第一章9 家族になる
火の国において、孤児院の子供を養子に迎えるに、複雑な手続きは必要ない。
際允が自分の部屋に戻って、幼稚園の制服や文房具などを適当にカバンに詰め込んでいる間に、止湮は既に孤児院の大人たちと話を付けていた。
そして、大人たちの祝福と安堵が入り混じったの視線に見送られながら、際允は止湮に手を引かれて、住み慣れたはずの孤児院を後にする。
「他に持っていきたいものはもうないよね?」
門扉を出る直前、止湮が確認するように聞いた。
「ない」
「それじゃあ、これから直接『契約管理協会』に行って養子縁組契約の手続きをしよう。そのあと、僕らの家に向かう。いいか?」
これからの予定を告げた後、止湮は再び念を押すように問いかける。
「もうここには戻らないことになるけど、いいよね?」
「ああ」
際允の短い返諾を受けて、止湮はついに本格的に歩き出す。
今世で生まれてから六年近く、際允は幼児園に行くこと以外、この孤児院の外へ出たことはなかった。前世でもこの辺りにに足を踏み入れた記憶はなく、目に映る街並みや商店はどれも新鮮で、見慣れないものばかりだ。
しかし、止湮は彼よりもこの辺りに詳しいようで、一切の迷いなく歩を進めていく。止湮は引かれる手に導かれるまま、黙々とその隣を歩くしかない。
止湮が六歳の子供の歩幅に合わせ、意識的に歩調を緩めていることに際允が気づく。そのやや遅い歩行頻度は乱れることなく一定に保たれている。
止湮は彼の速度を意識して、心をかけて制御しているようだ。
余計な迷惑をかけたくないが、歩く速度は今の子供の体では無理をしても、改善できるものではないことがわかっている。目的地である契約管理協会に到着するまで、際允は現状に甘んじる他ない。
より正確には、契約管理協会・火の国支部の、とある支局だ。
際允が初めて契約管理協会の支局に来たのは、前世の六歳の時だった。
それは今から十八年前のことになる。蔚柳・ランニオンが際允がいた孤児院を訪れて、彼に会って養子に迎えることを決めて、「ランニオン」という苗字を与えてくれたあの日。
当時、蔚柳・ランニオンも今のように、孤児院の大人たちと話をつけてから、彼を最寄りの契約管理協会の支局に連れて行って養子縁組契約の手続きをした。
手続きと言っても、まだ未成年で何の責任や義務も負わぬ際允が実際にしたことは、書類への署名だけだった。手続きが終われば、再び蔚柳・ランニオンに元の孤児院へと戻されて、それまでと変わらぬ生活を送り続けていた。
そんな形式的な養子縁組だった。
支局が異なるが、際允の意識にとってこれは二度目の契約管理協会への訪れとなる。前世の経験がある分、養子縁組契約の内容と手続きの流れをある程度知っている。
数分後、彼らは目的地に着いた。初めて訪れるその支局の外観を際允が冷静に観察する。
五階建ての独立した建物で、白いレンガの壁に濃い青色の屋根瓦を持ち、外観は質素で優雅に見える。築一世紀近くも経っているはずだが、外壁の白さが保たれていることから、徹底した維持管理されていることが窺える。
入り口の階段を上って、大人である止湮が重厚そうな木製のドアを押し開けた。
重そうに見えるドアだったがは、止湮にさしたる力も入れずに開けられた。どうやら、意図的に重厚な外観にデザインされただけのようだ。
「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
中に入ると、すぐにドアの傍に控えていたスタッフが出迎え、二人に笑顔で聞いてきた。
「養子縁組の契約です」
止湮が端的に答えた。
スタッフは入り口の左手にある機械で番号札を取ってから、奥の待合席で呼び出しを待つよう、指示してくれた。それに従って、止湮は機械を操作すると、番号の書かれた紙が出てきた。それを受け取って、止湮は隣の際允にその数字を見せる。五百五番だ。
上にあるモニターには、現在呼び出し中の番号がちょうど五百番だと示している。待ち時間はそう長くはなさそうだと、際允は踏んだ。
止湮に手を引かれて、奥の待合席エリアへと進む。
一列十二席で五列、合計六十席があって、中央の通路で左右にわかれている。今はオフピーク時間だからか閑散として、空席がかなり残っていた。
止湮は最前列の左端にある並んだ空席を二つ選んで、左から二番目の席に座る。そして際允が隣、つまり一番左の席に座るよう、際允に手振りをする。際允も素直に従う。
前にはカウンターが並んで、奥には職員が座って、窓口の前に呼び出された客とガラス窓越しにやり取りしている。この支局には窓口が全部で十二個あるが、今は「休憩中」の札がかかっている窓口もあり、実際に客に対応しているのは七つだけだ。
大人しく席に座って呼び出しを待っていたが、あまりの退屈を覚えて、際允は止湮に話しかける。
「一つ質問してもいいか?」
「ああ、いいよ。何を聞きたい?」
止湮も手持ち無沙汰に感じているようで、快く承諾した。
周りの大人たちのようにスマホを触って時間をつぶしていない止湮は、もしかしたら、今の際允が携帯電話を持っていないことを考慮し、疎外感を与えないための配慮だろうか。際允はそう推測した。
承諾を得た以上、際允は心の中の疑問を遠慮なくぶつける。
「結婚してるのか?」
「えっ……いや、してないんだけど」
全くそんな質問をされるとは思ってもいなかったようで、止湮は目に見えて狼狽する。
「なぜそんなことを聞くんだ?」
「じゃあ、恋人は?」
「いないけど」
「まさか一人暮らし?」
「そうだけど」
この時代、社会に出たばかりで、あと二ヶ月もすれば二十四歳になるこの若者。特に子供が好きでもない一人の男性が、子供を養子に迎える必要があるという場合、常識的に考えて最も可能性が高い理由は「家族が子供を強く望んでいる」であろう。
そう考えた際允はまずそれに関することを聞いた。しかし、止湮が現在独身で、しかも一人暮らしであるならば、家族的な理由だと考えにくい。
「じゃあ、さっき言ってた『ある理由で子供を養子に迎えなければならない』って、何なんだ?」
「ああ……」
まるでようやく際允の意図を汲み取ったのか、止湮は得心したような声を漏らした。
「それについては、後で家に帰ってから説明する」
だが、止湮は答えなかった。
「なんで?」
「説明している途中、番号が呼ばれてしまいそうだからな」
止湮から返ってきたのは、あまりに合理的で反論の余地のない理由だった。
一体、どれほど長く、複雑な説明が必要だというのか。
際允ははさらなる困惑を覚えたが、止湮にそう言われた以上、いくら好奇心があっても今は抑えるしかなかった。
【家族になるまで、00:06:✖✖】




