17 魔法研究所
フィリアの生活にはもう慣れたと思う。
毎日の仕事も、フィリアでの手料理の作り方も、家事の回し方も、分かってきている。
少しだけ心に余裕が出来て、時折アイシャさんや先輩に連れられて、休みの日も一緒に出かけた。
私はフィリアという国を知っていく。貧富の差がミーリアほどはなく、国民はみんな、明るい日差しの下陽気な音楽のなか楽しそうに暮らしている。
まわりの人と一緒に笑って、楽しいな、そう感じる度に、心の中で両親やリオ様を想い出して少しだけ切なくなる。もう、逢えない人たち。
季節は巡る。
海水浴の季節がやってきた。アイシャさんに一緒に海に行こうと誘われて遊びに行った。
私はこの国の人たちのように、水着になるような習慣がなくて、とても泳げなかった。けれど、海岸を歩いて海辺の食べ物を食べながら、アイシャさんと沢山笑った。
夕日に照らされる美しい浜辺を綺麗だと思った。今はもう、彼がいなくても世界を美しいと感じられる私がいる。
そして私は、リオ様ではなく、違う人と海に来たんだなぁ……と、過去になっていく時間の流れをただ感じていた。
今となっては、王子様であった人と旅をしたなんて、誰に言っても信じてもらえないだろう。
私は役場の職員の、ただのエミリア。
彼は、私とは違う世界に生きている人だったのだから。
一年経った頃、魔法研究所に移らないかと相談があった。
「え、私は事務員ですよ?」
「大丈夫だよ。魔法研究所は、魔法使いを雇っている専門部門なんだけど、君の経歴を見て是非にとお願いされたんだよ。話だけでも聞きに行ったら?給料がかなり上がるはずだよ」
「お給料ですかぁ」
「それにすぐ隣の敷地だから、僕らと離れるわけでもないし、魔法課とはやりとりもあるんだよ」
「それなら……」
もしかしたら憧れの高級肉も夢ではないかと思い話を聞きに行くと、魔法研究所の所長はなんとイシュハル様だった。
「やぁやぁ、元気だった?」
「え、え、イシュハル様!?」
ふふん、と楽しそうな笑みを浮かべた彼は、「僕が所長だよ~」と言った。
赤色の長いくせ毛を後ろでひとくくりにし、白いローブを着こんで所長の椅子に座っている。
「と言っても、国に戻って来たのは僕も最近」
「お疲れ様でした……!大変でしたでしょう?」
「ふふ。まぁね。早く帰ってきたかったんだけどね」
イシュハル様はにこにこと私を見つめる。
「伝え聞く限り楽しそうにしているみたいだったね?」
「良くしていただいていました。フィリアはとっても良い国ですね。国が豊かなおかげで、皆さん優しくて、生き方に余裕があると思います」
「あ~あの国に比べれば多少はねぇ」
「……」
生まれた国は、厳しい階級社会だったから。
「ずっと会いたかったんだけど、戻って来たことだし、折角だからスカウトしちゃおうかと思って声掛けたんだ」
なるほど。イシュハル様なら魔法学校を出ている私をスカウトもするか。
イシュハル様は私の胸のペンダントをじっと見つめた。
「学園でずっと研究していただろう。そのペンダントについて」
「そうですね。これはおじいさまが作ったものですが、いろいろな魔法を魔道具に応用できないかと思って」
「それは魔物除けだけど」
「効果は抜群ですよ!」
お父様の形見は、かつておじいさまが作ったと言われる立派な魔道具なのだ。
「効果範囲はどれくらい?」
「この部屋くらいはありますかね……?触れている者に対しては寄ってこないですよ」
「量産出来るのなら、そういうものでもいいのかもしれないが」
「?」
イシュハル様はため息を吐くようにして言った。
「緊急でね。来るべく災害に向けて対策を練らないといけなくなったんだ」
「……災害ですか?」
「そう。魔物が引き起こす、災害対策」
「魔物が……ですか?」
「そうだ。魔物をおびき寄せ、洪水だろうが、土砂くずれだろうが、自在に引き起こせるとしたらどうする?」
想像するだけでぞっとした。
「え?本気ですか?おびき寄せた魔物をどうするつもりなんです?自然災害の前に、人も土地も荒らされますよ。死者が出ます」
「それが可能だとしたら?」
「……」
「誰か一人の命を狙うためにおびき寄せた魔物が、そのまま自然災害に繋がったとしたら?」
「それは」
「例え話だよ」
例え話でないと困る。
魔法国家ミーニアムで、先の災害で真っ先に亡くなられたのは第一王子だった。その死に疑いがかけられたら、国が荒れるなんてものじゃない。
……大変な、ことだ。
嫌な予感をしながらイシュハル様を見つめると、彼はにっこりと笑った。
「協力してくれるよね?」
何かが大きく変わっていく予感がした。
私は魔法課の事務員から、魔法研究所に移ることになった。
やっと慣れてきていた職場では、優しい先輩と同僚たちがお別れ会をしてくれた。
「エミリアさん私寂しいわ」
「まぁまぁ、すぐに会えるよ。書類のやりとりだって多いんだし」
「飲み会の時は誘っていいかしら?」
「これからも仲良くしましょうね」
たった一年だったけれど……学園で過ごした三年とはまるで違った。
一人きりで生きて行ける自信と、私でも少しでも役立てる安心感を教えてくれた。
人の目に映る自分に、前よりも怯えなくなった。
「みなさん……ありがとうございました……!」
異国の地で、私はひとりぼっちで、思っていたよりもずっと心細かったのだ。
けれど、この人たちは親切に私を迎えてくれていた。
まるでか細い灯りが消えないように見守ってくれているように。私の中の灯りは消えなかった。
泣いてお礼を告げる私を、みなさんが優しく笑ってくれる。フィリアに来て良かったと、心から思った。
私は混乱していた。
ここは魔法研究所。私が配属されて、その初日に紹介された上司がリオ様だ。
一年ぶりに見たリオ様の長い黒髪は短く切り落とされていた。
太陽の日差し溢れるこの国で、日に焼かれていたのだろう。浅黒い肌になっていて、その健康そうな顔に美しい笑みを浮かべて私を見つめていた。
太陽みたいな笑顔。
その胸には、あの日渡した花の祝福のお守りが変わらずあった。
案内してくれた職員がいなくなり二人きりになると、リオ様が言った。
「久しぶりだな。エミリア」
「……リオ様」
漆黒の輝く瞳はまっすぐに私に向けられ、その表情には喜びを感じさせる。
「ずっと会いたかった。あの時の礼を言いたかったのだ」
「そんな、私の方こそです。リオ様……」
ああ、本当にリオ様なのだ。
変わらない笑顔。時間が巻き戻る。旅をして、別れたあの頃に。
「お元気で……いらっしゃいましたか?」
国から追っ手は来なかったんだろうか。狙われなかったのだろうか。危険はなかったんだろうか。ずっと心配していたのだ。
「ああ、あれからこの国に保護されていた。エミリアも元気でいたか?」
「ええ……ええ」
無事で生きていらっしゃった……!
それだけで泣きそうに嬉しい。
リオ様はあの日のやつれたお姿からは想像出来ないくらいに、元気そうにしている。
「イシュハル様が……?」
「そうだ。彼は学友だったのだが……とても良くしてくれている」
イシュハル様が友達を大事にする人なのは、誰より良く知っている。彼ならば危険から守ってくださっていたのだろう。
「どういうことですか?リオ様は魔法研究所にいらっしゃったんですか?」
それならば、思ったよりもずっと近くにいたことになる。
「そうだ。イシュハルに依頼され、俺自身も望んで、魔道具の開発に携わっていた。俺は魔法を使いこなすところからやり直さねばならなかったから、苦労した。けれど、ここで向き合えて良かったのだ。俺は、自分の才にも気が付いていなかった」
「それは……?」
自分の才……?
「エミリア、ゆっくり話そう。少し外に出ようか」
「はい……」
リオ様は魔法研究所の中を案内してくれたあと、庭と薬草園を巡り、誰もいない中庭にあるベンチに腰掛けて話し出した。
「エミリア、旅では大変世話になった」
「いいえ、私の方こそ、リオ様がいなければ心細くて仕方なかったと思います」
「そう言って貰えるとありがたい。俺にとっては、忘れ得ぬほど、とても有意義な旅だったのだ」
「それは私もです……ずっと、何度も思い返しました。楽しかったって」
「それは俺もだ」
私たちは笑い合う。
「何食べてもおいしかったですね」
「そうだな」
「海水浴場にはお友達と行きましたよ。リオ様と行きたかったです」
「ならば、近々行くか」
この人は本気なのだろうか。
「泳ぎを教えてくれるのですか?」
「ああ、いつでも」
良い笑顔を向けられて困ってしまう。
「本気にしますよ?」
「してくれ。俺は嘘は言わない」
ますます困ってしまう。だって、泳ぐということは、この国の水着を着なくてはならないのだし。
「……連絡をせずにいて済まなかったな」
「いいえ、そんな」
「この一年、俺は、国にいたときには知らなかった様々なことを学ばせてもらった。狭い世界の、少ない知識の中に生きてきたのだと実感するばかりだった。生まれた国を出て、違う身分で生きると言うことが、これほど意味のあることだとは思わなかった。理不尽な境遇であったとは思うが、俺は国を出されて良かったと心底思うのだ」
「リオ様……」
追放されたことを言っているのだろう。あれが良かったことだなどと、一年経った今彼は言うのだ。
「イシュハルの家族も助力してくれ学ばせてくれた。この国の、知識を保護しつつも、開放していく姿勢は素晴らしいな。我が国のように闇雲に秘匿しようとしない。学んだ知識は俺自身の新たな糧になる。俺は、あの頃の情けない自分から変わっていけるかもしれない」
「情けなくなど、ちっともありませんでしたよ!」
いつだって生きることを諦めないで前を向いて、そして曇りのない瞳で私や世界を見つめようとしてくれていた。私には他の誰よりも強くてカッコいい人だった。
私の台詞にリオ様は困ったように笑ってから、切なげな眼差しを向ける。
「……会えなかったのだ」
「え」
「エミリアに、顔向けなど出来なかったのだ」
「私に……?」
どういう意味だろうかとリオ様を見つめれば、頭を下げられる。
「すまなかった。エミリア・バートン。学園の俺は、君の力になることが出来なかった」
息を呑む。リオ様は私のことを思い出していたのだ。
学園で会話もしたことなかったのに。名前くらい知っていたのだろうか。
「顔を上げてください、リオ様。そんなつもりじゃありません……!」
そもそも彼に何かしてもらおうだなんて思ってなかった。思っていたら、彼にだってイシュハル様にだって頼っていただろう。そんなことは、一時しのぎの意味のないことだと私は分かっていたのだ。
「私の目的は、魔法学校を卒業し、一人で生きて行ける力を身に着けることでした。私は目標を達成し、こうして他国で一人生きることが出来ています。何の問題もないのです」
「エミリア……」
段々と思い出していく。
そうだ、真面目でまっすぐで、イシュハル様が「馬鹿正直」とまで表現していただろう人。
あの頃から、この人は何も変わっていない――。
旅の出来事を次々と思い出していく。
平民に教えを請うリオ様。食べ物を分け合うリオ様。どんなことでも否定せず聞いてくれるリオ様……。
「……ふ、ふふふっ」
「エミリア?」
思わず笑ってしまうと、リオ様が怪訝な顔をする。
ずっとずっと、どんな瞬間も「この人はいいな」そう思わせてくれていた、あの頃のリオ様が変わらず目の前にいる。
凍えるような私の心を温めてくれた人。暗い世界に光を照らしてくれた人。
いいな。この人が、いいな。
私の心は、今もそう感じている――。
「またお会い出来て、私はとても嬉しいです」
私の心を嬉しさでいっぱいにしてくれる彼がここにいる。
「ずっと会いたかったんです……」
もう会えないのだと気持ちを押し殺していた。会いたいと願うことすらダメなのだと。
だけど受け入れてしまえば、自分の気持ちに気付いてしまう。本当は私は、どんな瞬間もただこの人に会いたかったと。
「……俺も会いたかった。忘れたことなどない」
リオ様の台詞に、私は、本当に?と思いながら彼の瞳を覗き込む。
私をまっすぐに映すその瞳は、旅の終わりに感じていた親しみのあるものと何も変わらないように思えた。距離感が近くなり、友人なのかそれ以上なのかも分からなくなっていたあの頃と。
しばらく見つめ合ってから、リオ様は言った。
「二度、遠くから、エミリアを見た」
「え?」
「居場所は分かっていたから、仕事のついでにだが様子を見させてもらっていた。声を掛けられなくてすまない」
「いいえ……」
「元気そうにしているように見えた」
「ええ、私も元気でしたよ。良くしていただいていました」
「良かった」
ずっと見守ってくれていたんだと知っていく。
私が彼を忘れていなかったように、彼も覚えていてくれた。
「どう言えばいいのか……俺は、一から学び直すことになったのだ」
リオ様は遠くを見つめるようにして言う。
「魔法国家を出てから初めて、まともに魔法について学ぶなどと、おかしなことだが……。この施設は素晴らしいものだった」
「魔法ですか?」
「そうだ。あの国を出ている魔法使いも多いんだ。多くは他国を廻りながら、この国に辿り着いていた。俺は彼らから改めて学ばせてもらえた」
国を出た魔法使い……そんなこと考えたことがなかった。
「本来なら、幼い頃から体を魔法の使用に耐えられるように鍛えていく……。俺にはその機会がなかったのだ。この成熟した体では、無理に訓練しているうちに、何度も倒れた。体を鍛えていたことが幸いしたな。多少の無理は問題なかった。彼らは助力してくれた。俺の体にはその価値があるからだ」
「価値ですか……?」
私はきっと、魔法をかなり使いこなせる方なのだと思う。それでも、リオ様の言っている意味は分からない。
「魔法国家、建国の祖の血を色濃く引く俺にしか出来ないことを、成し得るために。そのためには、俺はいくらだって、今の自分を壊していけるのだ」
決意を秘めたような眼差しが私に向けられる。
「そしてエミリア……君の未来を守るために」
ドキリと、心臓が跳ねる。
私の……未来?
あの日夢に魘されて泣いていた私にも彼はそう言ってくれていた。
「新しい魔道具の研究に携わってきたのだ。やっとエミリアを呼び寄せられるほどに開発が進んできた」
「私を……?」
彼のこの一年の暮らしの話が私に結び付いていく。
確かに私は魔法には長けているけれど……。
「落ち着いて聞いて欲しい。これから、全てを説明する」




