28 頼れる変態
マリア、すぐに逃げなさい!
目付きが悪い新聞記者、実は正体を隠した密偵……と言うか工作兵だが、どんな密命を帯びてやってきたのか興味も無い。
人当たりの良い笑顔を作っている心算だろうが、目付きが悪いのでどこか剣呑な雰囲気が漂ってしまう。
だが、私が彼を避けたいと思うのは、その目付きの悪さではない。
よりにもよってこの私(の貞操)を狙う上に、妄想を口から垂れ流しながら■■■■してしまう類の変態さんだからだ。
……想像や詮索の類は推奨しない。
実際に彼とコトを成すとなれば、どんな目に遭わされるか……。
想像するだけで疑似皮膚に鳥肌が浮く。
「霊廟」の監視機能は凄いと思うが、今後は個人のプライバシーは守ろうと思う。
主に、私の精神安定のために。
「それは……良い話では有りませんね」
変態さんことヒューゴは、事の次第を知ると無愛想な目付きが更に険しくなる。
もう一歩踏み出せば、そろそろ新聞記者とかいう言い訳は通じなくなりそうだ。
「ええ。とても憤りを感じます。しかし、私などが談判に赴いても状況は変わらないでしょうし、変わった所で、元のように働けるかと言えば……」
私は何故か私の背後に回り、ヒューゴとの直接の接触を避ける仲間たちに苛立ちを感じつつ、口を開く。
「ダメだよぉ! エリスちゃんもニナちゃんも、私たちと一緒に行くんだからぁ! もう返さないモン!」
エマは未だエリスとニナ、2人に張り付いて頬を膨らませている。
気持ちは理解るが、2人の返事は聞いていないだろう。
そんなエマと、彼女に保護? されている2名に顔と視線を向けたヒューゴの口元が、緩く綻ぶ。
……まさか、あの3名も射程に収めた訳では有るまいな?
「成る程、成る程。……しかしこの先がどうあれ、私のマリアさんの心を痛めた事実は変わりませんからね」
誰にも聞かれないと思った所では、割と口から言葉として本心を出してしまう性質なのだろうか?
工作兵としてどうなんだと思うし、それに、小声だから誰にも聞こえていないと思い込んでいるようだが、完全に聞こえている。
私も深く関わりたくは無いし、当然聞かなかったことにするのだが。
私のマリアとか、鳥肌が過ぎて皮膚が剥がれるから止めて欲しい。
頼もしい()仲間たちにも聞こえている筈だが、当たり前のように無視している。
アリスとカーラの口元がヒクついているのは、笑いを堪えているのか、怖気を感じているのか。
「……失礼、マリアさん。本当でしたら観光に御一緒して、昼食でも共にしたい所ですが……。この後、とある客船を運営している会社に取材が有りまして。また機会があれば、お誘いしても?」
隠密活動中の工作兵が、殺戮人形に剣呑な眼差しを向ける。
それは私に対する挑発行為などでは無い。
自分の正体が知られているとは思っていないのだろうが、ただ牽制として、その本質的な部分が垣間見えてしまっただけなのだろう。
当然、私がそんなモノで揺らぐことはない。
だが、この男は私たちがただの人間の料理人2名を保護している事実を知り、この状態では派手に動けないだろうと見抜いた。
その上で、自分が動くのだと、意思表示してきたのだ。
実際私は後先を考えない行動と、お尋ね者生活は面倒だという考えの間で煩悶としても居た。
2人程度なら護るのも容易いし、「霊廟」に保護してしまえばそもそも護る必要も無くなる。
だが、それをしてしまえば、この先真っ当な旅路を歩むことは難しくなるだろう。
何をした所で、何処かでボロはでるのだから。
「……それは大変な取材になりそうですね? 私どもと観光できる余裕が、果たして生まれるでしょうか?」
多分、私は初めて、真っ直ぐにヒューゴを見たのだと思う。
彼は理解り易く頬を上気させ、その笑顔は輝かんばかりだ。
目付きが悪いのに。
「確かに大変な仕事ですが、なんとしても、時間は作りますよ! ええ、お任せ下さい!」
今にも飛び上がらんばかりの勢いで、ヒューゴは上機嫌だ。
何をする心算かは知らないし聞きたくないが、さぞ頑張ってくれることだろう。
「それでは、私は仕事が有りますので! マリアさん、他の皆さんも、どうかご健康で!」
そしてその上機嫌な足取りで踵を返すと、ヒューゴは行ってしまった。
露骨に私以外を「その他」扱いして雑踏に消えていく嵐のような男に、私はどんな感想を持てば良いのだろうか。
素直な気持ちで言えば、気持ち悪いしなんだか疲れた。
「……ホントに何なんだ、アイツは……。そんな事より良いのか? お前」
さり気なく私を盾にしていたアリスが、私の隣に立って溜息を吐く。
なんで後ろで聞いていただけのお前が、疲れたような顔をしているのか。
「何がですか? その他Aのアリスさん?」
ジト目を作って何か言ってやろうにも、疲労した頭ではこの程度しか思い付かない。
「……アレの世界の中心に立ちたくないから、なにひとつ文句は無いんだけどな。そんな事よりさ……」
対するアリスは余裕が有ったらしく、らしくもない言い回しを披露してくる。
何だか色々と負けた気分だが、噛みつく元気も湧いてこない。
もう、アレから解放されただけで万々歳だ。
私はうんざり顔で、視線をヒューゴが消えた雑踏へと向け直す。
だと言うのに、アリスは不穏な言葉を投げ付けてきた。
「さっきのやり取り、あれ……まるでデートの申込みを受け入れたみたいだったけど?」
恐らく目を見開いているだろう私はそのままアリスに顔を向けるのだが、咄嗟には。
「……はあぁ!?」
言葉らしい言葉は出てこないのだった。
落ち着いてヒューゴとのやり取りを思い出して落ち込む私だが、仲間たちは気にした様子も無い。
私は今日、どんなルートを歩いて何を見たのか、下手をすれば夕食は何だったのかも思い出せない有様だと言うのに。
こうなればもう、さっさとこの街を出るか。
宿に戻り客室ルートで「霊廟」に戻った私は、そんな事しか考えられない。
しかし、実際にはそう簡単には事は運ばなそうだ。
エリスとニナ。
2人はエマの、私たちの提案を受けて驚きはしたものの、拒絶はしなかった。
しなかったが、しかし「少し考えたい」と、今日は自分たちの下宿へと帰ってしまった。
気の良い老夫婦の営業する雑貨屋の2階、追い出された会社とは関係の無い宿だが、荷物もあるし、何よりこの先のことを自分たちなりに考えてみたいのだ、と。
まあ、それはそうだろう。
いきなりアテも無い旅に出ようと言われても、イエスにしろノーにしろ、即答は難しかろう。
エマは不服の様子だが、それはいくら何でもワガママである。
とは言え、ヒューゴが張り切っているのだろうし、出来るだけ返答は早めに頂きたい。
自室のベッドでヤキモキするのに疲れた私は、諦めて睡眠状態へと移行するのだった。
マリア、お願いですからすぐに街を出て下さい……。