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15 シュリオン(3)

 俺を助けた平民は、エミリアと言った。助けたと言うのが正しいのか分からない。あれは拾ったと言うんだろう。


 あまりに都合が良く現れたため、始めは誰かの手のものかと疑っていた。

 だが、すぐに違うのだろうと気付く。


 俺の断罪とは関わりなく手配されていた馬車。更には親の形見まで手放し俺を追いかけて来たなどとは、到底思い難い。何より彼女の態度は、俺に対してあまりに平たんであった。興味が薄く、彼女はただ自分の未来のことに思いを馳せているように見えた。


 小柄で痩せた少女だった。年下だと思っていたが学校を卒業したと言い、同い年のようだ。物事を良く知っていた。どこか放って置けない子だった。親の形見を気軽に御者に渡しているような子だ。どこで誰に騙されるのかと心配になる。


 ある瞬間から、彼女の態度が変わった。形見の指輪を彼女に返してからだった。


 感情の薄かった瞳をキラキラと輝かせ、満面の笑みを浮かべ俺に礼を言った。

 全身全霊で感謝しているのが伝わってくるようだった。俺を狙う刺客が……演技でこんなことが出来るとは思えなかった。彼女はやはりただの通りすがりの平民だったのだろう。本来ならあり得ないが偶然出会ったのだろう。




 俺は態度を改めた。

 初め、俺はきっと彼女を城の使用人たちと同じように思っていたのだろう。心のどこかで、平民と自分は違うものだと思っていたのだ。

 弟を笑えない。逃亡者である今、罪なき平民の彼女より俺の方が下なのだ。恥を知るべきなのは俺だ。


 教えを請うと、彼女は驚いたように俺を空色の瞳に映した。

 そうしてまたキラキラと瞳を輝かせ俺を見上げる。何が彼女の琴線に触れるのか分からないが、その瞳には、敬意を感じた。

 身分という枠を取り除いて接してみれば、ただの女性にそんな風に見つめられるのは初めてだと気が付く。思えば冷酷に見下されるばかりだった気がする。


 エミリアに見つめられるのは心地よく、そうして気が付いてしまった。俺は思っていたよりもずっと……女性が苦手だったのだと。何を考えているのかも分からず、劣る自分を観察していた女たち。だからこそ初めて、この女性は苦手ではない、そう思ってしまったのだ。





 知人を頼りにし、現状を立て直そうと思っていた。国を弟などに任せられるとは思わなかった。

 けれど、今戻るわけにはいかない。

 俺はあまりに無力だ。

 やはり、フィリアか……。唯一心からの友だと思うイシュハルがいる。力になってくれるだろう。

 国外へ逃げなさい、かつてそう助言されたことを思い出す。

 今捕まれば殺されるだけなのであろう。





 思い悩む俺に、毎日、エミリアが屈託ない笑顔を向けていた。


「リオ様!これもおいしいですよ!」


 俺は何者でもないのに。そんな自分との旅の時間を楽しんでいるようだった。


 彼女が俺と親しくしても利もないだろう。単純に共に食事をすることを楽しむ彼女に釣られて、俺もだんだんと楽しくなっていく。楽しんでいる場合ではないのだが。

 何も考えずに彼女と話すことは気が楽だった。素性も良く知らないからかもしれない。なんのしがらみもないのだ。まるで友人のように毎日を楽しく過ごした。これほど親しく、長い時間を誰かと過ごすのは、人生でも初めての経験だった。俺でも誰かとこのような関係になれるものなのかと少し驚いた。束の間の休息のような時間。





 エミリアは何でもできる子だった。

 誰とでも会話をし、色々な物事を知り、そうして魔法まで使いこなす。……いや、一体何者なのだ。学友でもこれほどの子を知らない。むしろ学園の生徒は貴族だからこそ世間知らずであったのか。世界の広さに驚くばかりだ。俺こそが、物を知らなすぎる。


 彼女が俺を助けた理由が『目の前にいる人が辛そうだったら放っておけない』だ。

 女性とは、このように物事を考える生き物なのだろうか。彼女だけなのだろうか。俺だってそう考えて生きていただろうか。イシュハルなら考えそうだが、あいつは腹の底では別のことを考えていることも多く油断ならない。


 彼女の自然な笑顔と、素直な考え方が心地よい。

 無垢な子供に近いように思えるそれに、きっと愛されて育ったのだろうと感じた。

 天涯孤独だと言っていたが、旅の間だけでも彼女を守りたいと思った。この笑顔を曇らせたくはなかった。彼女は男たちの目を引いた。綺麗ではあるのだが、何より表情が愛らしい。話せば素直で賢い。魅力的な人だった。


 女性ならではの温かく柔らかい心で接してくれる度に、俺に知らないものを教えてくれているようだった。


 ずっと戦うだけの人生で、柔らかい心など持ち得ていないのだと思っていたのだ。けれど俺の中にも存在している。

 彼女が語る、心の中の核となるような美しい記憶。俺の中にもあるそれは母と過ごした日々の思い出だ。大切な誰かを思いやり、形にして残す愛情深い行為。やってみると、俺の中にもすでに存在している想いだったのだと気付かされた。

 彼女は過去に苛まれるように、魘され苦しむことがあった。けれどその様子ですら、感情豊かな心を伝えてくれる。柔らかい心を持つからこそ傷つき、泣く夜を抱える。それは弱く愚かな姿ではない。懸命に生きる強い人の姿だ。


「過去は変えられない。けれど、次に同じことがあったときには俺が守ろう。君は命の恩人だ。俺の命に代えても、君を守ると誓う」


 俺は今まで何を見て生きてきていたんだろう。

 ずっと戦わねばならぬのだと思っていた。剣を持つように世界に向き合い、障害を打ち倒さねばならぬのだと。


 その裏で、人々の中に瑞々しく豊かな心の世界が広がり、その心の中で、各々が戦っていたのだ。

 目に見えぬ部分でも、人はいつでも戦っている。

 そうして、同時に誰かを想っている。優しさを与えたいと願う。哀しみを抱えながら、自分と人の幸福を祈っている。


 彼女の柔らかい心が、俺に人を学ばせてくれる。


「恐ろしい未来にも、辛い記憶にも、耐えなくていい。一人ではない。未来の困難は俺が守る。忘れるな」


 それは俺が気付かずに見過ごして来たものだ。

 俺は今まで誰かの心を守ろうと生きて来たことがあっただろうか。……ないのだろう。


 俺は何のために戦って来たのだろうか。民のためではなかったのか。何のために王を目指したのか。

 民一人一人の心を守ることを目指すことが、民を幸福にすると言うことなのではないのか。


 守りたいと初めて思った……腕の中で小さく震えるこの女性を幸福にできなければ、俺にはきっと、誰一人守ることなど出来ないのだろう。


 生き残ろう、と改めて思えた。

 彼女の心と、未来の困難に寄り添おう。決して口約束だけにはしない。俺は、未来も生きねばならない。

 そうしてそれはきっと、俺自身の生きる希望にもなるのだろう。






 旅の穏やかな時間の中、俺は考えた。

 俺が平民だったのなら、このように過ごしていたのだろうと。


 民にとって、日々の暮らしが大事なのであって、王が俺であろうがなかろうが、おそらく興味もないのだろうと。俺自身が生きる理由にしていたものは、一体なんだったのだろうか、と考える。弟の残忍な性質は問題だが、諫める者がいれば、理由もなく民を虐殺したりはしないのだろう。だからこそ弟が選ばれたのだろう。俺は価値のないところに価値を見出そうとして生きていたのかもしれないと思う。


 生まれが違っていれば、ただの旅人であったなら、俺は何を望んで生きたのだろうか。


 宿屋で目覚める朝に。知らぬ土地の慣れない食事の美味しさに。旅の仲間との面白い会話に。

 ああ、確かに、小さな喜びや楽しさが積み重なったのだ。


 もしも何も持たぬ民であったなら、きっとこの日々が続くことを願い、大事な人を守るために生きるのだろうと思った。






 最後の旅路の船の上。

 俺はこれ以上なく美しいものを見た。


 壮大な虹を目の前にして、涙を流すエミリアの、輝くような強い笑顔。

 息が止まった。人はあまりにも美しいものを心に感じた時に、胸が痛むのだと知った。

 きっとこの日を忘れないだろうと思った。


 人はか弱く、強く、美しい。それをこんなにも鮮やかに俺に教えてくれるのは、きっと彼女だけだろう。


 大陸に着いたら、別れなくてはならない――。

 俺の人生に巻き込むわけにはいかない。深く踏み込むことはせずに別れるつもりだ。


 けれど……女性としてこれほど合うと思えた者に会ったのも初めてだった。どれだけ話しても話が尽きない、知性の高さもだが、その見解は心地よく、また良く見れば、細すぎると思っていた華奢な手足も、瑞々しい白い肌も、綺麗な空色の瞳も、女性としての上等な美しさに溢れ、心を捉えられる。


 彼女の作ってくれた花の祝福のお守りを握り締めて願う。


 どうか彼女を守ってくれ。

 必ず生き残る道を模索し、再び彼女の元に向かう。それまで、どうか彼女を。


 愚かな俺は、祈りというものは美しい行為ではあるが、どこかで俺の人生にはなんの足しにもならぬもののように思っていた。

 けれど違うのだろう。

 自分一人では小さな存在過ぎて何も出来ないけれど、それでも、泣きたくなるほどの気持ちで、神や世界に切実に願うのだ。その想いは、きっと我欲を捨てた先にあるものなのだろう。


 月に、星に、太陽に、人は祈る。

 人が祈りを込めると言うことの意味を、俺はまた彼女に教えられるのだ。



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