思ってたのとちょっと違うけど
エミーリア・ユーステンには今、会いたい人がいた。
「聖獣番様、お願いですから出てきてください!!」
鬱蒼とした森の中、エミーリアはその人を思い浮かべ大声で呼び掛ける。
だがそれは森の中を反響しただけで、何の返事も返ってこない。
人気もなければ動物の気配すらない。
日の光が殆ど届かない森の中だから余計に寂しさが増してくる。
エミーリアは青緑の瞳にじわりと涙を滲ませた。
ここは町から馬車で約二時間程走った所にある山、カルカラ。
トリスタン王国では『聖地』と呼ばれるこの山に、大昔に国を救ったと言われる『聖獣番』が住んでいるという言い伝えがある。
聖獣番とは、魔力をもった生き物『聖獣』を従える人間のことだ。
聖獣番は常に白銀の毛並みを持つ狼種のフェンリルを連れているというのだが、実在しているのかは未だに不明。
それもその筈。
ここカルカラは瘴気に覆われた寒冷地。
身体に害を及ぼす瘴気の中では、普通の人間が一時間と過ごせる場所ではないからだ。
それでもエミーリアは聖獣番に会う為、重い足取りで森の奥へと進んでいく。
彼女には、どうしても会わなければならない理由があったからだ。
(それにしても、おかしな所ね……)
足を止め、寒さと瘴気を凌ぐ為に巻いていたマフラーをぐいと持ち上げて辺りを見回す。
体感では雪でも降りそうな程に寒いのに、見た目は普通の森と変わらない。
至るところで花は咲いているし、キノコだって生えている。
植物には瘴気の影響が無いのだろうか。
すると一メートル先に、大きな爪痕がついた大木を見つけた。
近づいてよくみると、その周囲には血痕もある。
ここに生き物がいた証拠だ。
エミーリアはマフラーを下げ、声を張り上げた。
「聖獣番様、どうか姿をお見せください! お願いします!!」
だがやはり返事は返ってこない。
「やっぱり言い伝えでしかないのかしら……うっ」
声を出した事で瘴気を吸ったのか、喉が痛みゴホゴホと咳き込んだ。
森に入って三十分程経っている。
そろそろ森をでないと危険かも知れない。
それでも諦めきれず、エミーリアは叫ぶ。
「聖獣番様! どうか出てきてください!!」
今度はズキリと胸に痛みが走り、膝をついた。
ドッドッドッと動悸も激しくなってくる。
これ以上は危険だ。
その時だ。
『小娘がこんな所で何をしている』
ゾッと背中に悪寒が奔った。
恐る恐る声がした方を向くと、そこには熊よりも大きい巨大な狼がエミーリアを睨んでいた。
血の色を連想させる深紅の瞳。
そして光の届かない森の中でも月の様に輝く白銀の毛並みから、高貴なオーラを放っている。
しかも人の言葉を話している。
「まさか……聖獣フェンリル?」
『ほう、我を前にしてもまだ話せるのか』
そう言って一歩、一歩と巨大なフェンリルがエミーリアの方へと歩いてくる。
殺気は感じない。
だが自分よりも大きな動物が近づいてくる事に畏怖してしまう。
後ずさりしたくても腰が抜けて動けない。
こうなったら食われる覚悟で、エミーリアは声を振り絞った。
「貴方の主に会わせてください!!」
その言葉にフェンリルはピタリと足を止めた。
『主、だと?』
「ここに聖獣達を従える聖獣番がいると聞きました。 いるならどうか会わせてください! 私に力をお貸しください!!」
身体を震わせながら訴えるエミーリアを見て、フェンリルは黙ったままその場に腰を下ろした。
恐ろしいが、エミーリアはグッと唇を噛んで涙を堪える。
ここで泣けばきっと相手にされないだろう。
『なかなか度胸のある娘ではないか。 あやつにも見習ってもらいたい位だ』
「あやつ……?」
まるで友人の事を話すような口ぶりだ。
フェンリルはハッと鼻で笑うと、空に向かって咆哮を上げた。
周囲の木々がビリビリと痺れるような轟に、エミーリアは吹き飛ばされそうになる。
残響にクラクラする中、どこからかガサガサと草木を掻き分ける音が近づいてきた。
「おーいラズ! ここにいたのか……、って女の子?!」
現れたのは獣ではなく、背の高い青年だった。
ようやく人間に会えた事で緊張の糸が切れ、エミーリアはとうとう地面に倒れ込んでしまった。
「大丈夫かい?!」
微かに聞こえるのは、少しくぐもった、でも優しく気遣う声。
青年は口元を覆っていた布を少し下げ、恐る恐るエミーリアに近づく。
「さっきから呼んでたのはこの子だったのか……」
『何でもお主に会いたいとか言っておったぞ』
「何の冗談だよ! お、お嬢さん、大丈夫ですか?」
深い夜のような黒色の髪。
少し長めの前髪から覗く琥珀のような瞳が、心配そうにエミーリアを見つめる。
その少し下がった目尻が色っぽく見えて、エミーリアの心がトクンと動いた。
「瘴気を吸い過ぎたのかな。 とにかく屋敷まで運ばなきゃ……って、僕なんかが運んでもいいのかな」
『他に誰がいる』
「そ、そうだよな。 お嬢さん、ちょっと失礼しますね」
男はぐったりしているエミーリアを背負い、仄暗い森の中を戻っていった。
◇
すぅっと鼻を抜けるような木の香りがする。
瘴気にあてられた身体を癒すようで、とても落ち着く香りだ。
目を覚ましたエミーリアはゆっくりと身体を起こし、周囲を見回す。
(ここは何処かしら……)
ぐるりと壁一面に本が立ち並ぶ不思議な空間。
その中の若草色のクッションの上に寝かされていた。
クッションと言っても、エミーリアの身体がすっぽり収まるような巨大サイズだ。
まるで『ダメ人間になってしまえ』と、悪魔の囁きが聞こえてきそうな程にフカフカで心地良い。
気づけば胸の痛みも治まっている。
先程現れた人が助けてくれたのだろうか。
エミーリアは誘惑のクッションから下りると、屋敷の中をヒタヒタと歩き始めた。
「おかわりはまだあるって言ってるだろ! もっと落ち着いて食べてくれ!」
するとさっきの男性の声が聞こえてきた。
エミーリアは、廊下の奥にある部屋の扉を数センチほど開けて中を覗いた。
そこは巨大なリビングになっていて、青年が大鍋を持って慌ただしく料理をよそっていた。
その周りで大小様々な動物達が、大皿に顔を突っ込みガツガツとご飯を食べている。
それも見たことのない動物ばかりだ。
すると輪の中で一際大きいあのフェンリルが、フッと満足気に顔を上げた。
口周りには何やら赤い液をベッタリとつけて舌舐めずりをする。
よく見ると他の動物も同様だ。
生肉でも食べているんだろうか。
もしかしたらこの後自分もあの皿に乗せられてしまうのだろうか……。
エミーリアはブルッと身震いをした。
『やはり主が作ったミートスパゲティは格別だな。 早くおかわりをくれ』
「はいはい」
彼らの会話を聞いてエミーリアは目を丸くした。
青年は手慣れた様子で寸胴鍋からパスタを皿に盛り、その上に赤茶色のソースをかける。
どうやらあの口周りは、血ではなくミートソースみたいだ。
「ほらほら、顔がすごい事になってるぞ。 後でいいから洗ってくるんだ」
そう言って青年は、フェンリルの口周りを大きなタオルでゴシゴシと拭いてやる。
あの恐ろしかったフェンリルがミートソースでベタベタになっているなんて、信じられない。
だがその姿がたまらなく可愛い。
なんとも微笑ましい光景に、さっきまでの緊張感が解れていった。
ぐぅぅぅ。
すると自分もそうだと言わんばかりに、腹の虫が大きな声で鳴いた。
食事に集中していた皆の視線が、一斉に扉付近に立っていたエミーリアへと注がれる。
「あ……」
エミーリアの顔がりんごの様に赤く染まっていく。
それでも必死に堪え、その場に座り額を床につけた。
「食事中大変失礼致しました! 私、ユングレーン男爵の娘エミーリアと申します。 どうか聖獣番様に会わせて下さい!」
シン、と冷たい空気が流れ、動物達は顔を見合わせる。
恐る恐る顔を上げるが、当てにしていた青年の姿は見当たらない。
エミーリアはギュッと唇を噛み、再び頭を下げた。
暫くして、フェンリルが毛繕いをしながら口を開いた。
『……理由は』
「三日前から行方不明になっている妹を探して頂きたいんです」
『その手合なら警察か探偵だろう』
「勿論捜索願は出しています。 ですが一向に手がかりが掴めず、難航していまして……」
エミーリアは頭を下げたまま、話を続ける。
「報酬でしたら全財産でもお支払いします! どうかお力を貸して下さい!!」
『全財産なんて、もらっても困ります……って、いつまでも我に通訳をさせるなぁ!!』
「ごめんってば!」
何事かとエミーリアは顔を上げた。
するとフェンリルの背後から、青年が申し訳無さ気に姿を現した。
『全く、引き籠もってばかりだから肝心な時に話せんのだぞ』
「仕方ないじゃないか……。 女の子とまともに話すなんて殆どないんだから……」
一瞬青年と目が合ったが、すぐに逸らされた。
長身で体格もそこそこいいのに、少々頼りない印象だ。
「あの、聖獣番様は……」
「……すみません、僕です」
「え?」
「五代目聖獣番のウィルバートといいます」
「……」
どうやら食事番ではなかったらしい。
それが顔に出ていたのか、察したウィルバートは勢いよく頭を下げた。
「すみません! こんな自分じゃ信じられませんよね!」
「そんな事ないです! ただもっとお年を召した方だと思っていただけです!」
「まだまだ若造でして……すみません」
ウィルバートは眉を下げて何度も謝罪を述べる。
どうやら彼は自己肯定感が低いみたいだ。
こちらが勝手に押しかけてきたのに、何だか申し訳なくなってきた。
気まずい空気の中どうしようかと悩んでいると、再びエミーリアの腹の虫が鳴いた。
「いえ、これは、その……」
部屋の中はまだソースのいい香りが漂っている。
歩きっぱなしだったので空腹も限界に来ていたのだ。
涙目で顔を真っ赤にするエミーリアを見て、ウィルバートは小さく笑った。
「……よかったら、ご飯食べていきます?」
「えっ」
エミーリアの瞳がキラリと輝いた。
だがこの状況でご飯を頂いてもいいものかと、すぐにしゅん、と困惑した表情を見せる。
すると今度はウィルバートが青い顔をして狼狽え始めた。
「すみません! こんな得体の知れない男が作ったものなど食べたくないですよね! 変な事言ってごめんなさい!」
「違います! 頂きたいです! 丁度すっごくお腹が空いていたので食べたいです!!」
勢い任せの返事だった。
だが受け入れた事でウィルバートは顔を綻ばせた。
「そ、ですか……。 良かった」
(わ……、可愛い)
その笑みが少年の様にあどけなくて、エミーリアの胸が高鳴った。
元々端正な顔つきなので、その笑顔がキラキラと輝いて見える。
だが直ぐにその表情が崩れる。
「あ! でもご令嬢にミートスパゲティは失礼ですよね! ちょっと今から別の料理作ってきます!」
ウィルバートが慌てて部屋を出ていこうとするので、エミーリアは服を掴みそれを阻止する。
「構いません! 今とってもスパゲティが食べたい気分なのでそれでお願いします!」
何だか想像していたのと全然違っていた。
エミーリアは一抹の不安を抱えながら、勧められた食卓の椅子にそっと腰かけた。
今回は十話程の中編です。
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