序 廻る世界の波に揺られて
随分とのんびりな様子のマリアですが、船旅はどうなったのでしょうか?
ある日死んだらしい私は短時間に訪れた紆余曲折の末、奇妙な縁で人形の身体に人間の魂という、聞き様によっては怪異でしかない存在へと成り果てた。
それからも色々と有ったが、気付けばひとり「墓守」となった私は、ひっそりと人形師の墓所を守る事にうんざりし、世界を見たいというふんわりとした夢を見て旅を始めた。
それからの私は、あるひとりの少女の束の間の成長を見守ったり、同じ人形の襲撃を受けて死に掛けたり、また別の人形に絡まれて土を舐めさせたり、立ち寄った街が頭部の無い人形の群れに襲われる現場に行き遭ったりと、どんな罰なのかと疑う程に人形との縁の深い旅になってしまった。
そもそも私がこの世界に来た原因となったのが、実は聖教国という国の――私から見て――どうでも良い目論見の結果だった。
旅の途中で何度かその聖教国の関係者との心温まる出会いと別れが有ったが、結果としてかの国には良い印象が芽生える事などついぞ無かった。
旅の足を止めることも出来ない私は、いつしか道連れが増え、旅の途中で賢者とも魔王とも呼ばれる男にも出会い、そして双子の魔女には圧迫面接手前の洗礼を受けた。
振り返ってみれば、私の旅は最初の少女との出会い時点で止めて、その少女を支える形で居れば平和だったのかも知れない。
水面を眺めて居た私は、不意に浮かんだ馬鹿げた考えに笑ってしまう。
経年による外見の変化が無い人形は、普通の人間と共に生活する事など出来ない。
ほんの短期間ならともかく、私という存在は、どうしたって浮いてしまうだろう。
確かにエルフなどの長命種は存在するが、彼ら彼女らにだって限界や限度というものは在る。
適当に誤魔化せば、或いは、そう考えなくもないが……隠され誤魔化されて居た方は、真実を知った時にどう思うのだろうか。
思えば、私はイリーナに……この世界で初めてであった少女に、自分の正体を明かしていない。
少し離れた所で、仲間たちの騒がしい声が聞こえる。
他人様に迷惑を掛けて無ければ良いのだが、まあ、巻き込まれるのも面倒なので、洒落にならない事態にでもなっていなければ、私は他人のフリでやり過ごそうと決めた。
小柄で緩くウェーブ掛かった金髪を楽しそうになびかせ走る、丈の短いスカートのメイド服……と言うには両サイドのスリットが深すぎて逆に意図が読めない、そんな少女とも形容して良いのか疑わしい存在を、やはり金髪で見様によっては凛々しい美人な、冒険者風の女が追い掛けている。
そこから少し離れた所には追うのを諦めたらしい、艶めくウェーブの黒髪長髪の女が、ベンチに腰掛けて空を見上げている。
あの3名、特に黒髪長髪は首から下は隙無く肌を隠し、ご丁寧に白手袋まで身に着けているその怪しさから、あまり人目に付く所で仲間だと思われるような事はして欲しくないのだが。
今更、なのだろうが。
私は興味の対象から仲間3体を強引に排除し、さりとてする事も無く、代わり映えのしない風景をぼんやりと眺めるのだった。
今更だが、本当に今更で恐縮なのだが、聖教国は。
あのイカレて少しばかり頭のネジが緩めなバ……考えがちょっと足りない方々は、異世界の魂を集めて何がしたかったのだろうか?
いや、世界の覇権を握りたかった、とは聞いているし、当然失笑もした。
ハズレ勇者の皆さんや執行者とか言うなんとも胡散臭い連中の大半は、恐らく聖都と運命を共にしたのだろうが、使えないと判断されたモノや任務中の者はある程度は別の地に居たことだろう。
今頃さぞや混乱しているのだろうが、それ自体はどうでも良い。
私が気になるのは、それらのこれからよりも、それらを集めた理由の方だ。
まさか、本当にただの戦力増強だったのだろうか?
だとしたら効率が悪過ぎるし、何よりもいくら短時間かつ小規模とは言え、頻繁に世界を隔てる壁に穴を開けるのは……色々と問題が有るのではないだろうか。
それは一旦置くとしても。
確かに執行者に関して言えばレベルは300に迫る者も居た気がするし、そこらの人間よりは圧倒的に強い。
それが小ならともかく、群れとなれば脅威だろう。
だが、どうにも運用がマズいと言うか、私が見た範囲だけで言っても、最大で5~6名での行動だった。
ハッキリ言って連携をうまく取られたとしても、それしきの人数など問題にもならない。
アタリというだけあって数が少ないとは聞いたが、それにしても……悪戯に浪費しているようにしか見えなかったのだ。
普通の人間にしては強い、程度のハズレの連中にしても、勇者だなんだと変な持ち上げ方をせずに、普通に兵士なりの群体として運用すればそれなりに活躍させることも出来ただろう。
例えば私だったら、もっと――。
「――おい。おい! 我関せずの格好で現実から目を逸らす前に、エマ嬢をなんとかしてくれ! 私やアリスでは止められん!」
変わり映え無く日が昇り沈む海原に目を向けながら益体も無い事を考える私を、切羽詰まった声が無遠慮に現実へと引き戻した。
……何故私が甲板まで上がった挙げ句、黄昏れつつ海原の向こうに空想を遊ばせているのか、少しは考えて欲しいものだ。
「……貴女たちでどうにも出来ないのに、私に何が出来ると言うのですか。暇潰しを用意したのでしょう? 上手いこと興味を引いて見せたら如何ですか?」
私の精一杯の提案は、やる気の無い声で押し出される。
まあ、その暇潰しも遊戯札やら簡単なボードゲームの幾つかで、恐らくエマが興味を持つとも思えない代物だったのだが。
きっと無駄だよ、とは思ったが、仲間の無様……涙ぐましい努力を無碍にするのも気が引けた私は、余計なことを言って水を差す事も躊躇われた為、余計な口を挟めなかったのだ。
まあ、そこで黙っていた以上、当然私にもある意味切り札は幾つか有るのだが……まだ船上の徒となって1週間である。
エマの飽き性が予想以上であった事もあり、2体の努力を鼻で笑ってやる気にもならない。
「ほらほらぁ! 私はまだまだ元気だよぉ? もっと頑張ってよぉ!」
船内をあちこち走り回っていたエマは、私が現実から逃避している間に甲板まで上がってきたらしい。
可愛らしい煽りに目を向ければ、船員や冒険者など、腕に自信の有りそうな男たちが、肩で息をしてへたり込んでいる。
「……で? アレは何をしでかしているんです?」
物凄く興味が湧かないのだが、確認しない訳にも行かない。
なにしろ、あの爆弾娘の同行者の名簿には、私の名も含まれているのだ。
「鬼ごっこ、だそうだ。甲板の安全なエリア限定で、エマに触れたら勝ち、と言うルールらしいな」
本物の殺人鬼を一般人が追い回すとは、随分変わった鬼ごっこだ。
呆れを感嘆の表現に包んでみるが、どうにも上手く纏まらない。
もっと良い表現はないものかと考え込む私の耳に、カーラの説明の続きが飛び込んでくる。
「ちなみに、エマに勝ったら、お前を一晩自由に出来るらしいぞ?」
生暖かい微笑みと半眼が、凍りついて引き攣る。
何がどうなってそんな事になったのか。
「何で止めないんですか、貴女たちは。私の貞操を勝手に賞品にしないで頂きたいのですが?」
引き攣る顔で精一杯の抗議の声を上げれば、いつの間にかカーラの向こうで船縁に背を預けていたアリスが、疲れた顔で遠い目をエマの居る方向に向けている。
「止めたけどさ? 私らが頑張ってエマちゃんの暴走を止めようと必死なのに、どっかの誰かさんが他人顔で人任せにしてるのにだんだん腹が立ってきてさ? まあ、仮にエマちゃんが負けても私には問題が無い訳だし?」
のんびりと言うアリスの言葉には、口調とは裏腹にベッタリと毒が塗ってある。
随分と酷い仲間である。
私だって、当初はエマの気を引こうと努力し、あちこち見学して回ったり、食堂で食事してみたりとあれこれ気を回したのだ。
3時間くらいは。
「まるで私が何もしていないような言い振りですが、私だって頑張りましたよ? 少なくとも、こんな船上で身売り紛いの真似をさせられるほど、何もしていない訳では無いと思いますが?」
私の抗議の声に向けられたアリスの表情は、まるで幽鬼のそれだった。
「頑張った、だって? ……初日の夕方前にはもう投げ出して、それからは日がな1日海を眺めてたアンタが? エマちゃんが今日まで何回大暴れしそうになったか、その都度報告してたんだけど……覚えて無いだろ?」
その口から漏れるのは、見た目通り快活なアリスからは想像が遠い、初めて聞くような種類の声色の、はっきりとした怨嗟である。
そうか、エマは既に暴発の危機を数度迎えていたのか、そうか。
「今となっては、私はメンバーで最弱ですよ? 何度でも言いますが、貴女たちに止められないモノを、私にどうこう出来る訳が無いでしょうに」
私も負けじと憮然とした声を上げるが、アリスもカーラも、一顧だにしてくれる様子はない。
「寝言は寝台でほざけ。仮に私にお前以上の能力が有るとするなら、それは戦乙女に依るものだ。こんな船の上で、おいそれと展開出来るものか。それに、出した所で、エマを抑えるなど不可能だろうよ」
鼻を鳴らして、カーラは冷たい目を向けてくる。
相変わらず情けない事を自信満々に言っているが、もっと自分の能力の方に自信を持って欲しいものである。
操り人形とは言えレベル600、エマの半分以上の実力を持つそれを同時に6体操れるなら、抑え込む事は不可能ではないだろう。
3~4体は破壊されるだろうが。
「大体、誰が最弱だよ。修練室での模擬戦でだって、アンタに負け越してるってのに。って言うか、3人掛かりでならもっと楽なんだよ、何でサボってるクセに文句は一丁前なんだよ」
そんなカーラの言葉に乗って、アリスも不満をぶつけてくる。
それはまあ、模擬戦レベルだったらそうかも知れないが、それだってアリスは3回に1回は私に勝っているのだ。
冒険者として活動していた実績も考えれば、正直、形振り構わない殺し合いなら多分、アリスは私を降すだろう。
総じて2体とも、自分に自信が無さ過ぎる。
「ほらほらぁ、もっと遊ぼうよぉ!」
少し離れた位置で、エマが周囲を鼓舞……じゃないな、アレはやっぱり、ただの煽りだな。
そんな様子で、へたり込む男たちに発破を掛けている。
「いや、もう無理だ、俺たちの負けだ。お嬢ちゃん、すばしっこすぎるぜ」
「あのメイドの姉ちゃん、イイ女だけど障害が高すぎるぜ。これ以上は無理だ、船酔いと別の理由で吐きそうだ」
「もう、何でも良いから酒が呑みてえよ、俺は。お嬢ちゃん、メシ奢るから下行こうぜ、もう遊びは無理だ、無理」
しかし、男共は口々に降参を宣言し、呼び掛けに応じる様子は無い。
エマは暴れ出しそうかな? と思って様子を探ってみるが、不満げに頬を膨らませては居るが、その目に危険な兆候は見られない。
……なんだかんだ、遊んで気が紛れたらしい。
あれも3日程度で飽きそうでは有るが、まあ、良い暇潰しを見つけたものだと感心してしまう。
それはそれとして、やはり気に掛かる事がある。
「……なんで私を景品にしようなんて思い付いたんでしょうね? エマは、そういう事には興味が無いと思っていたのですが」
気になってしまった事を素直に口から零すと、傍らで笑いの気配がする。
顔を向けると、頼もしくも鬱陶しい仲間が揃って、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みで私を見ている。
「……なんですか、揃いも揃って薄気味の悪い」
思わず思ったことをそのまま口にする私に、だが、2体は気を悪くした様子も無く、その笑みを崩す事もない。
「私たちが吹き込んだんだよ」
「そう言えば、暇な男どもが遊んでくれるぞ、とな。みんなが逃げてしまうから、殺してしまうのはダメだ、とも」
そして、私の疑問は解けた。
ある意味で純粋なエマが随分と悪辣な事を思い付いたものだと呆れていたが、こいつらが諸悪の根源か。
ニヤケ笑いを止めない2体に、さて、どんな灸を据えてやろうか。
揺れる船上から海原を照らす太陽を見上げるが、差し当たり、良い案は降ってこなかった。
自業自得とか、そう言う言葉が有る事を知っていると、人生を楽しめるそうですね?