11.失踪者
それから数ヶ月後、ベシュロム王国の末姫、アンジェリーナ王女の結婚式が恙無く執り行われた。
姉の手紙から、その式がいかに盛大なものであったかを知ることができた。
それでフェネラ、あなたはいつ戻って来るのと姉に問われたが、当分自分はベシュロムへは戻らないこと、還俗する予定も無いことを返事にしたためた。
フレデリク様とのことは、親族にさえも間際まで秘匿して進めなければならないと感じていたため、二度目の求婚を自分が承諾したことも伝えなかった。
もしも妖精公爵家の正体を知ったならば、フェネラの家族は皆卒倒してしまうだろう。
どのみち結婚後も家族にも秘密にしていくことになるのだ。
王女の婚礼からふた月が過ぎた頃、フェネラは体調に異変を感じるようになった。
手が痺れ吐き気や目眩もするこの症状は、毒を盛られているとしか思えない。
院内の薬草を使って中和薬を自作してなんとかしのいではいるが、症状を軽減するにすぎない。
誰に盛られているのか、内通しているのが誰なのかを探る猶予は無く、それよりもこの修道院をできるだけ早く、更に害される前に出なければならなかった。
王女殿下が結婚しても、私がフレデリク様と結ばれるのを快く思わない人達がまだいるということなのか?
フレデリク様の元へ嫁ぐのはまだ時期尚早で、ことを急いては自分の家族やフレデリク様にまで身に危険が及ぶかも知れず、フェネラは別の場所で身を隠さねばならないことを悟った。
3年近く世話になった修道院を出ざるを得なくなってしまったが、この修道院で身につけた知識や技術があれば平民としての生活も送ることができる筈だ。
フェネラは還俗を願い出て、ティルダらへの感謝と別れを告げると、サスキアの名を捨てて3年ぶりに市井へ戻った。
追っ手が来ることを予想したフェネラは、フレデリクの妻になるまでの間、自分の痕跡を一切消して隠棲出来ることを妖精に強く願った。
妖精は祝福を与えるべく、フェネラのその願いを聞き届けた。
修道院の裏門を出て、最初の曲がり角を行くと迷路のような小路が待っている。海側に降りて行くには、気が遠くなるほど階段を下らないとならない。
フェネラが進んで行こうとしているのは馬車も通れない程の、大人二人が並んで歩いけないぐらいの道幅の狭い小路だ。
石畳のその道を歩いて行くうちに、サスキアと呼ばれていた風貌の女性はどこにも存在しなくなった。
フェネラの薄紅色の短髪は、瞬時に腰まで届く銀色の長髪となり、若草色の瞳は菫色へ変貌していた。
その髪と瞳の色はフェネラの希望ではなく、妖精が勝手にその色を決めて行ったものだ。
妖精への願いごとは細部まで指定しない限り、妖精の好みや感覚、妖精のその時の気分でやられてしまうのが玉に瑕ということかも知れない。
窮地に立たされ、切羽詰まった時に細部まで細かく指定をする余裕は人間達にはないことの方が多いのだ。
フェネラははじめは半信半疑だったが、自分の髪が小路を歩きだした途端に変化したことで、妖精の祝福の力を信じずにはいられなくなった。
フェネラは妖精のなすがままに身を任せた。
フェネラをすぐさま追って来た者は、迷路状の小路の途中で、変貌したフェネラを追い越し、後ろを振り向いても、そこにいた女性をフェネラだと認識することはできなかった。
銀色の長い髪が、つい先ほどまでフェネラだった女性の衣服の特徴を覆い隠していたことも気がつかずに、追っ手はフェネラを見失ったことを焦り、狭い小路を必死に走り去って行った。
フェネラを追い越して行った男からは、以前王宮で王女を庇って怪我をした時の、白煙を上げて破裂した物体から漂っていたものと同じ匂いがして、フェネラは戦いていた。
これはもう憶測ではなく、現実に王家絡みの暗殺者が動いていることを知ったからだ。
その日からフェネラの消息を知るものは誰もいなかった。




