説明が終わりを告げた。
「——それでは、問題がなければ、こちらの保護者記入欄に署名をお願いします」
「はい」
気をそらした際允と違って集中して聞いていた止湮は頷いた。男の手からペンを受け取り、キャップを外し、男が先ほど指さした箇所にペン先を向ける。
そして際允は、止湮が契約書に記した「名前」を、初めてその目に捉える。
——止湮・ランニオン。
……。
……は?
「続いて、こちらにお子様のお名前を。ご自分で名前を書くのが難しければ、保護者の方が代わりに署名していただいて構いません」
「僕が代わりに署名しましょう」
職員の言葉に、止湮は澱みのない動作でペンを隣の欄へと進める。
そこに刻まれたのは、際允にとってまだ馴染みの薄い「名」、そして見慣れた「苗字」――。
まるで、呪いのよう。
——目暁・ランニオン。
その刹那、際允はついに理解した。なぜ止湮が、ただ彼に「ミレカー」という苗字で呼ばれただけで、彼が際允だと確信できたのかを。
そして、もう一つの事実を悟る——。
この日から、自分の名前は「目暁・ランニオン」となったのだ。
【家族になるまで、00:00:00】




