4.婚約者
馬車で隣国へ向かう途中、国境近くに差し掛かると、丘の上で単騎で待ち構えていた騎士の姿があった。それはあのモンターク公爵の次男、フレデリクだった。馬上で敬礼をしている姿が目に入った。
フェネラは、急いで馬車を止めてもらい外に出て深々と返礼した。
モンターク公爵子息の思わぬ見送りに申し訳なくて涙が出そうになった。
婚約者のポールは受け入れ準備があるからとフェネラを残して先に帰国していた。
嫁ぎ先のボーモン伯爵家から、護衛と侍女はこちらで用意するので、連れてこなくて良いと言われていたため、単身で嫁入り用の荷物とともに馬車に揺られていた。
フェネラは心細く不安だったことも手伝って、ぶわりと涙が溢れてきた。
なぜ自分などに求婚してくれたのか、彼にそれを問う時間はフェネラにはもうなかった。
フレデリク様が王女殿下の意中の人でなければ、他の方からの求婚がかち合ったとしても、恐らく彼の求婚を受けていただろう。
登城してからずっと王女殿下の恋情を知っていたから、はじめから自分が恋心は抱いてはいけない相手、好きになってはいけないという前提で接しないとならない状況に置かれていた。
もしも王女殿下が他の殿方に夢中だったら、私も他の女性達のようにフレデリク様に憧れたり、躊躇うことなく素直に想いを寄せていのだろうか。
でももう、今さらそんなことを思ってもどうしようもないことなのだ。
「お待ちしていました」
国境を越えると、婚約者らが待機して待っていてくれた。約束通り護衛と侍女もつけてもらえほっとした。
乗り心地のよい最上級の馬車が用意されており、フェネラはその馬車へ乗り換えた。
「お疲れでしょうけれど、もうしばらくご辛抱下さい」
久々に見る婚約者は笑顔でそう言った。
細身で背の高い、栗色の髪と艶やかな黒い瞳の、これから自分の夫となる人は優しく労るように接してくれる。
髪色こそ違っても、フェネラの末の兄に微かに似た風貌に親しみも感じることができる。
この方ならば自分はなんとかやって行けるかもしれない、そんな気がした。
隣国であるシャゼル王国の王都近くに婚約者の邸宅、ボーモン伯爵邸はあった。華美過ぎない品の良い落ち着きのある邸宅だった。
フェネラは歓待され、伯爵夫妻と侍女らにも優しく接してもらえた。二週間もするとようやく緊張も薄まりつつあった。
フェネラは第一外国語だったシャゼル語が得意だったので意志の疎通、日常会話は問題は無い。
仮にこの結婚がなくてもシャゼルには語学留学をしてみたい国ではあった。早くこの国の文化やマナーを覚えようと意気込んでいた。
ひと月後に挙式を控え、様々な準備に追われているので、寂しさを感じる暇も無い。
婚約者のポールは相変わらず優しく、いつも気配りをしてくれるので安心できた。
ただひとつ気がかりなのが、フェネラがこのボーモン邸にやって来た次の日から、まるでフェネラを監視するかのように、ポールの幼馴染みのアルマという女性が入り浸っていることだ。
「ふうん、珍しい髪ね。でも私の方が綺麗だし、ポールは私の方が好みよね」
初めてフェネラを見るなりそう言ってのけてから、常に彼女はこんな調子だ。
婚約者の自分よりも、頻繁にポールの部屋に出入りしているのは、無視しようにもできない。
この令嬢のマナー違反は甚だしい。いくらフェネラにはポールへの恋愛感情はまだ無くても、婚約者のいる相手への配慮に欠ける有り様は注意を受けても仕方がないものだ。
けれど、この屋敷の人々は遠巻きに見ているだけで誰も注意する気配はなかった。
誰一人知る者がいない他国へ嫁ぐことは、こんなにも肩身が狭く不利になるものなのだろうか?
はじめての結婚なので、フェネラにはこれが珍しいことなのか、よくあることなのかどうかがわからなかった。
ボーモン家の人達がフェネラに優しいのは、それは「客」に対する接し方であって、「家族」として受け入れているからではないような気がしていた。
アルマはポールに自分が参加したい夜会へ同行するようしつこく誘いに来るだけなくて、用は無くても夜間にまでお構い無しに訪ねて来たりするのだから堪らない。
「ねえポール、なんであの娘なの?」
フェネラに聞こえるようにわざと大きな声で不満や苛立ちを滲ませて話すのだが、ポールも曖昧に返事をするだけで、気の強いアルマを追い払うことはできないようだ。
挑戦的な視線をフェネラに向けるアルマの青い瞳は冷たかった。
式があと十日に迫った時、突然ポールから詫びを入れられてしまった。
すまないがもう少し式を先へ延ばしてくれないかと。
フェネラは仕方なく了承した。式には母国の両親を招くので、その変更の旨を急いで連絡した。
結婚式も親族だけでという取り決だったので融通は効くとしても、なにやら雲行きが怪しくなって来たのをフェネラは肌で感じていた。
それでもフェネラはまさかこの結婚が破談になるとは思っていなかった。
これはボーモン家側、ポールからのたっての求婚であり、モール家からの求婚ではなかったからだ。
しかし、式の延期から二週間後、この結婚はなかったことにして欲しいとポール本人から懇願されてしまった。
あの幼馴染みのアルマと結婚したいからだという。
公爵家からの縁談を断る方便としてこの結婚を承諾したフェネラには、彼らの愛ある結婚を見せつけられてしまうと、それを受け入れるしかなかった。




