1.妖精侯爵の末裔
「フレデリク、御柳の花を見たことはあるのかい?」
「妖精の森の中にあると聞いていますが、まだ見たことはありません」
「では明日にでも一緒に見に行こうか」
「はい!」
祖父の誘いに嬉しそうに7歳のフレデリクは答えた。
モンターク公爵家は、ベシュロム王国の王家の盾と呼ばれる公爵家のうちのひとつである。
その中でも更に特殊な公爵家であるのは、一族は妖精の守護を受けることができるからだ。
ベシュロム建国神話でも、初代の国王らが妖精の力を借りて成り立ったことが記されている。
その末裔でもあるのが、現王家とモンターク家を含む三つの公爵家だ。
そのひとつであるモンターク公爵家の者には妖精の啓示を受ける者、妖精の姿を見る者等がいて、領地の妖精の森をとても大切にしている。
フレデリクも3歳の時から妖精の姿を目にするようになり、その祖父であるエドワードも妖精の啓示を受けることができた。
啓示を受けたり妖精の姿を見れなくても、その公爵家の者は等しく守護を得られてはいるのだが、妖精の姿を見ることができる者が生まれ順に関係無く嫡男となることが圧倒的に多い。
本来、妖精の姿が見える次男のフレデリクが嫡男となるところだったが、フレデリクは隣国のシャゼルにある『この者はモンサーム伯爵家を継ぐ』という啓示を生まれて間もない時に祖父が受けたために、長男である兄が嫡男とされていた。
フレデリクの父は、妖精の姿を見たり啓示を受けたりはできなかったが、祖父には男子が父しか生まれなかったために次期当主に確定していた。
フレデリクは次の日、昼食を持参して祖父と連れだって領地の妖精の森を訪れた。
「わあ、すごいや!」
初めて目にした御柳の群生にフレデリクは歓声を上げた。
針状の糸のような細かく繊細な葉と、淡紅色の小さな花がびっしりと埋め尽くされた、小動物の尻尾を思わせる姿形の花が春から夏にかけて生い茂る。
しかも、そこかしこに銀色の小さな妖精達が姿を現している。
幼いフレデリクの目にもこの幻想的な光景はしっかり焼きついていた。
「妖精の森ってこんなに綺麗なんですね」
上気した顔で祖父を振り返って見上げた。
その孫の姿を満足げに見つめながら、現妖精公爵家当主エドワードは、フレデリクに御柳の花冠を作ってごらんと、手慣れた手つきで見本を作って見せた。
通常の花冠のように編まなくても、この御柳のひと房を丸めて輪のようにすれば、可憐な花冠がすぐに出来上がる。 初めての花冠はそうした簡略的なもので、正式な啓示用にはしっかり編まれたもの等、その用途によって作り方を変えている。
今日が初めてのフレデリクには簡略的な花冠の作り方を見て覚えなくてはならない中、本当に小さな花冠は、まるで妖精のためにあるようだとフレデリクは思った。
必死に祖父の真似をしてはみるが、上手く結べないでいる。エドワードは孫のおぼつかない手つきすらも愛しげに目を細めながら、こうやると結びやすいぞと教えてやった。
「今日はまだ練習だから、上手くできなくても構わんよ」
「練習? じゃあ正式なものがあるのですか?」
「この花冠は妖精の啓示を受ける時に必要なのだよ」
それを聞くと一層真剣に作り出したフレデリクを見てエドワードは声を上げて笑った。
「少しずつ覚えていけば問題はないから、今日できなくても毎年花の咲く時期に練習しておきなさい」
「はいっ」
「大分歩いたから疲れただろう、一旦休んで、腹ごしらえをしようか」
木陰に座り、メイドのマーサが用意してくれたサンドイッチを二人で頬張った。今日は甘辛いソースで焼いた肉にスライスしたきゅうりと洋梨を合わせたものだった。
「んー、おいひい」
「旨いな」
洋梨ではなく林檎でも合うのだが、熟した洋梨を合わせるこの組み合わせが、二人の共通した好物のうちのひとつだった。公爵家のベテランのメイドは二人の好みを熟知していた。
「お祖父様は初めて啓示を受けたのはいつですか?」
「12の頃だったな」
「そんなに早く?」
途端にフレデリクは焦りを露にした。
「ははは、みな遅くても10代のうちに受けるものだよ。お前も試しに今日やってみるかね?」
「いいのですか? まだ花冠をちゃんと作れていません」
「私が作ったもので試して見ればいい」
フレデリクは嬉しそうに目を輝かせた。
御柳が群生する場所の最奥に、小さな泉がある。
吸い込まれてしまいそうな、透明度の高い水面がそこにあった。
その泉の岸辺に大人一人が余裕で入りそうな大甕が埋められている。
その甕の中から、翠の目をした赤い双魚が上がって来て、目の前をスッと通り過ぎていった。
両手と口を湧き水で漱ぎ、その大甕の上の水面に花冠をそっと浮かべ、この国の古語からなる定められた文言を唱えた後に自分の名前と身分を名乗った。
「私はフレデリク·モンターク、妖精公爵の末裔で、次期モンサームの領主です」
祖父に教えられた手順通りに行い、緊張しながら啓示を待った。
先ほど通り過ぎて行った赤い双魚が戻って来て、花冠を咥えるとゆっくりと静かに大甕の底に運んで行った。それを目で追うフレデリクに、まわりの風景とは全く違う、ここではない場所が水面に見えはじめた。
「あっ!」
もっと良く見ようと泉を覗き込もうとしたが、一瞬ですぐに消えてしまい、今はもう水面を覗く金髪碧眼の自分自身の姿しか映していなかった。
「終わったか?」
うなだれるフレデリクに、少し離れた場所で待っていた祖父が近寄って来た。
泉に示される啓示は本人しか覗いてはならないのが決まりで、親子、兄弟姉妹などの親族、婚約者や夫婦でも一緒に覗くことは許されていない。
見たり聞いたりした内容は本人の裁量で他者に話しても構わないのだが、啓示を覗く時は必ず本人一人だけでなくてはならない。
過去にその決まりを破った者がいて、たちまち不幸に襲われたと伝わっているために、まだ子どもであっても厳守しなければならないことだった。
「何か見えたり、聞こえたりしたかね?」
「揺りかごで寝ている赤ちゃんが見えました」
「ほお、その赤子は女の子だったかね?」
「すぐに消えてしまったのでわかりません。でも、髪は薄紅色でした」
初めてにしては上出来だと、エドワードはフレデリクの頭を撫でながら誉めた。
「お祖父様、あれは誰なのですか?」
「それは後のお楽しみだな」
こうして妖精侯爵の末裔は、はじめての啓示を受けたのだった。