3 嵐の海へ
エマが、海に、ですか。まあ、どうにかなるんじゃないですかね?
大嵐に呑まれた客船の甲板に上がったら、仲間が海に投げ出された。
怪物じみた大波に洗われた私たちは、襲いくる水流と水圧に耐えて周囲を見回すが、当たり前のように仲間の影がひとつ足りない。
「エマ……貴女の事は忘れません」
胸の前で手でも組んで祈ってやりたい所だが、いまだ船は大きく揺れている。
うっかり柵から手を離してしまえば、私もエマの二の舞いとなってしまうだろう。
「おい!」
「そうじゃないだろ! どうすんだ!」
私の真摯な祈りに、仲間の無粋な声が非難を伝えてくる。
何が不満だと言うのやら、私には皆目見当がつかないのだった。
「……慌てる気持ちは理解りますが、ではどうするのですか? まさかこの荒れた海に考え無しに飛び込むとか、言い出しませんよね?」
私は割りと本気めの怒り顔の仲間に胸倉を掴まれて、釣り上げられている格好になっている。
揺れる船上で、これだけでも充分に自殺行為な訳だが、私が少し意外に思っているのはそんな事ではない。
それは私を持ち上げ、すぐにでもエマの救助をと意気を上げているのが、カーラだと言う事に対してだ。
気が付けば乗り物代わりにされたり、せっかく作った人形を破壊されたりと、むしろエマに対して恨みを持っていても良さそうなものなのだが。
「他に方法が有るか! すぐに追わねば、何処に流されるか……!」
尊大なくせに気弱ですぐに自分の意見を引っ込めるカーラが、珍しく強硬に主張する。
その後ろには、柵に掴まりながら私たちの動向を見守るアリスの顔が見えた。
「気持ちは理解るから、落ち着けよ。逆に、マリア、アンタは何でそんなに落ち着いていられるんだ?」
そのアリスの顔は、カーラほど慌てても居ないが、私の様に茶化す余裕など少しもない、そんな様子で歯噛みしている。
そして、釣り上げられている私はと言えば、肩を落として嘆息する他無い。
何を言い出すかと思えば。
私は動きを止めたまま、僅かな時間、黙考してしまう。
……どう答えたほうが、面白いだろうか。
「あれしきで本当に破壊されてしまうようなら、ザガン人形とは言えないのですよ」
結果大して面白くもないことを口にしてしまった訳だが、そもそも、アリスもカーラも、あれの実力もヤバさもタフネスも知っている筈だ。
大人しく数百メートルレベルで沈んでしまえば、もしかしたら圧壊も有るかも知れないが、そもそもエマが泳げない、と言うこともないだろう。
……泳いでいるところなど、見た事もないが。
「浮かび上がることが出来なかったらどうする! 私は特にそうだが、お前たちだってヒトに似てはいるが、構成素材がヒトのそれとは違うだろう! 特に内部骨格! 浮上出来るのか!? 試したことは!?」
カーラは納得とは遠い所に居る表情で、私を釣り上げたまま詰問する。
私はもう一度溜息を零すと、漸くカーラの右手に手を掛けた。
「魔力操作を使えば、海中を泳ぐくらいなら訳は無いでしょう。空を飛ぶよりも遥かに簡単な筈ですよ?」
私の回答に、だが、カーラはやはり納得はし難いらしい。
「それをエマがきちんと出来るのか!? 海を見たときのはしゃぎようから、泳いだことが有るかも疑問だ! 更に言えば、急に嵐の海に投げ出されてパニックに陥っていないと、どうして言える! 仮に海中で動けるとして、周囲の状況判断が出来ずに海底方向に向かっている可能性も有るだろう!」
言い募るカーラの焦燥に、私はどうしても同調出来ない。
エマがパニック?
自分が破壊される寸前でさえ、単に悔しそうにしていたような、そんな戦闘狂が?
状況が違うと言われれば確かにそうだが、それでもやはり、エマのパニック姿と言うものは想像がつかない。
私は、少しだけカーラの腕を掴む手に力を籠めた。
「まあ、あれこれ言っても話は進みませんし、他に手が無いのも確かです。しかし、追うなら追うで準備も必要です。お2体は『霊廟』にお戻り下さい」
アリスの目に私が慌てていないように見えるのは、事実慌ててなどいないからだ。
そしてそれが何故かと言えば、やろうと思えば、私はいつでもエマを追うことが出来るからに他ならない。
言わないし言っていない私が悪いとは思うが、そもそも私にエマを救出する手段の有無を問わない2体も悪いと思う。
もっと言うなら……何故、この2体は、手近な存在なら最も簡単に安否確認出来る方法を、使用しないのか。
「……お前ひとりでどうにか出来るのか? この広い海の中で? そもそも、どうやって見つけるんだ」
アリスの声が、不安の中に猜疑を織り交ぜて私の耳に届く。
私が単身で海に飛び込む、までは想像出来ている様子だが、その先私がどうするのかまでは、想像が及んでいないらしい。
「何のための探知ですか。もう既に、ある程度の確認は出来ています。この船からおよそ50メートルの海中で、付かず離れずで居ますね。……あれなら放って置いても問題は無さそうですが」
まず、私がエマの動向をある程度把握している事実を伝えると、唐突に気の抜けた用な顔になったカーラの腕から力も抜ける。
結果甲板に帰還を果たした私だが、特に湧いてくる感慨もない。
カーラもアリスも、どうやら探知魔法の存在すら頭から消し飛んでいたようだ。
元冒険者のアリスと、私より魔法に知悉している筈のカーラが揃って、なんという有様か。
「海水に濡れるのはイヤですが、まあ、今更ですね。私は障壁を船状に成形して海中を航行、エマを回収してきます。私一人で出来ますから、お2体は……」
「私も行くぞ!」
小さな個人的感情を吐き出してから、行動予定を告げる私の台詞を、カーラの熱い叫びが遮る。
コイツは人の話を聞きたくないのか?
「……正直、人数が居ても特に良いことは無いのですが?」
障壁を硬化に全振りした上で船……潜水艇っぽい形に仕上げるのが私なら、それを操作しエマを回収するのも私だ。
探知の反応を見る限りエマは意識を失っている様子もなく、むしろ船についてくるのに飽きて、好き勝手に泳ぎ始めた場合の方が厄介な有様である。
面倒事を避けるなら、人目が私たちに向く余裕のないうちに、迅速に行うのが理想だろう。
……迅速にと言うなら、問答を重ねるほうが時間の無駄か。
「……まあ良いでしょう。では、アリスも私にもっと寄って下さい。通常障壁展開後、海に飛び込んでから船体を成形します」
残る残らないの遣り取りで時間を浪費する愚を避け、私は小さく息を吐いて提案する。
そして、ついでに良いことも思い付いた。
「距離も近いですし、探知と操舵は私が行います。カーラは動力用に魔力を供給して下さい。発見後はエマの直上で床面を開きます、アリスはエマの引き揚げを」
私の言葉に、真剣な表情で頷く二人。
……それほど難しい作業ではないと思うのだが、もしかして本当に、私の緊張感が薄すぎるのだろうか?
最終的に自身への猜疑が深まった私だが、行動に迷いは出ない。
2体が充分な距離に居ることを確認して、まずは通常の障壁を展開する。
私を含め3体を障壁が覆い尽くしたことを認識すると、私は障壁ごと飛んだ。
荒れ狂う海、迫る壁のような荒波に向かって飛び出すなど、生前含めて初めての経験だ。
緊張はなくとも、僅かでも恐怖がないと言えば嘘になる。
しかし私は、荒波に揉まれながら、押し戻された私の障壁が客船に被害を齎さなければ良いなあ、等と、割りとどうでも良い事に気を取られ、感じた恐怖はすぐに霧散していたのだった。
もう少し人間らしさを持てと1体に言うべきか、もっと冷静になるべきと2体を諭すべきか。悩みますね。