2 大嵐、所により人形
エマのストレス発散には成功したようですが、マリアは無事なのでしょうか?
船の旅も3週間が過ぎた。
なんとか無事に過ごすことが出来た。
船は、と言う話だが。
「うぅ……折角……ぐすっ、折角直しても、すぐに壊される……私の……ッ」
泣きながら操り人形の残骸を集めるカーラは、自身も中々にズタボロである。
エマは操り人形には実に容赦無いが、操者であるカーラに対してはきちんと手加減している様子だ。
私やアリスも五体無事で床に転がっている時点で、同じ様に手加減されているという事だろう。
手加減されているからと言って、すぐに動ける訳では無いという事実に関しては、エマの容赦無さの現れでもあるだろう。
……そう考えると、似たような状況のはずのカーラが、泣きながらとは言え人形の残骸を掻き集めているのは結構凄いことなのではないだろうか。
あと、私は、あのエマとかいう巫山戯た化物に、本当に勝利したことが有るのか。
甚だ疑問である。
「みんなありがとうねぇ! 今日も楽しかったよぉ!」
床に転がる私とアリス、泣きじゃくるカーラに、エマは物凄くイイ笑顔を向けて来る。
どこで覚えたんだ、お前はどこぞのアイドルか何かか。
「そりゃ良かった」
答えるアリスは身を起こす事も無く……いや、起こす事も出来ず、なんとか言葉だけを返す。
「エマ、またカーラの人形が壊れてしまったので、修理が終わるまでは我慢出来ますね?」
かく言う私もまた、機能不全で起き上がることも出来ないままでエマに声をかける。
「うん、ホントは毎日でも遊びたいけど、我慢するよぉ! みんなで遊んだほうが、楽しいもんねぇ?」
嬉しそうなエマの言葉に、ゾッとすれば良いのかうんざりすれば良いのか、私の対応策は定まらない。
そもそも、楽しく一緒に遊ぶお友達の人形を、壊してはいけません。
そう思う私だが、言葉にするのは酷く億劫だ。
それに、壊さずに遊ぶ事を覚えてしまえば、待っているのは毎日のエマの遊び相手役だろう。
インターバルが有るからこそ保っているような有様なのに、それが無くなってしまえば、一体どうなってしまうのか。
魔力炉が心労で破壊されるのではないかと心配になってしまう。
「それじゃ、私は工房で衣装作って来るねぇ!」
元気いっぱいのエマは、アホ程暴れた直後だと言うのに、走って修練室を出て行ってしまった。
私の2つめの切り札、港町で買い込んだ異国情緒溢れる織物、生地類の山。
それを目にしたエマは大層喜び、以来、こうして暇さえ有れば服飾工房へと足を向けている。
そっちに夢中になっていて欲しいのだが、私たち相手にほぼ全力で暴れられる楽しさを手放す気にはならないらしい。
厄介な服飾系爆弾娘である。
「……マリア、あのな? 思ったんだけどさ?」
「言わなくて結構です」
床の上で動けない私に、同じ様に転がっているアリスが声を掛けてくる。
「……お前がもっと早く生地のこと話してたら、私らがこんな目に遭わずに済んだんじゃないか?」
「貴女が下らない事に私を巻き込まなければ、そうしていたでしょうね」
「……」
言わなくとも良いと言っているのに、無視して口を開いたアリスだが、私の答えには反論も出来ずに押し黙った。
エマの面倒を見切れなくなった私に苛立ったアリスが私をダシにし、それに腹を立てた私がエマに余計な「娯楽」を教えてしまった。
争いというものは、本当に何も生まないのだと、しみじみと思い知らされる。
「ううぅ……どうしてこんな……酷いじゃないか……」
カーラの泣き声がそろそろ鬱陶しいが、まあ、気持ちが理解らない事も無い。
せっかく修復、場合によっては新造しても、すぐに破壊される。
その悲しみ、徒労感は如何ほどか。
「……破壊されることを前提とした、訓練用の人形を作るのはどうですか?」
多少気の毒に思った私だったが、かろうじて顔を向けた私に対して、カーラはキッと睨みつけてくる。
「壊される前提だと!? そんな不誠実な気持ちで、人形を造るなど出来るか!」
……面倒臭いヤツである。
取り敢えずカーラは、私が元いた世界のダミー人形とそれを作っているメーカーに謝って欲しい。
私を怒鳴りつけつつあらかた人形を掻き集めたカーラはそこで力尽き、床に力なく崩れ落ちた。
案外大丈夫そうだと思っていたが、思いの外無理をしていたらしい。
職人気質と言うか、妙な所で意外な根性を発揮したカーラだが、その気質は人形制作の方にも遺憾なく発揮されている。
破壊された人形の修復を重ねるうちに小さな改良を施し、その人形のレベルは地味に上がってきている。
私やアリスと同じく、カーラ自身もエマにしごかれてじわじわとレベルを上げている。
エマの気分次第だが、もしかしたら、船を降りた時にはカーラが一番成長しているのではないだろうか。
私は妄想の沼から意識を戻したが、身体の自由はまだしばらく利きそうにない。
使い過ぎた魔力が安定すれば取り敢えず動けるようにはなるだろうから、それまでは大人しくしているしか無いだろう。
睡眠を取ることを選んだのかすっかり無言になってしまったアリスと、魔力炉への無理が掛かりすぎたのか意識を失ったカーラ。
そんな2体の安否を確認する余裕も心算も無い私は、することもなくただぼんやりと天井を見上げるのだった。
船の快適性は設計に依るところも大きいだろうが、何よりも天候に左右される。
時々満身創痍になる私たちを乗せて魔族の大陸まであと1週間、という所にまで進んだ船は、この航路では初めてと言えるような大嵐に見舞われていた。
今までそれなり嵐と言えそうな天候の中でも動じることのなかった船員たちの目が、いつになく真剣で緊張している。
そんな有様の中、わざわざ甲板に上がるような者は、命知らずか私たちのような生命を持たないモノか、職務を帯びた船員か――或いは、ただの馬鹿くらいのものだろう。
自分で言って何だが、呑気に甲板で、船員の邪魔にならないように気を付けている風に舷側に打ち付けられる高波と船員たちの鬼気迫る怒号とを見て聞いている私たちは、恐らく2番目と4番目を兼ね備えているのだろう。
ただでさえ激しい風は時折勢いを増して船体の各所に寸断されて鋭い咆哮となり、歓声を上げて海を見るエマの声をも覆い隠す。
船員の邪魔にならないようにしていると言うことは、私たちは船員の目の届かない、或いは届き難い位置に居るという理由で。
大きく畝る甲板の片隅で、大自然の猛威というものに私は、畏敬の念を禁じられずに居た。
――どうせなら、異世界らしくクラーケンとかサーペントとか、そういった魔物が出てきても面白いのに。
激しく上下する甲板上で、手近な手摺に捕まりながら真摯な眼差しを壁のような高波に向ける私の耳は、不意に不穏な物音を捉えた。
「あっ」
そちらに顔を向けようとした私の視界を横切って、小柄な、見慣れたような気がしなくもない、そんな人影に似た何かが、海の方へと投げ出される。
追うように視線を向けた私が見たのは、迫る高波に呑まれて消えた、エマの姿だった。
「……はあ!?」
驚くべきか呆れるべきか、一瞬の判断に迷った私の叫びは、襲いかかる水飛沫、と言うには些か重すぎる圧力に押し流されるのだった。
無邪気な暴虐、ここに没す。エマ、本質的には良い子でした。多分。