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アンの場合

前作「ヒイミさま」のその後の話です

 アンは絵が好きだった。将来は美大に行って、絵本作家になりたいと思っていた。そのために、週三回、放課後に地元の絵画教室に通っていた。先生は優しくて、絵の技術だけでなく、色彩や構図、表現力なども教えてくれた。アンは先生のことを尊敬していたし、教室の仲間たちとも仲良くやっていた。


 ある日のことだった。

 いつものようにデッサンの講義を終え、帰る支度をしていると、ふと壁際にある絵に目を留めた。


 それは小学生クラスの絵だった。公園らしき場所が思い思いのタッチで描かれている。

 先生を呼び止めて尋ねると、昨日は天気が良かったから、外で描いたのだ、という。自分も小学生のころやったなぁと懐かしく思いながら一つ一つ見ていくと……。

 

 奇妙な絵を見つけた。


 同じように公園の絵なのだが、ジャングルジムの中に逆さまになって頭を抱えている女の人が描かれている。妙な絵だった。


「先生、あの絵なんだけど」

「ああ、これねぇ」

 

 先生も気になっていたのか、苦笑いを浮かべる。


「ある女の子が描いたんだけどね。すごく真剣な表情で、声をかけても気づかないのよ。だからほかの子の絵を指導していたの。あとになって戻ってみたら、女の人を描いていて」

「こういう人が、いたの? 逆立ちでもしてるのかな」

「ううん。そんな人はいなかったんだけどねぇ」と首を傾げつつ「でもそういう想像力も大事だから」と先生が言った。


 アンはなるほどと思いながら、もう一度よく絵の中の女の人を見てみた。

 すると、さらに妙なことに気づいた。

 ぱっと見ただけではわからなかったが、よくよく観察すると、女の人は逆さまになってはいなかった。足はきちんと地面についていた。けれど首があるべき場所にないのだ。しかも……。


「あっ」


 この人、手が四本ある?

 ジャングルジムの足場が入り組んでいるため、陰になりはっきりとわからないが、頭を抱えている両手とは別に、もう二本、腕があるように思える。


 ――何、この絵。気持ち悪い。


 思わず顔をしかめる。

 先生、と声をかけようとして振り返ると、先生は奥の部屋に行ってしまっていた。片づけをしているようだった。


 気持ち悪い。気持ち悪いけど……でも……なぜか惹かれる。


 アンは先生の目を盗んで、その絵をくるくるっと巻くと、自分の絵の中に隠して持ち出すことにした。

 この絵を放っておいてはいけないような気がしたのだった。


「先生、さよなら」

 

 そう言いながら出口のドアを開けるとどこからか魚の腐ったような臭いがしたが、気にしなかった。


 帰り道は、いつも一人だった。

 家までは歩いて十分もかからない。

 今日のご飯なにかなぁとか、テレビ番組なにを見ようとか考えているうちに、着いてしまうのがいつものことだった。


 だが、その日はなにかが違った。


 ――どこ、ここ?

 

 知らない道にいた。

 変だな。どこか角を曲がったわけでもないのに。


 ――少し戻ってみようか。

 

 アンは気持ちを落ち着かせて、元来た道を戻ってみた。

 やはり知らない道が続いていた。

 どうしてだろうか。迷うはずのない道なのに……。


 空で一声、カラスが鳴く。

 その声が妙に不気味だった。


 ――とにかく、知っている道を探さなければ。


 アンは少しドキドキした気持ちを抱えながら、次の角まで行ってみることにした。

 落ち着いて。大丈夫。考え事をしているうちに、違う角を曲がってしまったんだ。きっと、そうに違いない。


 角を曲がると、その先はどこかで見たことのある景色だった。

 蛇行する住宅街の細い路地。その右奥に公園があった。

 いつもの道ではない。でも、知っている。

 どこで見たんだろう、と考えてすぐ、思い至る。

 

 ――あの絵だ。


 アンは鞄から絵を取り出した。

 やはりそうだった。

 右奥の公園。絵に描かれていた公園だった。


 呼ばれたような気がして、アンは公園を覗いてみた。

 なんてことのない公園だった。中央に、ジャングルジムがあった。

 あのジャングルジムに、逆さまに見えた女の人が――。


「なにしてるの?」


 突然、知らない子に声をかけられた。

 思わず、ひっと声が漏れる。

 夕日を浴びて、その子の顔は逆光になりよく見えなかった。


「こないだもね」


 その子はアンがなにか言うのを待つでもなく、話をつづけた。


「こないだもね、ジャングルジムを見ている子がいたんだ」

「そうなんだ」

「どうなったか知ってる?」


 その子の口が不気味に笑ったような気がした。


「どうなったの?」

「死んだ」


 感情のまるでこもっていない口調で、その子は言った。


「どうして死んだの?」


 アンはつとめて優しく尋ねた。


「ヒーミさまに呪われたんだよ」

「ひーみさま?」

「そう。ヒーミさま。知ってるでしょ」


 それだけ言うと、その子は走っていってしまった。

 アンはあっけにとられて、その背中を見送った。

 声が蘇る。ヒーミさま。ヒーミさま……。


 ――知ってるでしょ。


 確かに知っていた。

 この辺りの子どもで知らない子はいない。

 昔から伝わる都市伝説の一つだった。

 ジャングルジムの下に住む、首のない女の霊のことだ。

 子どもたちがジャングルジムで遊んでいると、突然現れて、首をもぎ取ってしまうという。

 アンはそんな話を信じていなかったが、ヒーミさまの都市伝説には、不気味なリアリティを感じていたのも事実だった。


 そっか、だからこの絵を気持ち悪く感じたのか。


 絵に描かれているジャングルジムが、記憶の奥底の都市伝説を無意識に思い起こさせていたのだろう。

 アンは絵を改めて見てみた。

 すると、おかしなことになっていた。

 女の描かれていた場所が、黒く焦げたように塗りつぶされている。


 ――え、なんで?


 そして、そこからなぜか、魚の腐ったような臭いがした。


「いやっ」


 と叫んで絵を離す。

 ひらひらと地面に落ちる絵をすくい上げるように強い風が吹き、絵はあっという間に空高く舞い上がり、見えなくなった。


 アンは絵を追いかけようとしたが、もう遅かった。

 絵はどこかへ消えてしまった。


 不意に、アンは泣きそうになった。なぜだろう。絵を取り戻したかった。絵に描かれていた女の人のことが知りたかった。彼女は誰だったのだろう。なぜ首がなくて、手が四本あったのだろう。なぜ自分はその絵に惹かれたのだろう。アンは首をかしげた。


 ――首?


 自分の首はどこにあるのだろう。アンは手で自分の首を探したが、触れるものはなかった。首がない。首がない。首がない。アンは悲鳴をあげようとしたが、声は出なかった。首がないから、声も出ない。アンはパニックになった。自分はどうなってしまったのだ。絵の女の人と同じになってしまった? ヒーミさまに呪われた? アンは走り出した。助けてくれと叫びたかったが、声は出なかった。誰かに見つけてもらいたかったが、誰もいなかった。公園は閑散としていた。アンはジャングルジムの方へ向かった。何故そう思ったのかはわからないが、もしかしたら、絵が戻っているかもしれないと思った。絵が戻っていれば、自分も元に戻れるかもしれない。ジャングルジムに着いても、絵はなかった。絵はない。絵はない。絵はない。アンは絶望した。ジャングルジムに登った。頭を抱えた。頭はあった。首はなかった。手は四本あった。アンは泣いた。








 それから三日経っても、アンは行方不明のままだ。



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