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立夏〈ただひとときの安らぎを〉

四季折々を織り重ね ──御剣勇緋の回想録── 【夏】

令和7年6月15日 初版発行


サンプル公開範囲:立夏〈ただひとときの安らぎを〉(5p〜20p)

挿絵(By みてみん)




 ダイニングテーブルの上に置かれた、白い強化ガラス製の平皿。

 某春のパン祭りにて引き換えたそれは、大体どこのご家庭にもあるような、ありきたりで普通の皿。

 

 だが、その上にあったのは、まったく馴染みのない──最早、皿の上に載せていいものではないだろうと思ってしまうほど──奇妙なものであったのだ。

 彼女たちにとっては、だが。

 

 

「……何これ」

「ちまきです」

「だ・か・ら、これが何なんだっつってんだよ。俺には『葉っぱで包まれた三角形の物体と棒』にしか見えねーんだわ」

「ちまきです。柏餅もあります」

 

 

 おれがそう答えると、アシュリーさんは、怪訝そうな顔をして目頭を揉んだ後、諦めたように息を吐く。

 

 

「……オーケー、オーケー。これが『ちまき』って名前なのはわかった。そして、こっちのよくわからんヤツが『柏餅』なのもわかった。だけどな、俺が知りたいのは『名前』じゃなくて、『形』と『意味』なの。なあ、わかるよな? 曲がりにも神秘学やってる奴が、わかんねーはずがねーよな? 信じるぞ?」

「仕方ないですね。説明しましょう」

「『仕方ないですね』、じゃねーんだよ。役目だろ」

 

 

 おれより頭一つ分小さい背丈から繰り出される肘打ちは、がら空きだった鳩尾に深く突き刺さった。

 痛みに声を上げることはなかったが、反射的に身体を折り曲げてしまう。

 同じ高さになった目線の先には、ざまあみろと笑う彼女がいた。

 

 

「ねえ、ユウヒ。これ、開けてみてもいいのですか?」

「ああ、どっちも開けていいよ」

 

 

 そんなじゃれあいをしている横で、アシュリーさん曰く『謎の物体』を興味深そうに見ていたリリスが、堪え切れずそれを手に取っていた。

 リリスが持っていたのは、三角形の方だけであったが、許可を出せば、そそくさと両方の封を解く。

 

 現れたのは、炊き込みご飯のおにぎりと、団子に似たもの。後ろから見守っていた藍さんが口を開いた。

 

 

「おや。こちらの方は知っていましたが、これもちまきなんですね」

「関西風だと、こうなるらしいです。おれもあまり馴染みがないんですけど、折角なので作ってみました」

「おーい。日本人二人だけで納得してないで、これが何なのか説明しろよ」

「そうですわ。買い出しに付き合ってから、数時間何も教えられずに放置されたわたくしにも、説明してくださいまし」

「……ツッコまないからな」

 

 

 『ちまき』とは、茅や笹の葉で巻いて蒸した餅のことだ。

 端午の節句に、無病息災を願って食べられている。

 発祥は中国だが、奈良時代に日本に伝えられたようだ。

 東日本ではおこわに近いものが、西日本では団子に近いものが主流である。

 より本来のちまきに近いものは、東日本の方であり、西日本の方は京都で茶文化が盛んになった際に、和菓子として改良されていった結果らしい。

 

 

「なるほど……ビッシュ・ド・ノエル的なものなのですわね。この葉も食べるのですか?」

「いや、それは包み。柏餅の方も食べないよ。桜餅だと食べたり食べなかったりするけど」

「ほへー。どう見ても食い物じゃねー見た目のヤツ出されてビビったけどよ、ふつーに食えるヤツで良かったわ。日本人……いや、東洋人って偶に正気疑うモン出してくるからな」

 

 

 そういえば、彼女の育ての親は、おれや藍さんと同じく日本人だったか。

 それならば、主な活動圏が西洋であった彼女でも、日本食や東洋の食事に触れる機会というのは、多少あったのだろう。

 

 しかし、おれはその発言は看過できなかった。

 特に、彼女の出身国を知っていた上では。

 

 

「シュールストレミング作ってる国の人に言われたくないです」

「くさや」

「……それは知ってるんですね」

 

 

 くさやとは、平たく言うと『めっちゃ臭い魚の干物』である。

 高い保存性を持つが、何分臭いが強烈すぎるため、日本人の中でも珍味扱いされている。

 

 対して、シュールストレミングとは、知らない者は数少ないであろう『世界一臭い食べ物』である。

 スウェーデンで作られている、伝統的なニシンの缶詰なのだが、これもまた強烈な臭いがするのだ。

 スウェーデン本国で、法的に屋内での開缶を禁じられているだけある。

 その強烈さは、くさやよりも格段に上。

 ただ、シュールストレミングは、くさやよりも日常的に食べられているらしい。

 また聞きのため、あまりない信用性のない情報だが。

 

 実は、ゲテモノ料理が好きな養父母知人に一度嗅がせられたことがある。

 両方とも、脳が一瞬理解を拒む臭いであった。

 味はそれなりに食べられるものだったが、二度食べようとは思えない。

 主に臭いのせいで。

 

 しかし、おれの味覚は知人全員に『おかしい』と叫ばれるほどであるため、その『食べられる』という感覚すら信用できない。

 おれが『食べられるけれど、自分から食べたいとは思わない』ものとは、すなわち、他人にとっては『絶対に食べたくないもの』なのではないだろうか。

 疑問が湧き出るも、その証明をしようものなら、テロまがいの異臭騒動を起こすことになるため、想像に留め置いた。

 

 

「シュールストレミングはともかく、くさやはどこで知ったんです? 日本食の中でも際物だと思いますが」

「ユイが『あれは海産物に対しての冒涜だろ』って言ってたんだよ。俺としては、納豆や生卵を食う方に抗議したかったがな」

 

 

 ユイとは、アシュリーの育て親である女性──ではなく、男性である。

 肉体は十五歳前後の黒髪の少女なのだが、精神は紛れもなく成人男性という、何とも言えない人だ。

 

 

「あの人、そんなこと言う人なんですか……?」

「ずっと女学生の皮被ってるだけで、おっさんくせーところはおっさんだぞ、あの五十代。あそこにアトリエ構えてんのも、魚釣れるからだし。『刺し身には日本酒』っつって、酒弱いくせに飲んで、うざ絡みしてくるから面倒なんだよなあ……」

「数十年詳細不明だった魔法使いの痴態が暴かれていく……あとでうちの魔法使い二人に教えてあげましょう」

「……わたくし、その方はそれほど存じ上げませんが、尊厳がどんどん失われている気がしますわ」

 

 

 おれが知るユイさんとは随分違うことに若干の衝撃を受けつつ、彼がアリスや、もう一人の機関所属の魔法使いに、いじられ倒される未来にあることへ合掌する。

 もちろん、皆に暴露される原因がアシュリーさんであることは後で教えに行くつもりだ。

 遠い要因になってしまったことへの、一種の罪滅ぼしである。

 

「と、そろそろ食べましょうか。ほうれん草のおひたしとカツオのたたき、お吸い物もありますよ」

「酒は?」

「ないです」

「ありますよ? 買ってきました」

「買ってきちゃったんですか」

「……わたくしとユウヒは論外ですが、アシュリー様は飲酒していいのですか?」

「あ? こちとら三十四歳だぞ」

「その前に永遠の十二歳ではなくて?」

「義体に肉体年齢なんて関係ないね。ということで、アイ。俺にも飲ませろ。ビールでもワインでも構わん」

「いいでしょう。飲み比べますか?」

「俺に勝てると思うなよ、若造が……!」

「酔い潰れても介抱しませんわよ」

 

 

 一人暮らしの部屋にしては大きい机の上に、取皿やグラス、箸を並べていく。

 アシュリーには、スプーンとフォーク、それにナイフも付けておいた。

 

 それぞれが席につくと、声を合わせて『いただきます』と手を合わせる。

 そうして、楽しい五月五日の夕食が始まった──

 

 

「──じゃねーよ、流されるとこだった! ちょっと待て、お前ら。今ナチュラルに食卓囲んでるけどよ、俺とコイツは四日前に殺し合ったんだぞ!?」

「今更ですわ」

「今更ですね」

「……昨日の今日でそれ言います?」

「流石の俺でも、勝手に住居決められた翌日に、仲良し三人組の食事会に連れて来られることになっちまうと、文句の一つくらい入れたくなるわ! ……おい、そこ! 何ふつーに食ってやがる」

「空腹を満たすのは、人として当然の行為ですわ。さっさと座ってお食べになってくださいまし」

「同感です。騒ぐ暇があるなら食べなさい」

 

 

 アシュリーさんは、「どうにかしろよ、半分くらいお前のせいだろ」とでも言いたげな半目で見てくる。

 だが、おれとしては、リリスや藍さんと同意見であった。

 

 彼女との和解は、昨日の多摩動物公園で済んだものであり、今更とやかく言うこともない。

 強いて言うなら、料理の感想を聞かせてくれ、という気の抜けたお願いくらいだ。

 

 そう言うと、色々諦めたらしいアシュリーさんは、席に座り直し、関東風ちまきを手に取った。

 困惑半分、期待半分といった顔で数秒眺め、小さく口に入れる。

 

 

「……うまい」

「お口にあったようでなによりです」

「生意気〜。でも、うまいから許す」

「許された」

 

 

 初めの警戒具合はどこに行ったのか、彼女は、味への文句は一つも溢さず食べ進めていく。

 グラスに注がれた酒もよく進み、既に三杯目に突入していた。

 なお、藍は既に四杯目である。

 基本一日一杯と決めている彼女が、ここまで大量に飲む光景を見るのは初めてだ。

 実家では、蘇芳さんが常に酒を飲んでいたため、見慣れていたものだが、一か月も離れていれば、慣れていたものも不慣れになってしまうらしい。

 『継続は力なり』とは、こういうことなのかもしれない──いや、違うだろうが。

 

 二十分も経てば、食事内容はデザートに移り変わっていた。

 関西風ちまきと柏餅を、それぞれ一つずつ食べる。

 調理時間の都合上、柏餅は出来合いのものを買ったのだが、味が悪いなんてことはなく、むしろ餡と生地がよく馴染んでおり、美味しかった。

 

 皿の上が綺麗さっぱり片付けば、口直しの水を飲みながら、アシュリーさんはおれたちを一瞥した。

 

 

「……ご馳走になった立場で言うのもなんだが、マジでお前ら頭イカレてんのか? 首輪があったとしても、人一人殺すくらいは簡単なんだぞ」

 

 彼女の首には、黒いチョーカーが付いている。

 無論、先日機関が付けた、監視兼処罰用の首輪である。

 不審な行動を取ればすぐに司令部が把握し、有事の際は窒息による拘束が試みられる。

 しかし、その機能を以てしても、彼女の言う通り、一人二人ならば害する余裕はあるだろう。

 

 それでも、少なくともおれたちはアシュリー・シェーグレンという存在を信頼している。

 彼女は、無闇に人を害することはしない。

 依頼があって、初めて事を為す傭兵であった彼女だからこそ、意味のないことはしないと背を預けているのである。

 

 

「……再度になりますが、機関の人間は、昨日の敵が今日の友になることも、昨日の友が今日の敵になることも想定しなければいけません。然るべき対応をしたのであれば、個人への恨み辛みなんて、持つだけ無駄なんですよ」

「割り切りすぎだろ。心臓、ダイヤモンドでできてんのか?」

「失礼な。傷つくときは傷つきます」

「……まったくそうは見えねーけど」

「さあ……わたくし、この二人に関しては『無』がデフォルトだと思っていますので。何を考えてるのか、ちっともわかりませんわ」

「……え? おれも?」

 

 

 思いがけない飛び火に、洗い物をしていた手が止まる。

 隣で食器を拭いていたリリスは、おれを咎めるような視線を投げた。

 

 

「だって、今日も急に『そうだ、ちまきを作ろう』と言って、食材を買っていたじゃありませんか。何が『そうだ』なんですの、何が」

「ほら、スーパーで鯉幟立ってただろ? それで、今日は五月五日で、端午の節句だったことを思い出したんだ。せっかくだし、それに合うご飯にしようと思って」

 

 

 実家では、年中行事は和洋問わず行うことになっていた。

 端午の節句は、行事食だけでなく、庭に鯉幟を立てていたし、菖蒲湯に浸かったり、五月人形を飾ったりもした。クリスマスや正月は、一段と力を入れていた。

 そのような家庭は、現代では珍しい部類に入るだろう。

 だが、その習慣がおれを行動させていた。

 

 それに、アシュリーさんがこちらのことを知るきっかけになる。

 『同じ釜の飯を食った仲』という言葉だってあるのだ。

 彼女が後ろめたさを感じていることは、薄々わかっていた。

 監視や処罰の対象だとしても、折角隣人となったのだから、そのような負の感情は消せるものなら消したかった。

 

 

「……だとしても、そこに至るまでの過程を吹っ飛ばして、結論だけ口にして。その上、その過程自体は何一つ話さないものですから、わたくしはあなたの思考がこれっぽっちもわかりませんのよ。そもそも、アイ様に教えて貰わなければ、『端午の節句』すら謎のまま終わっていましたし」

「それはすまないと思っている」

「余罪はたくさんありますわ」

「……ごめんなさい」

 

 

 自分が口下手だと自覚はしているが、このような苦言を呈されるほどだとは思っていなかった。

 長年一人で過ごしていた経験からか、人と情報を共有するということに慣れていないのだ。

 『ぼっち』の弊害というものである。

 

 

「反省したのなら、次からはきちんと、わたくしにも話してくださいな。置いてけぼりは悲しいですもの」

「善処する」

「……あまり反省していませんわね?」

「してるよ。でも、確実にできるとは言えないな」

「……貴方のそういうところ、誠実と呼ぶべきか、不義理と呼ぶべきか……。ところで、何をやっているんです、あの方たちは」

「……オセロじゃないか?」

 

 

 テーブルに目をやると、二人は、どこからか出してきたオセロで真剣に勝負していた。

 白が藍さん、黒がアシュリーさんで、現在の戦況は五分五分である。

 

 元々酒豪と知っていた藍さんはともかく、アシュリーさんが、あの見た目と体格で、彼女と同等ほどに酒に強く、その上酔っていても、頭を使うことができるとは、思ってもみなかった。

 基本打たれれば、即座に打ち返すのが藍さんだが、今回ばかりは長考している。

 もしくは、二人とも酒で思考力が鈍って同等になっているのか。

 酒の入っていない二人の対戦も見てみたいものだ。

 

 そのように思っていると、リリスは呆れたように溜息を吐く。

 

 

「ほら、こういうことですわ。何を考えているのかわからないというのは」

「ああ、うん……こうして見ると、よくわかる」

 

 

 急に始まったオセロの対戦。

 二人からすれば、当然の帰結かもしれないが、外野からすれば、突然おかしな行動を取り始めたようにしか見えない。

 驚くのはもちろんだが、それ以上に不安なのだ。

 知らなければいけない情報を、自分だけが知ることができなかったのではないか、と。

 

 もちろん、そんなことはない。

 今回のことは八割五分二人のおふざけのようなもので、知るどころか、無視しても構わないものである。

 けれど、それを彼女が知る由はない。過程を知らない彼女は、その情報が必要なのか不必要なのか、判断できないのだ。

 

 彼女はずっと、勇緋に対して、このように思い続けていたのだろう。

 出会ってから、まだ一か月。

 けれど、二人は、ただの『友人』にしては濃厚すぎる日々を送っている。

 

 人の心は単純だ。

 ともに過ごせば過ごすほど、距離は縮まっていく。

 そこに、通常では起こり得ない出来事が挟まれば、尚更である。

 

 だからこそ、突然現れた落とし穴。

 先の見えない奈落。

 それが生み出す恐怖は、他と比べて、何倍も強い。

 踏み出してしまえば、暗闇の中へ落ちてしまうかもしれない。

 けれど、踏み出さなければ、大切なものを失ってしまう。

 それは、どうであっても、自分に決断を迫る。

 踏み出すか、踏み出さないか。

 得るか、失うか。生きるか、死ぬか。

 極端な話かもしれないが、結局のところ、行き着く先はそういうことになってしまう。

 

 人間は、恐怖を感じることができる生物だ。

 恐怖を目の前にして、逃げるのか、立ち向かうのかは個人差があるが、みんな『生きる』ために動く。

 『死にたくないから生きる』ことが人間が最も生物らしく行動できる思考であり、本能であるのだ。

 しかし、それをするためには、身体と脳を無理矢理にでも働かせる原動力──『勇気』と名付けられた摩訶不思議な力がいる。

 

 一つにまとめられた銀髪が揺れた。

 

 

「……あのとき、わたくし言いましたわ。『わたくしの前から、いなくならないでください』と」

 

 

 それは、およそ一か月前。

 アシュリーさんに拉致──否、協力を迫られた時のこと。

 突然目の前から消え、なおかつ肉体を損傷させたことで、彼女には多くの心配をかけてしまった。

 帰ってきたとき、目を腫らしたリリスにこっぴどく叱られたのは、今でも鮮明に思い出せる。

 

 菫色の瞳が、おれを見上げた。

 

 

「……ちゃんと、守ってくださいますわよね?」

 

 

 彼女にとっての『勇気』。未知という恐怖へ、踏み出すための力。

 それが、友への信頼なのか、想い人への恋慕なのか。

 はたまた、別の何かなのかは、おれにはわかり得ない。

 もしかすると、それらすべてなのかもしれない。

 

 だが、彼女は知らないのだ。

 おれが、人と関わろうとしない本当の理由を。

 話したことも、気取らせたこともない。

 だから、彼女が知らないのは当然のことである。

 

 いつか、おれは、何も知らない彼女の手を払おうとするだろう。

 一人ではどうにもならないことがあって、彼女を遠ざけなければいけなくなってしまうのだろう。

 

 けれど、リリス・ヴィオレットは御剣勇緋から手を離すことはない。

 どれだけ逃げても、隠れても、拒絶しても。

 その細い腕と小さな手で、しがみついて離れない。

 それは、きっと、彼女の決意の力が、おれの拒絶の意志よりも強いから。

 おれは、想いの力においては、彼女に勝つことは不可能なのだ。

 

 しかし、そうとわかっていても、おれは未来を変えられない。

 いや、わかっているからこそ、変えられない。

 そこを曲げてしまえば、おれは『御剣勇緋(おれ)』でなくなってしまう。

 自己を歪めれば、存在が歪むのは当然のことだ。

 まして、他者より存在が曖昧なおれは、歪んでしまえば影響は計り知れない。

 だから、他者を遠ざけ、自身と他社の境界を明確にする。自分が歪まないように、狂わないようにする。

 人間として生きるには、ありえない行動をする。

 人の理から、外れようとする。

 

 それでも、きみはおれを知ろうとしてくれる。

 空っぽで、底なしで、どうしようもなく愚かな人でなしを。

 

 

「……ああ、約束する」

 

 

 けれど、少しだけ。

 ほんの少しだけなら、きみを知ってもいいのだと、そう思った。

 いつか、自分が壊れてしまうとわかっていても。

 たとえ、それが身を滅ぼす行為だとわかっていても。

 きみが許してくれるのなら、おれは、その手を握っていたい。

 ──きっと、それは『人間』への憧憬だった。

 

 暖かな電灯に照らされて、年も性別も違うおれたちは、穏やかな時間を過ごしていく。

 これから先の未来、その不安を忘れるように。

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