8 旅の途中(魔法)
リオ様と過ごしていると、不思議なくらい素直な気持ちになれる。
思っていることを口にしても、そのまま聞いてくれるのだ。否定したり非難したりしない。当たり前のことなのかもしれないけど……それだけのことで私を安心させる。
段々とまるで友人のような……と言うのは言い過ぎだけど、少しくらいは気軽に話せるような関係になってきたのかも。
だから私は、魔法が使えることを教えてもいい気がした。いざという時力になれるし、何かの役に立つかもしれないし。
「串焼きを焼きます!」
「は?」
宿屋の裏手、手の指の先から炎を出して、買って帰った冷めた串焼き肉に焦げ目を付けて行く。リオ様はぽかんとした表情で呆けている。じゅわっと焼けて肉汁が滴った。
「さぁ!焼きたてですよ。どうぞ、おいしいですよ」
「あ、ああ…………」
戸惑いながらもリオ様は串焼きを手に取ってくれて、口の中に入れていく。この食欲を誘うおいしそうな匂いの前では、誘惑には勝てないのだろう。
「タレも半分食べるのだろう」
「あ、そうでした。こちら塩もどうぞ」
半分こにして食べると言っていたのを忘れていた。
リオ様が渡してくれた串焼きの代わりに、塩味の串焼きを差し出すと、私の手にあるそれにリオ様がかぶりついた。私の体の至近距離で口に含んでいく。
……近い。近いよ。じわっと頬が熱くなる。焼いたのは串焼きなのに私が焼かれているようだ。フードからこぼれ落ちるリオ様の艶やかな髪が私の顔の前で揺れる。
いや、さすがに距離感がおかしくない?リオ様どうしちゃったの?王子様ってこんな距離感なの?
「何おかしな顔をしている」
「な、なんでもございません」
動揺が顔に出ていたようだ。これはなんだろう。親しくなったということなんだろうか。
でも私もそうなんだろうな。親しくなったから、魔法のことを伝えてもいいって思えたんだから……。
お互いにゆっくりと肉を頬張り……食べ終わってから、リオ様は言った。
「エミリアは魔法が使えるのだな」
「はい!庶民の知恵ですよ!」
「そんな簡単なものじゃないだろう。魔法国家は確かに魔法が使える者が多いが……適性があったとしても教育もなく使えるようになるものではない。幼い頃から魔法が使えるように叩き込んでいくのだ。そうでなければ他国民だって魔法が使いこなせているはずだ。エミリアは教育されていたのだな?」
「……おじいちゃんが教育を受けた人だったから、小さなころから教えてくれたんです」
「そうか。お前の祖父は魔法に長けていたのだな。合点がいった」
「え?」
「俺の拘束の魔道具を解呪したのは、エミリアだったのだろう?」
それは魔の森で出会ったときに、リオ様の足を拘束するために着けられていた魔道具。リオ様は外れていたそれに、ちゃんと気が付いていたんだ。だけど、言わなかった。ならずっと……疑問に思って私を疑っていたのかもしれない。
「やはり、お前でなければ、俺を助けることは出来なかったのだと改めて思う。感謝する」
「いえ……私、とても怪しかったですよね?」
「いや、俺を捉えに来たのなら、黙って外さないだろう。お前に疑う要素はない。だが……人に何か善行をしたとしても、わざわざ言わない性格のようだとは思うが」
「……性格ですか」
「それは美徳だが、抱え過ぎるのならよくない。負担に思うことがあるなら、いつでも言ってくれ。改善しよう」
「そんな……何もありませんよ。毎日楽しいです。一人ならきっと寂しかったと思います」
そうなのだ。きっと一人旅だったなら……学園生活のことを思い出しては憂鬱になっていた気がする。今は毎日何も考える間もなく過ぎていく。リオ様は居心地のいい同伴者だ。嫌な思いをすることもない。
「……俺も助かっているよ」
リオ様は少し視線を伏せて言った。
「もう死ぬのだと覚悟したはずなのに、今は日々が穏やかだ。学友と旅をしたのならこんな風だったのだろうかと考える。何も思い悩まず、日々楽しみを見つけて過ごすのだ。義務や役割を抱えていたとしても、余暇を笑いあえる友と過ごせる、そんな立場だったのなら……と。したこともないことだが」
リオ様は国を追放されて、今は追跡から逃れるように慎重に旅を進めている。
「私も友人と旅をしたことはないですよ。今はとっても楽しいですよ」
私の返事にリオ様が少しだけ微笑む。
「そうか。俺もだ」
その返事に私は嬉しくて笑う。言わせてしまった気もするけれど、少しでも楽に過ごせているのなら、良かった。夕日を見つめるリオ様の穏やかな横顔が私の心を温かくしていく。
毎日少しずつ、心が温かくなっていくようだと思う。
ずっと世界は真っ暗で、灰色の空が晴れなくて、まるで雨が降り続けているみたいな気持ちだったのに……ほんの少しずつ、雲が減っていく。光が差し込んでくる。雨上がりの世界で、晴れるのを待っているみたいに。
そうして次の街で、私は偶然、露店でクズ魔石が売っているのに気が付いた。出回っている国があったのだ。知らなくて、驚いて見入っているとリオ様が言った。
「欲しいのか?何に使うのだ」
「これがなんだか分かりますか?」
「魔石の……使われない小さな欠片だな」
「そうです。クズ魔石です。魔道具にするには小さすぎるものです。平民が装飾に使うのに売っているのでしょう。でも私にはこれは宝物なんです」
「宝物?」
「はい!」
いくつか購入し、他の露店で雑貨も買って、うきうきとした笑顔で宿に向かう私をリオ様は怪訝そうに見下ろしていた。
「そんなに機嫌が良さそうな様子を見るのは初めてなのだが?」
「だって嬉しいですから!作るところを、リオ様も見ててください。私の部屋へどうぞ!」
呆気に取られているようなリオ様を引き連れて部屋に戻ると、私はテーブルの上にクズ魔石と紐を並べていく。領地で作られていた「花の祝福」のお守りを作りたいのだ。大切な人の無事を祈る気持ちばかりのお守り。
「これでお守りを作るんです」
「お守り?」
テーブルの反対側からクズ魔石を覗き込むリオ様の距離が近い気がするけれど今は気にしない。
「これを光に透かせてみてください」
「うむ」
リオ様は小さな欠片を指でつまむとランプに照らす。
「中に見える小さな模様……傷とかで出来てるものだと思うんですが、小さな花のようにも見えないですか?」
「まぁ、そう言うならば」
「私が生まれたのは花畑が有名なところで、花が咲くっていうのは、幸せの象徴みたいなものだったんです。大切な人がいつも花に囲まれていますように、笑顔で居られますようにって、願うんです」
「花が咲く、か」
「ええ、それでお守りを渡すんです。相手の幸せを願いながら、いつまでも花が咲いていますようにって、このクズ魔石で作ったものを。それが風習でした」
リオ様はクズ魔石の中をしばらく覗き込んでから、「作るところを見ていよう」と言った。
「ただ、祈るんですよ」
私は一つだけ掌に乗せて、胸の前で両手をぎゅっと握る。
「言葉に出す必要はないですけれど……相手への願いを石に込めます」
目を瞑って、想いを心の中で形にしていく。
あの日気を失って倒れていたリオ様。やつれたリオ様。子供の頃は純粋な笑顔を浮かべていたんだろうリオ様。
(どうか花が咲くように幸せな笑顔を浮かべられますように)
私はそんな表情をまだ一度も見ていない。いつもどこか苦しそうで、皮肉気な笑みばかりだ。
(綺麗な花が、咲きますように)
人の体はもろいのだ。心も体も傷が付いたら痛い。生きることは悲しみと苦しみでいっぱいだ。それでも、少しでも幸せでいられますようにと、大切な人に願い続ける。それがきっと、傷付けることも思いやることも出来る人の想いなのだろうと私は思うのだ。
目を開けて、お守り石をテーブルの上に戻す。
なぜだかリオ様が驚くように目を瞠っていた。
「あとは紐で括り付けていくだけです……どうしましたか?」
「……祈るだけだと言ったではないか」
「え?」
「祈っただけではなかったぞ」
「はい?」
リオ様は視線をお守り石に落とす。
「……魔法が発動していたように見えた」
「魔法、ですか?」
「俺は魔法をさほど使いこなせん。初期の魔法が一通り使えるが、高度なものは無理だ。幼少期からの訓練が足りていない。だが、目は良い。魔法国家を開国した祖は、魔法使いだった。その血を継いでいるからな。魔力量は他の民の比ではないし、他人が行使した魔法についても感知出来る。エミリアは今魔法を使っていた。エミリアから光がそのクズ魔石に吸い込まれていくのを見た」
「……」
リオ様の言葉に首を傾げてしまう。魔法なんて使ってない。
「使ってないですよ……?」
「では、なんだろうな。その土地の民が祈るときに、光を発することがあるか?見えぬかもしれぬが」
「そんなもの見えたことないですよ……」
ふむ、とリオ様が顎を押さえて考え込む。
光ってなんだろう?と思いながらも紐を使ってお守り石を編み込んでいく。
どんな形にしてもいいんだけど、どうしようかな。腕にしたら邪魔だろうし、服に着けるのも失くしそうだし、やっぱり首に掛けられる長さにしようかな。せっせと夢中で作業をする。
「よし!出来ました!」
慣れた作業をあっという間に終わらせて、どうぞ、とリオ様に渡す。
「俺にか?」
「もちろんです!良かったらどうぞ。気持ちばかりのお守りなんですけど」
「ありがたい」
リオ様は両手で受け取ると、その首に、先端に花の祝福のお守りの付いた紐のネックレスを掛けた。
そうして片手で持ち上げるとじっくりと眺めている。
「……やはりな」
「なんです?」
「なにか守りの魔法が掛かっている。詳しくは俺には分からぬが」
「……本当ですか?」
私にはちっとも分からなかったのに。
「これは自分で持っていた方がいいのではないか?」
「え?それは誰かの為に作ってあげるものなんですよ!貰ってください」
「ならば俺も作ってみよう。余っている石を貸してくれ」
「え……はい」
リオ様はクズ魔石を掌に乗せると握り締め、私と同じように、目を瞑って何かを祈っている。
何を祈っているんだろう。何を考えているんだろう。
ランプの光が私の心のように揺れている。
リオ様は瞼を上げるとお守り石を見つめて、小さな声で、出来たな、と言った。
「祈った。どうすればネックレスになる?さすがに俺に作れる気がしないが」
「良かったら私が作りますよ。どんな形がいいですか?」
「お前の首にちょうどいいネックレスにしたい。だが他の好きな形でもいい」
「私にですか?いいんですか?」
「当たり前だ」
祈っている間、私のことを考えてくれていたんだろうか。嬉しいような照れ臭いような。
「ありがとうございます!嬉しいです。お揃いにしましょう。夫婦っぽくなっていきますよ!」
「……いや、まぁ、そうだな」
リオ様は戸惑うようにしながらも、首に掛けたお守り石を見つめていた。
何がそんなに気になるのだろう。
私はうきうきと自分の分を作り終わると、にっこりとリオ様に笑った。
「ありがとうございます!大切にしますね」
「ああ。お前にとって、これは宝物なのだろう。俺も大切にする」
首に掛けると、ほんのりと心も体も温かい気持ちになった。
もう二度と、花の祝福のお守りなんて貰わないと思っていたのに。誰かの気持ちを受け取ることはこんなにも嬉しい。
大切な人の幸福を願うお守り。
私がリオ様を思い浮かべたようにリオ様も思ってくれたんだろうか。誰かの心の中にいる自分と言うのを考えるのはこそばゆい。だけど不思議なくらい心地いい。
失いかけた心の中の光が膨らんでいくように。
世界が変わっていくのを感じる。
少しずつ、きっと私は変わっていく。
ふと見たら前話までで、ほぼ短編と同じ文字数でした。