12 料理人と眠れる客たち
今回ばかりは、マリアには、貞操の死守を厳命したい所です。
気分が落ち着くまで潜水艇を走らせ、「海中ドリフト!」とか遊んでから「霊廟」に戻ってみれば、仲間たちは未だ呑気に寝ていた。
昼前だというのに、気楽なものである。
他の客人たちの様子見を兼ねて監視システムとそのログを確認したが、ヒューゴが3時間程前に玄関ホールや客室群の中をウロチョロ歩き回っていた様子が目立つ程度で、他は大人しいものである。
あの程度の脅しで大多数が言うことを聞いてくれた事には驚くが、案の定、一応工作兵であるヒューゴは危険を承知で探索を行った、と言うことだろう。
玄関ホールでは2階フロアへの入り口で何やらやっていた様子だが、カーラの封印を解くことまでは出来なかったらしい。
と言うか、どうも軽く調べてみた程度で解除を試みた形跡もなく、その先を知ろうという意志は見受けられなかった。
その後はもっぱら客室エリアを、それも無人のエリアをアテも無さそうにウロウロしている様子で、正直何をしたいのかさっぱり理解らない。
音声ログは気持ち悪い思いしかしなさそうなので、少なくとも彼が客室にいる間のものは聞かないし、映像ログも彼の客室内の様子は絶対に見ない。
ともあれ、昼前の時間だと言うのに、まともに活動している様子の人間は現在2名しか居ない。
まあ、昨日は激動にも程がある1日だった訳だし、疲れも溜まっているだろう。
そう考えると、勤勉に働いている様子の2名――エリスとニナ――はとても職務に忠実なのだろう。
昨日案内したばかりの厨房で、恐らく昼食の準備を行っているらしい。
仲間を叩き起こして今後の航路について相談したくもあるが、その前に、と、私は好奇心のままに厨房へと足を向けるのだった。
厨房は、と言うか、厨房で働くエリスとニナは輝いていた。
二人とも、純粋に料理が好きだ、というオーラを全身に纏い、どこか楽しそうにしつつも、その足運び、手捌きには無駄が無い。
エリスはもしかしたら、そこそこの地位に就いていたのではないだろうか。
そう思って聞いてみると。
「いいえ? 私は大勢居た料理人のひとりですよ? むしろ女だからって、邪険にされてましたし」
どこか寂しそうに笑う彼女は、料理の手を止めずにそう答えた。
女だからと邪険にする理由が今ひとつ理解らないが、どうせ妬みとかも混じっていたのだろう。
昨晩の料理を知ってしまえば、そう考えてしまう。
「所で、皆さん未だ寝ているようですが……お昼、食べに来るのでしょうか」
深掘りして気不味くなるのも面倒なので、私は露骨に話題を変える。
そんな私の言葉に、エリスはハッとしてその手を止めた。
「あ、あの、御免なさい、私、料理できるのが嬉しくて、つい……食材、無駄にしちゃったらどうしよう……」
落ち込むエリスに感化されたニナが、オロオロと落ち着きのない様子で私とエリスを眺めている。
「いいえ、決して無駄にはしませんし、なりませんよ。余ったなら備蓄庫に収納してしまえば、保存も効きます。気にせずどんどん調理して頂いても大丈夫ですよ」
私はエリスの不安を解くような台詞を並べ、にっこりと微笑む。
むしろ、後で頂く分としてもっと大量に色々と作って貰っても構わない気分だ。
なんなら、お客様の昼など抜きにして、全てそのまま保管してしまうのも悪くないとさえ思っている。
私の食欲満載な思考など読める筈も無いエリスは、そう簡単には気分を持ち直すのは難しいらしい。
だが、少なくとも私が怒っていないと知ってホッとした様子を見せ、そしてまた手を動かし始める。
この2人、私達の旅に同行してくれないだろうか……いや、無理だろうな。
この腕だし、船は沈んでしまったし大損害だろうが、貴重な人材は残ってくれたのだから、さぞ大事にされるだろう。
それを捨てて宛のない旅に着いて来い、とは、エマでも有るまいし言い出せる訳もない。
「貴女たちの料理は、エマもお気に入りですからね。食材の許す限り、幾らでも作って頂いて構いませんよ」
素直な気持ちを覆い隠し、私は別方面の素直な称賛を口にした。
世辞か冗談とでも思ったのか、エリスは恥ずかしげに、ニナは何処か誇らしげな笑顔を浮かべる。
全くの本心からの言葉だし、実際に彼女達には手の空いている時間にでも私達のための保存食を作って貰おうと考えているのだが、まあ、それも追々で良いだろう。
厨房を2人に任せ、私は誰も居ない談話室へと足を向ける。
素晴らしい料理が出来上がると判っているのに、今から眠ってそれをフイにしてしまうような事など、有ってはならないのだから。
航路と言っても、海流も知らない私では地図を頭に叩き込み、目的地に真っ直ぐに向かうしか方法は無い。
午前中走らせて判ったのだが、海流というものは中々に馬鹿に出来ない。
出来ないが、それを読むことも出来なければ経験に基づく勘というものも持ち合わせて居ないのだ。
せめて船乗りの協力を、と、思わなくもないが……彼らとて、海中を航行した経験など無いであろう。
彼らを乗せて海上を行くのも有りだろうが、魔力にモノを言わせて海中を突っ切るのと、果たしてどちらが早いのか。
談話室で世界地図などを眺めながらそんな事を考え、自分で淹れた茶を自分で味わっている。
茶葉がどうのと蘊蓄を並べるほどの茶道楽ではないが、あの港で買った茶葉は当たりだったようだ。
口当たりが良く、爽やかな香りと苦味、そしてほのかな甘味がとても心地良い。
並行して起動している監視モニタに青色の反応が浮かび、それはまっすぐ談話室へと向かって来ていた。
少し遅れて、別の部屋から青色の反応が出てくる。
「あー! マリアちゃんが居る! 何してるのぉ?」
元気に走ってきた様子のエマが、扉を開けて私を見つけると、見たままの事を口にする。
「おはようございます、エマ。目的地の確認の為に、地図を見ていたのですよ」
地図をテーブルに置いて立ち上がり、寄ってきたエマの頭を軽く撫でて、私は彼女ともうひとり、こちらに向かっている仲間の為に、茶の用意をする。
恐らくもうひとりはアリスで、カーラはまだ寝ているのだろう。
監視役が寝こけてどうするのか。
「おっす。って、マリアは休んで無いんじゃないのか? 良いのか寝なくて」
遅れて談話室に顔を出したアリスが、エマに手を軽く振ってから、私へと顔を向ける。
彼女は、自分たちが人形なのだと言うことを忘れがちである。
「多少は無理もしますよ。……あの気持の悪いのをさっさと『霊廟』から追い出したいですからね」
カップにお茶を注ぎながら、私は何でも無いことのように答える。
実際は無茶のうちにも入らないし、何よりも台詞の後半は純粋に本心である。
「あー……お前さん、ホントに面倒事に好かれるのな」
定位置に腰を下ろして茶を受け取りながら、アリスは監視システムを起動した。
一応、防犯意識は持っているらしい。
だが、その台詞は頂けない。
本人が気にしていることを、はっきりとぶつけてくるのは如何なものかと思う。
「……マリア、お前、アレのログ、見た?」
そんな私の不満に構うこと無く、アリスが凄く嫌そうな顔で、端的かつ抽象的な質問を飛ばしてくる。
「いいえ? 屋敷内の大まかな行動ログは見ましたが、気持ち悪そうなので、それ以外は映像も音声も行動も見ていません」
しらばっくれても意味は無いし、アレとやらの為に無駄に時間を使いたくない。
私もまた端的に答え、そして私の定位置に腰を下ろした。
「……その方が良いし、今後は私もそうするかな……まあ、詳しい監視は、防衛班長に任せよう」
アリスは何を見たのか、お茶を口に運びつつ、その渋面は薄まらない。
まだ夢の中にいる防衛班長ことカーラには、しっかりと監視・確認を行って貰うとしよう。
「それが良いでしょうね」
寝ていたばかりに防衛班長に任命されてしまったカーラに同情などする訳も無く、私は短く答えて、ぬるくなってしまったお茶を口に運んだ。
「……何が映ってたのぉ?」
そんな私とアリスの遣り取りを不思議そうに眺めていたエマが、不思議そうなままに口を開く。
「あー、エマちゃんには見せられないな、うん」
「エマは知らなくても良い事ですよ、きっと」
そんなエマに、私とアリスは少しだけ顔を見合わせてから、揃って作った笑顔をエマに向けて答える。
アリスは、エマの教育に悪いとか、そんな事を思っているのだろう。
私は、汚らわしいモノを見たエマがヒューゴを殺してしまう事を、と言うか、アレの血で「霊廟」を汚してしまう事を危惧しての発言だ。
子供扱いされて頬を膨らませるエマだが、エリスとニナが昼食の準備をしていることを告げると、途端に上機嫌になった。
そんな有り様だから子供扱いされてしまうのだが、本人は気付くこともあるまい。
それにアリスまで加わり、昨晩の感想から昼食には何が出るのか、そんな話で盛り上がり始める。
もうじき、その楽しみな昼食の時間だ。
だと言うのに、客人たちはともかく、防衛班長が起床するような気配は無かった。
この場に居ないカーラに、あっさりと責任を押し付ける。そんな教育はしていなかった筈ですが……。