7 ペナルティだけが明快
マリアの思惑も理解出来ますが、そもそも港町以外からこっそり入国してはダメなのでしょうか?
さて。
安心させようと躍起になった結果、激しめの自爆になってしまった塩梅だが、ここからどう挽回したものか。
目があったアリスは、諦め顔で首を振るのみでフォローしてくれそうな気配はない。
視線を巡らせれば、先頭に立つ冒険者までもがガタガタと震えている有様だ。
……レベル27程度では、エマの動きを目で追うことさえも難しかっただろうし……私がエマの同類だと思ったら、まあそれなりに恐ろしくも映るか。
私の実像と言えば、お茶目で優しいお姉さん……いやお姉さんなのか?
最近ではもう、私の元の性別どころか自分が元々人間であった事さえ忘れがちである。
これも、元の名前や容姿を忘れ去った弊害だろうか。
「ええと、何を言った所で今更ですが……この空間で騒ぐ事をしなければ、私たちは何もしません。私たちはクアラスの港を目指しています。皆さんもあの船に乗っていたのであれば、目的地は同じかと思いますが、如何ですか?」
我が言葉ながら、取り繕い感が酷い。
だが、エマがちょっぴりお転婆さんな本性を晒してしまったのも、カーラがそれをけしかけたのも、助けた人間たちの中に不心得ものが混ざっていたからだ。
善良でおとなしい者たちばかりだったなら、エマが暴れる理由は無かった筈なのだ。
海中遊泳も満喫して、機嫌も良かったと思うし。
「す、すまない、俺達は何と言うか、全然状況の理解が出来ていないんだが……ここは何処なんだ? 俺達は船に乗っていた筈で、確かにクアラスを目指して居た。揺れが酷くなったと思ったら、強い衝撃を受けて……俺達は死んじまったのか? ここは天国か、それとも地獄なのか? アンタとアンタのあの女主人は、ヘカテーの眷属なのか?」
しかし、困惑顔も時には晒してみるものである。
私が仲間たちとあれこれ話しているのを見て、話が通じると思ったのか、冒険者風の装備の男が私に対して質問を投げ掛けてきた。
それは良いのだが、随分と混乱している様子だ。
私は夜と魔術の女神の眷属になった覚えは無いし、そもそも会ったことも無い。
というか、彼らが口にしたヘカテーと言う存在は、私が知るそれと同じ存在なのだろうか。
……聞き流しかけたが、女主人とはカーラのことか?
私は思ったことや疑問を一旦無視して身体ごと向き直って居住まいを正し、いつも以上の丁寧を心掛けて口を開く。
「少し刺激の強いお話かもしれませんが、貴方たちは知るべきです。あの客船は、嵐の中、クラーケンと思しき怪物の襲撃により沈みました」
まずは強めの事実、もう客船は存在しないのだと言う現実を告げる。
この前提を飛ばしてしまえば、私たちが彼ら彼女らを拉致してきたと勘違いされかねない。
と言うか、多分もう勘違いされていると思う。
ざわつく一団。
普通の乗客は嵐の中で不必要に出歩くような真似はしないだろうし、客室に居る状態であの惨劇に見舞われた筈だ。
なにかが有った事は理解出来ても、それが怪物の仕業なのだと言われてすぐに信じられる訳が無い。
だが、あの船に乗っていたのは、船室に籠もっていた乗客ばかりではない。
船の運行に関わる船乗りたちや客室乗務員、船のキッチンを預かる料理人、そういった職業として船に乗っていた人々もいる。
彼らは職責として、嵐だからと持ち場を離れる訳には行かなかっただろう。
「……あの姉ちゃんの言ってる事は本当だ。船はクラーケンの腕に絡め取られて、沈められた」
私の視線の先、集団の中のひとりが、屈強な身体を震わせ、青い顔で呟く。
短く刈り込んだ髪、浅黒く日焼けした肌。
ノースリーブの白いシャツから伸びる腕は太く、シャツ越しにも厚い胸板が判る。
見たままの屈強な海の男は、その瞬間まで、甲板に居たのだろう。
集まる視線の中、彼は静かに息を吐く。
彼の他にも2名ほどの船員らしき姿が見える。
他にも客室乗務員らしき女性や、料理人らしい女性の姿も有るが、甲板上に居た船員程、正確に状況を掴めては居ないだろう。
「私の出来る範囲内で捜索を行いましたが、救助出来たのは貴方たちだけでした。うち2名は回復が間に合わず死亡、もう2名については……私より、貴方たちの方が詳しい筈です」
巻き込まれた彼ら彼女らに同情の思いは有るが、不必要に親身になる心算は無い。
心の混乱はまだ収まっては居ないだろうが、私は構わず淡々と言葉を並べる。
「此処は私たちザガン人形の制作者、サイモン・ネイト・ザガンの設計により、彼の為に造られた魔法空間です。貴方たちの好奇心を抑え込めるとは思いませんが、なにか良からぬことをする前に、私たちがマスター・ザガンを敬愛しているということを思い出して下さい。……カーラ様には2階以上への通路の封鎖をお願いしますが、この1階でも、許可無く不必要に出歩かないようお願い致します。無闇に広いので、迷子になってしまってはこちらとしても探すのが困難になってしまいますので」
私を見て怯えて頷く人々の中でひとり、不服そうに表情を歪めた男の姿を認める。
見知った顔では無いし、冒険者や傭兵といった類の人間とは違う、波で洗われてよれたカッターシャツには緩んだネクタイが下がり、スラックスを穿いて革靴で立っている。
見た目は普通の旅行客の様だが、目付きが一般人のそれでは無い。
私の背後では、そんな集団のあれこれを観察をしているのかいないのか、何故かカーラの慌てたような気配が伝わってくるが、当然無視である。
「カーラ様のご命令を待つまでもなく、不心得者は見つけ次第排除致します。……私はともかく、エマは優しくは無いですよ?」
私が少し調子に乗ると、私の後ろでしゃきんと、刃物を合わせるような音が鳴った。
良いタイミングでエマがやってくれたようだ。
お客人にはとても良い警告になってくれたようだが、刃が悪くなるのであんまりやらない方が良いと思う。
私が気になった男――こういう言い方は誤解を招くか――も怯えたような表情を作っては居るが、その目の反抗の光は消えていない。
話しながら放っていた鑑定の結果を一瞥した私は、そういう事かとひとり、静かに納得する。
取り敢えず脅威ではないが、目を離してはいけない存在ではある。
「それでは、皆様をお部屋へご案内致します。お疲れでしょうから、ゆっくりとお休み下さい。……あ、料理人の方には後ほどご相談が有りますので、お目覚めになってから、もう一度お話しをさせて下さい」
要注意人物を頭の片隅に置きながら、私は一度頭を下げ、そして思いついて言葉を投げる。
この人数の食事の用意が面倒だと思った私が思い付きで声を掛けた料理人の女性が、びくりと身を竦ませるのを確認してから、私はもう一度全員に向けて頭を下げ、集団についてくるよう促して先に立ち、歩きだす。
『……カーラ「様」とはなんだ? マリアの奴、頭でも打ったのか?』
耳に飛び込んできたものすごい小声に、私は思わず吹き出しそうになってしまい、慌てて咳払いで誤魔化す。
『……どうやら女主人と勘違いされているようですし、面白いのでそれで行こうと思っただけです』
私も同レベルの小声を返すと、困惑するカーラの嘆きと、それをからかうアリスの笑い声が、やはり小声で返ってくる。
よくよく、器用な仲間たちである。
エマまでが面白がって「カーラ様」を連呼している。
私はそんな仲間たちを一旦放置し、客人たちを私たちが普段いるのとは別のブロックに続く通路を歩き、それぞれに個室を充てがっていく。
まずは休息して貰い、その間にも客人の食事の手配、ロビーに放置している死体の保存等、やることは色々とある。
先程の男の動向にも気を配らねばならない。
いつしか普通の音声で会話することにしたらしい仲間たちが、玄関ホールできゃいきゃいはしゃいでいる声が遠くで微かに聞こえる。
私ひとりに客人の案内をさせて談笑に興じる呑気さに溜息が溢れるが、あれで私より旅慣れていたり、魔法が得意だったり、無駄に勘が鋭かったりする。
それぞれと今後のことを話し方針を定めるべきだと思った私は、騒がしい仲間たちの元へと向かうことにした。
取り敢えず、第一声は「戻りました、カーラ様」で行こう、そう決めた私の顔は、きっと爽やかな笑顔の筈だった。
随分と気の弱そうな女主人ですが、皆はちゃんと言うことを聞くのでしょうか?