18 小さな騒ぎ、喜びも悲しみも
マリアは人命救助ごっこを楽しめたのでしょうか?
もはや見慣れた白いだけのドア、そこに当たり前に添えられているドアノブに手を掛ける。
固唾を飲んで……と言う程ではないが、それなりに緊張した様子でカーツくんが率いる港湾維持局の局員オーガのみなさんと、その上司であろうテイラー氏が、私の動向を見守っている。
これで私が中に入ってしまえば扉が消えてしまうのだが、そうなったら彼らはどうするのだろうか?
まあ、実際にやった所で扉が消えるだけで、出るためには結局同じ場所に出現してしまう。
意味のない悪戯をしても仕方がない。
私は少しだけ勿体付けてから、ドアノブを押し下げる。
「やっと開いたぁ! マリアちゃん遅いぃ! すっごく退屈だったんだからねっ!」
瞬間、こちらに向かって押し開けられるドアと転がり出る危険な小動物。
咄嗟に反応出来ない私と何がなんだか理解っていない私以外の室内の面々は、怪しいドアの向こうから飛び出して来た小娘に視線を集中させている。
「ねえもう退屈が退屈だよぅ! もう遊びに行っても良いよねっ!?」
「駄目です、駄目に決まっています。こんなに我慢出来たのですから、もう少しだけ我慢して下さい」
大人しくしていろと言ったのだが、やはり言葉だけで従わせるには無理があったか。
こんな人口の多い街で好き勝手に遊ばせたら、色々と何がどうなるか、知れたものではない。
「す、すまん、私ではエマを抑えるのは無理だった。誰も怪我をしてはいないな?」
キラキラと煌く笑顔で私を見上げるエマに呆気にとられていると、扉の向こうからもう1体、喪服めいた黒服に身を包んだ高身長人形が、恐る恐る、と言った体でその姿を現す。
……心持ち、ドアに隠れるような有様で。
「……まあ、仕方が無いでしょう。他のお客様方には、怪我などは有りませんか?」
短い思考の結果、私の口から漏れた疑問は無難な響きに纏まっていた。
そもそもエマを完全に押さえ込むことなど、私であっても不可能だ。
むしろ、扉の向こうで暴発していないか、今更ながらそっちのほうが心配だったりもする。
その場合、怪我などで済んでいる筈は無いのだが、港湾局員の方々の前で「死体は増えましたか?」等と聞ける訳が無い。
「ああ、そっちは問題無い。誰も怪我など無いし、具合の悪そうな者も居ないな」
私の顔色を伺っていたカーラは、どうやら怒ってはいないようだと知ると、ほっとしたような顔を向けると、改めてこちら側へ足を踏み出しながら、空間に切り取られたドアの内側へと身体を向け直す。
特にそこから何か声を掛ける様子は見られないが、中でアリスが何か合図でもしたのだろう。
鷹揚に頷いて見せてから身を翻らせ、ドアの前からその無駄な高身長の身体を退かせた。
「む? 今ひとつ状況は理解出来無いが、こちらの方々が、お客人を引き取って下さるのかな?」
室内を見渡しながら言葉を発したカーラは一瞬黙ると、ちらりと私へと視線を向けてきた。
『マリア、お前はきちんと名乗ったのか?』
続けて発せられたのは、声とも呼べないごくごく小音の、唇さえほとんど動かない……私たちが良くやるアレだ。
『はい。きちんと名乗りましたとも』
カーラに合わせて答えると、何故か呆れたような半笑いを浮かべてから、カーラは意味もなく胸を反らせた。
無駄に尊大な声が、室内に朗々と響く。
「私はカーラ。ドクター・フリードマンの最後の作品だ。お客人の安全管理を行っていた。それではお客人をお呼びするので、必要な確認作業等をお願いしたい」
無駄に偉そうなのはお互い様なのだが、双子魔女と不死姫さま監修、エマお手製の黒いジャケットにスカートを隙無く着込んでいるカーラは、その高身長も相まって、なるほど初見の者が「女主人」と勘違いしてしまうのも仕方が無い雰囲気を纏っている……かも知れない。
実際はポンコツ気味の、ただの仲間その3なのだが。
特に打ち合わせた訳でも無いのだろうが、カーラのセリフの終わりを待っていたように、保護したお客様が次々と扉から出てくる。
「……ッ! 保護された方達に椅子と、必要なら寝台の用意を! 救護室に応援の要請! 入国管理室にも人員の手配を! それと――!」
私の好い加減な説明とは言え、半分疑っていたとは言え、その説明通りに人間達がぞろぞろと扉から出てしまっては受け入れのための作業を行わなければならない。
僅かばかり呆けて居たテイラー氏が気を取り直し、部下たちに次々と指示を飛ばしている。
それを受けて、カーツくんが人員を見繕い、それぞれの作業へと走らせていた。
なるほど仕事は出来るのだなあ、などと呑気に構える私だったのだが、ふと視線を感じてそちらへと顔を向ける。
『おうい、マリア。生きてるお客さんは全員自分の足で出てったけど、そうじゃないのはどうすんだ? 私とお前で、手分けして運ぶのか?』
そこには、ドアからひょっこりと顔を出したアリスが、どうでも良い事のように尋ねてきた。
確かに14名、それぞれに不安そうだったり安心した様子だったりとそれぞれの様子では有るが、皆それぞれの足でしっかりと立っている。
問題はアリスの言う「そうじゃない」お客様だ。
残念ながら4名は自立歩行が不可能で、そのうち2名は頭部が斬り落とされている。
もう痛みを感じる状態でもないのだし、引き摺ってくれば良いのでは、そう考えた所で、アリスの目が半眼になった。
コイツは、私の心を読めるようになったのだろうか。
『おい。まさかと思うけど、そんなこと絶対無いだろうと信じて、その上で敢えて言うけど。死体を引き摺り出すとか、絶対駄目だからな?』
アリスのこのセリフも、いつもの例のアレである。
それにしても、私も含めて、小声とは言え唇もほとんど動かさずに、よくもまあ喋れるものである。
『当然そのようなことはおくびにも考えて居ませんとも、ええ。所で、ソレが良くない理由を、念のためお伺いしても?』
こちらも合わせて答えれば、アリスは半眼のままで呆れたように溜息を吐く。
『馬鹿かお前は。死体を引き摺ってくるとか、尊厳をなんだと思ってんだ。どうもちゃんと名乗ったみたいだし、ただでさえ警戒されてるだろうに、その上印象まで悪くしてどうすんだよ』
その上、呆れきった口調で吐き出されるのは純粋な罵声だ。
すぐにでも噛み付いてやりたい所だが、俄に慌ただしくなった室内でのんびりと口論に興じている訳にも行くまい。
私は考えるまでもなく、気付けばある程度の指示を終えて部下とともに客人に椅子を勧めているカーツくんの、その近くに歩み寄る。
「おう? なんだ姉ちゃん、まだなんか有るのか?」
すぐに私に気付いたカーツくんが獰猛かつ人懐こそうと言う、口で説明しても通じ無さそうな笑顔を向けてくる。
これから個々人に色々と聞き取りとか入国の手続きとか、種々様々な雑事が待っているのだろうが、ひとまず生存者を無事に収容出来たことについては安堵しているらしい。
そんな人間に――オーガも、この世界では「人類種」の一部なのだから、大筋で間違った呼び方ではない筈だ――、その笑顔に影を差すような真似は好ましくないとは重々承知なのだが、伝えねばならない。
私は僅かな逡巡を振り払い、すう、と、小さく息を吸った。
「申し訳御座いません。収容した遺体の運び出しの為に、どなたかのお手をお借りしたいのです。お願い出来ますでしょうか?」
私が言い終わると、カーツくんの顔から笑みが消え、瞳が僅かに翳る。
私の話を聞いていた、その筈なのに、目の前の生存者の姿に安堵してしまったばかりに。
そもそも客船の乗組員、乗客併せて大多数が帰らぬ者となってしまったと聞かされていたのに、そのほんの一部、僅か4名について考えただけで、その瞳の奥には悲痛な色が薄っすらと滲んだ。
見た目の印象に違わず、根が真面目で責任感も強いのだろう。
そんな彼だからこそ、思い出してしまえば――目を逸していた事実に気付いてしまえば、浮ついてみせるのもすぐには無理なのだろう。
「うっし、分かった。そっちの経緯も聞かなきゃなんねえし、そもそもどこぞに置きっぱなしって訳にもいかんしな。――おい、キーラ! それとレニとカウフマン! 俺と来い、もうひと仕事だ!」
だが、私に答える頃には、もう元気を取り戻して見せた。
空元気も元気のうち、か。
彼とその部下を従え、「霊廟」の入り口で待つアリスの方へと振り返る。
アリスはまだ、どこか呆れた様子の顔を私に向けているのだった。
折角薄らいできたと言うのに、根強いものですね。人間らしさとか言うモノは。