19 陰謀
翌日、イシュハル様がいつものように飄々と現れて、私たちを見つめてにこにこと微笑んだ。
「再会!出来て良かったね?心配してたんだよ~」
イシュハル様の仕事部屋に私たち三人だけ。彼は学生時代のように気さくに言った。
「シュリオンに話聞いちゃってた僕の婚約者なんて、君に会いに行きそうになってたし」
「え、婚約……者……?」
いたの……?
「そうそう。まだ小さいんだけどねぇ」
どういうこと?とリオ様を見上げると、彼は申し訳無さそうに「すまない、旅の話をせがまれてしてしまった」と言った。せがまれる……?
「10歳下。今9つ」
9歳のご婚約者さま……!
一体どんな方なんだろう。好奇心で胸を膨らませてイシュハル様を見つめれば、彼は少し困ったように笑う。
「今度会わせるよ。君が良ければだけど。彼女の方は会いたがってるから」
「ええ、私でも良ければ是非……!」
「僕の離宮には来なかったくせにこれだもんなぁ」
イシュハル様がおかしそうに言う。
「彼女は、会う前から君が大好きなんだよ。僕から話を聞いてるからね」
一体どんな話をされていたのだろう。
「まぁ、僕のことを話すと長くなるんだけどさぁ。まずはさ、僕も、魔法国家ミーニアムの血を引いてるって知ってた?」
「え?いいえ……」
「四代前にミーニアムから嫁いだ姫が居たんだよね」
全然知らなかった。
「最初のその姫は、魔法にプライドを持ってて、この国になじめなかったんだろうね。魔法の知識を適性のあるものに教え、そして放浪していた魔法使いたちを集め出した。国にとっても益のあることだったから、反発されることもなくこの研究施設の前身となるものを作ったんだ」
イシュハル様のご先祖様がここを作られた。だから彼が所長なのか。
「そんで血筋なのか、先祖返りなのか、僕も結構な魔法適性がある」
「え」
「ごめんね、目立たないように隠してた」
へへへ、とイシュハル様は笑う。
「そんな僕でも桁外れだと思ったのは、学校の教師たちではなく、君たち二人だった。シュリオンは使いこなせてなかったけど」
イシュハル様は私とリオ様を交互に見つめる。
「生まれながらに莫大な魔力を抱え持つシュリオンと、適性がありながら、努力で能力を上げ続けたエミリア。僕は、最初それに気が付いて君たちに近づいたんだ」
辺鄙な図書室に度々現れるのはおかしいことだと思っていた。理由があったならむしろ納得だ。
「でもそんなこと関係なくなるくらい、僕は君たちが大好きになったし、心から友だと思ってる。こんな僕は嫌かな……」
珍しく情けない表情をするイシュハル様に、思わず私は言ってしまう。
「いいえ、私も大好きになりました!理由があったなら納得です。もっと早く言ってくだされば良かったのです。お力になれたのに。イシュハル様は私に何も求めなかったじゃないですか」
本当に楽しい話をするだけの友達だったのだ。この国に来てからも不必要な接触すらなかった。イシュハル様は何も、私にして欲しいことを言わなかった。
「エミリア……」
「……」
泣きそうな顔をするイシュハル様と、なぜか複雑そうな表情をしているリオ様が私を見つめた。
「困っているなら言ってください。私はなんでもお力になります」
イシュハル様はふにゃりと嬉しそうに笑う。
「も~!大好き!二人ともだけど!シュリオン、二人ともだから!」
イシュハル様は私とリオ様の手を片手ずつ繋ぐと、体を近づけてから言った。
「僕だって、同じように力になるよ。僕が君たちに元気をもらえるように、僕も君たちの力になりたい。だから、忘れないで。困難も、みんなで解決していこう。一人で叶わないことも、力を合わせたら出来るようになるかもしれない。手を繋いでいれば、挫けずにいられる力になれるかもしれない。どうか、一人で抱えないで」
その温かな言葉を不思議に思ってイシュハル様を見つめると、彼は真面目な表情をして言った。
「エミリア、君の領地を襲った魔物の話をしなくてはならない」
「四年ほど前、海で引き揚げられた魔道具があったんだ。それは普通ではないものだった」
イシュハル様はゆっくりと説明してくれた。
「海を荒らす魔物って言うのが居てね。天候を悪くさせる魔物がいるんだよ。航海の大敵だからね。国の船が出る時は、魔物に遭遇しないように魔法使いに感知させることもあるんだけど。どうやらその魔道具は天候を悪くさせているようだ、と報告を受けて、調べたんだ。そうしたら本当に、海の魔物を呼び寄せる。その魔物は、姿は人には見えない。ただ水の形をしているという。天候が荒れることでそれに気が付けるんだ」
「海の魔物……」
また知らない話だ。魔物の話は私たちのところまで詳しい情報が出回って来ないのだ。
「普段はね、特定の海洋地域に生息しているんだろうと思われてるんだけど、今まで目撃されてなかったところに来ていたの。天候も穏やかだった地域にね」
魔物なら、魔力の強い場所に生息するはず……。
「引き上げられたときに効果はだいぶ薄れていて、大量の魔物がいたとかではないのだけど、確実に寄ってくるんだ。そんなものが世界に存在していていいわけがない。材料や技術からミーニアムを疑い、僕の留学に伴い秘密裏に調査が進められた。王太子を襲った突然の洪水、その川の下流から海に辿り着いたのだろう魔道具、何に使われたものなのかなど想像に難くない」
王太子の死。その魔道具が直接関与したかもしれない……?
「バートン領で二年近くも続いた水害は……?」
「その影響も考えるが、まだ断定は出来ない。二年も続くなど、魔道具が回収出来なくなっていたのではないかと、疑ってしまうが。回収するはずのものを海まで流してしまったのか、始めからそのつもりだったのか」
「そうですか……」
「もしくは、これは別のものなのかもしれない。他にもあり、効果が消え雨が止んだのかもしれない。まだ分からない」
リオ様が震える私の肩を抱いてくれた。心配そうに私を見下ろしている。
大丈夫。一人じゃない。泣くな私。
それでも……悪意を持って引き起こされた災害などとても受け止められない。不幸の中で私の両親は亡くなったのだ。
お父様。お母様。もう二度と逢えない。
「この研究所の魔法使いたちは優秀だった。すぐに解析したが、膨大な魔力が魔石に込められている、と分かった。魔物が人の魔力に寄ってくるだろうことはすでに推測されていたことだけど、じゃあ、誰がどうやってこれを作ったんだ?と」
時間が掛かったよ、とイシュハル様は続ける。
「再現しようとしても作れない。魔石が壊れてしまうんだ。あれほど強力な魔道具は、王族ほどの魔力を持った者にしか作れないのだと分かるまでに何年もかかった。だからこそ、シュリオンの協力が必要だった。壊れさずに、繊細な作業をしながら膨大な魔力を注げるのは、王族に匹敵するものだけだろう」
「俺はフィリアに来てからずっと、研究に協力していた」
リオ様は何度も倒れたと言っていた。
「やっと作れたものと、海で引き揚げたものは……やはり魔力の質がとても良く似ていたよ」
「俺は、弟の関与を疑っている」
「まぁ、そうだよねぇ。一番得をするのはアンドリューくんだもんね」
「そんな……」
後継者争いの中で王太子が殺され、うちの領地は荒らされたというのだろうか。
父母の死と私の不幸は、巻き込まれただけ……?
心がぐらぐらと揺れる。
真っ暗な空間に一人投げ出されたよう。
「すまない、エミリア」
「リオ様は関係ありません……」
けれど、この悲しみはどこにぶつければいいのか。
唇を嚙みしめて涙を零すまいと耐えていると、リオ様が私の頭を抱えた。
「必ず、報いを受けさせる」
そうだ。悪魔の所業を行った人々がいるのだ。
私はリオ様にぎゅっとしがみつく。
リオ様が隣にいてくれることが今の私には有難い。
こんな悲劇をもう二度と起こさせないのだと、きっとこの人なら言ってくれるから。
「エミリア、僕らがいることを忘れないでね」
イシュハル様が言う。
「いいかい?僕たちは、ただ仲良しなだけじゃない。同じ思いを抱えた、チームだ。こんなにも残酷な兵器ともいえるようなものを作った者たちの所業を、暴かなくちゃいけない。そして、なにより、君が心配だ。僕らは力になりたいと願っているんだ」
「そうだ。一人じゃない。エミリアの苦しみも悲しみも、本来は俺が背負うべきものだ。どうか一人で抱えないでくれ」
一人じゃない……。
爵位を返上した、あの時とは何もかも違う。
悲しみは癒えないけれど、今は、私には仲間がいる。
顔を上げて二人を見詰めた。
「……私にも出来ることがあるんですね?」
私の魔法の能力を知っていたイシュハル様。私を呼び寄せられるようになったと言ったリオ様。
きっと私の能力が求められている。
「あるよ。たくさんね」
イシュハル様がにっこりと言う。
「まずは、君に協力してもらって、封印が可能な魔道具を完成させること」
イシュハル様が一本ずつ指を上げて行く。
「そうしてもう一つは、現在被害に遭っているだろう土地を調査しに行くこと」
二本目のイシュハル様の言葉に、私は驚く。
「今……被害にですか?」
「そうだよ、エミリア……今もまだ、続いているのかもしれない」
あの悪夢がまだ続いている――。
「第三王子の母である側妃の生家、コーリース家が制作に関わっているのではないかと疑っている。そしてその隣の領地フォーガットが、今未曽有の災害に襲われている。バートン領と同じく、終わらない水害だ。フォーガットと我が王家は昔からの付き合いがある。調査と言う名目で訪れる予定だが、フォーガット領から、隠された、もしくは回収出来なくなっている魔道具を見つけ出せれば、彼らの罪を暴けるかもしれない。一緒に行ってくれるか?エミリア」
「……私もですか?」
「そうだ。誰よりも魔法を使いこなせ、ミーニアムと水害に詳しいエミリアに、同行をお願いしたい」
そうだ。私はずっと領地の被害に向き合っていた。そのために可能な限りの魔法を駆使していた。
「もちろんです!連れて行ってください」
私でもきっと何かの役に立てる。
乗り出すようにして返事をした私にイシュハル様は頷いた。
リオ様も言った。
「もちろん俺も行く」
リオ様の言葉に、え、と思う。リオ様は逃げて来ているのに。
「様々な魔法を教わった。姿変えの魔法も使えるようになった。中には、逃げながらこの国へたどり着いた魔法使いも多いんだ。身を隠すすべを良く知っていたよ」
なんでもないことのように笑いながら話すリオ様に驚いてしまう。
「そんな魔法私も使えませんよ……」
「あの国では見いだされなかった魔法なのだろうな」
本当に知らないことばかりだ。
「準備が整うまでは、エミリアにはシュリオンの元に付いて制作の方に携わってもらいたい。いいかな?」
「かしこまりました」
かつて何も出来なかった私に、出来ることが増えていく――。




